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年寄りライブと映画

 一週間前の停電事件(『災難2連発~停電と歯痛~』参照)に始まり、先週一週間は「日々是災難」の毎日だった。日本でも、昔は一つ電化製品が壊れると、次々に壊れるなんてことがあったけれど、まさに我が家は今そんな感じ。うちでは裏の井戸水をいったん屋根の上のタンクに汲み上げ、そこからそれぞれの蛇口に水がいくようになっている。タンクの水が減ったら自動的に井戸のポンプが作動して汲み上げる仕組み。この自動装置が壊れた。だから気づいたら水がなかった。とはいえ、これは簡単に直せる。自動装置は買い換えないともうダメだけど、当面はマニュアル、タンクいっぱいになったらポンプを切ればイイ。
 次に自動車のACが壊れた。最近は国際交流基金の大型展覧会『KITA!!』の準備で毎日走り回っている。ここんとこジョグジャの天気は昼間にムチャクチャに暑くなり、次にジメジメに湿気が出てきて夕方からドバ~~~っと豪雨というフルコース。そんな中、街中を移動するのにACなしは蒸し風呂状態。さらに雨となったらもうフロントガラスは視界ゼロとなる。でも豪雨だから窓も開けられない。ほとんど決死のドライブ。この前も、熱風しか出ない車内で脱水状態寸前のところで、車を降りたら外の方が全然涼しかったなんてことがあった。
 さらに歯茎の痛いのはまだまだ続いている。せめて、せめて、豪雨の後の冷えた夜に、温水シャワーで身体を温めたい・・・と思った私のささやかな望みも、連続する災難によって阻まれた。今度は温水器が壊れてお湯が出なくなってしまった・・・。

 運の悪いことに、インドネシアでは20日がイスラム今日の祝日、21日がキリスト教の祝日、そして22~23日は終末と、ほとんどが4連休になっている。店は開いていない。だから湯沸かし器を買った店も、明日まで営業していないのだ。
 もう、こうなったらじたばたしても始まらない。お湯がなくても死なん!歯茎が痛くても死なん!そう腹をくくることにした。もともと数年前までは湯沸し器も持ってなくて、寒い日にだけ大きな鍋にお湯を沸かして、それを水で薄めて使ってたんだから、そこへ戻ったと思えばいいだけ。でも人間ってどんどん快適さに慣れると、それが当然になっちゃうからいかんな・・・。

 少し前向き思考になった金曜の夕方、ティアスから久しぶりに電話があった。ティアスは過去にジョグジャやジャカルタで一世風靡したロックバンドのギタリスト。今は当時のバンドを解散し、ジョグジャ北部に小さな飲食店を建て、そこで週末ライブなどをしている。互いにローリングストーンズ大好きということもあり、機会があれば一緒にライブをしている仲間だ。私にとってはギターの師匠でもある。
「ミドリ~、今日はボーカルいないからさ~、来てよ。ギター持って」
と久しぶりにお声がかかったからには、歯茎が痛くても行くしかない。お湯を沸かして水で薄めて行水してから出かけた。

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 彼が今やってるバンドのメンバーは知らない人たちばかりだった。見た目かなりのオッサン(右のギターがティアス)ばかりだけど、こういう世代の方が渋い音が出せるから私の好みだ。
「ミドリから適当に始めたらついてくからさ・・・」
ストーンズのナンバーから20曲ほど演れば、皆さんちゃんとついてきてくれる。さすがストーンズ世代、すべての歌が頭に入ってるんだな・・・と嬉しくなる。せっかくのライブなのに歯茎のせいでアルコールが飲めないのが残念ではあった。だってティアスは酒作りもうまくて、オリジナルカクテルはなかなか美味いのだ。次回はぜひ、歯茎も完璧な状態で美味しい酒と一緒にライブしたいものだ。

 連休中に街中に出るのは好きじゃない。ジョグジャってのはとかくローカル客に人気の街だから、連休の人ごみと交通渋滞ったら半端じゃない。多分日本の京都みたいなものなんだろう。だから姉妹都市提携してるんだろか? またもやDVDを借りてきた。
23.jpg◆Number 23(2007)
珍しくジム・キャリーがサスペンス・ホラーに主演。ブラピの『SEVEN』を思い出させる雰囲気もあったりしたけど、なかなか面白かった。こういう結末だったとは。

rogue.jpg◆ROGUE(2007)
ジェットリーと「トランスポーター」のジェイソン・ステイサム主演。日本のヤクザがいっぱい登場。こういうのに、松田優作が生きていたら・・・とつくづく思う。石橋凌じゃ~悪いけど役不足な気がする。それと、日本人だって見るんだから、ちゃんとした日本語喋って欲しいよな。いい加減すぎじゃん、日本語のセリフもセットも・・・。

flawless.jpg◆FLAWLESS(2007)
同タイトルでロバートデニーロの映画もあったみたいだけど、こっちはデミ・ムーアの宝石泥棒モノ。昔のロンドンの町の雰囲気や衣装が楽しめた。内容は最後の種明かし部分がちょっとおもしろいけど、間は今ひとつ力入らず。

holluwood.jpg◆Hollywood Land (2006)
1950年代にアメリカで大人気だったTV番組『SUPERMAN』の主役、ジョージ=リーヴスという俳優の謎の死(実話)を題材にした映画。『JACKET』や『PIANO』のエイドリアン・ブロディが演じる探偵は実在ではないらしいけど、映画の中では一番目立ってたような・・・。この役者もかなり個性的でいいなぁ。
こういう解決してない実話のミステリー系では、『BLACK DAHLIA』が私は好きだったな。

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災難2連発~停電と歯痛~

 インドネシアでは停電は当たり前。ましてや毎日暴風雨がやってくる今の時期はフツーに停電する。
昨日の日曜もそうだった。寝室に掃除機をかけていたら突然切れた。うちは使用電気量が1300Wしかないので、冷房と掃除機を同時に使うとブレーカーが上がる。家の外にあるブレーカーをチェックしたけれど、どうもいつもの過負荷ではないらしく、ブレーカーの位置はいつものまま。ということはこの地域一帯が停電ということか・・・。
 昼間は別にさほど気にならない。パソコン仕事はできないけれど、こういうときは最初から諦めて、読書に徹することにしている。たまにゆっくり読書に時間をとるのもいい。がしかし、夕方になり、外が暗くなるにつれ、気づけばお隣さんちには電気がついている。裏庭から裏を覗けば、こっちの家にも電気が・・・。「なぜうちだけ???」
 早速ジョグジャ市の電気局サービスセンターに電話してみた。なんだかパッとしない対応にむかつくも、こっちはもう自分じゃどうしようもないからすがるしかない。
「はぃはぃ。何時に行けるかはわからないけどね~~。絶対行くから。うちは24時間だから」
とのオッちゃんの返事を信じる以外に方法はないのだ。
 自然光では読書もままならない時間になり、ロウソクを灯して助けを待つ。いつもは世の中の皆さん全員が停電だから・・・という団体意識があるけど、今回は違う。
「なぜうちだけが???」
と悶々とした気持ちで電気局を待つ。そして午後5時過ぎにようやく2人の職員登場。

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 なんと、玄関横についた電源ボックスの中で、電柱から配線されたケーブルに問題があったらしい。職員がチェックすると同時に箱から火花が散って煙が出、家の向かいにある電柱の上からも火の粉がパラパラ降ってきたからビックリした。近所の人まで慌てて走り出てきて、こっぱずかしい・・・。
 直ってホッとした以上に、インドネシアの電気局がちゃんと日曜の夕方にもかかわらず来てくれたことに感動した。オマケにタダだし。我が家は1935年築らしいので、いろんなところに傷みもくるんだろう。

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 にしても、忙しくなってくるといろいろ問題が起きるのはなぜなんだろう?そんなにたくさんバチが当たるほど、悪いことしてないつもりなんだけど・・・。昨日は停電、そして今日は歯痛。疲れると歯が浮いたみたいになってもう何年にもなる。でも特別悪化しないから、ずっとそのままにしている左上の奥歯。
この歯茎が腫れた。初めて歯茎が腫れた。なんだか大きなニキビのような感じがした(舌で触って感じるには)ので、つぶせばいいのかと思って針を消毒し、火で炙って突っ付いてみた。それでも変化がなかったのが3週間ほど前。
 その後しばらくなんともなかったけれど、また腫れるようになってきた。考えてみれば、あの突っ付きがよくなかったのか?多分そうだろう。人に話すと、このムチャな処置にインドネシア人ですら呆れる。どうも私はバリ在住の頃から、プリミティブな治療法が好きらしい。日本の医者で何度切っても治らなかったウオノメがバリの伝統治療で治ったこともあり(『バリタイムズ』参照)、荒療治が癖になっているのだろうか。

 とまれ、今回はかなり後悔している。その突っ付いた部分が、ずーーーっと腫れの原因になっているのだから。そこまで荒治療が平気なくせに、今まで歯だけはインドネシアで医者にかかりたくないと思ってきた。けれど今回はやむをえない。来週からはどんどん日本人アーティストがジョグジャにやってくる。そして私は彼らのケアという重要な任務があるのだ。ここで自分の突っ付いた歯茎を腫らしたのが原因で休んでたらオオマヌケだ。

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 雑用の合間をぬって今朝、知人に勧められたクリニックに行ってきた。中には一人も患者がいない。クリニックの中は意外と小奇麗だ。受付に出てきた丁寧な姉ちゃんと面談して診療室に入ると、想像以上に最新の設備なのでビックリした。さらにさらに、出てきたドクターは若いお姉ちゃん。お姉ちゃん、キレイなのはいいけど、これがドクターとなるとちょい不安でもある。
 診察椅子を倒され、なんで腫れちゃったのか事情を話したら、ここでも呆れ顔。でも、もともと腫れていたということは、そこには私が作った原因以外の原因があるわけで・・・
「あ~・・、これは開かなくちゃダメですね・・・」
これ、インドネシア語で言われると怖い。「開く」という意味に「Bongkar(ボンカール)」というインドネシア語を使うのだけれど、「ボンカール」には「取り壊す」とか「解体する」といった意味もあるから自分の歯茎がそうされるかと思うと、言葉にゾッとした。

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 がしかし今、この時期に歯茎を「解体」してもらってる場合じゃないような気がして、なんとか薬でこの腫れを抑えてあと1ヶ月もたせることができないか相談したところ、口膣の洗浄薬と抗生物質をくれた。後は疲れをためずに、ビタミンもちゃんと摂取して日々規則正しい生活をしなさいとのこと。
(赤い矢印が若いドクター。腕を信じていいのか???)

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 なんだか災難続きの今日この頃。これがやがてくるムチャクチャにラッキーな出来事のまえぶれだったらいいんだけれど・・・

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2冊のガイドブックとカリ・チョデ

 あっという間にもう3月。日本もそろそろ春の気配が訪れはじめている頃だろうか。
 先月、最終原稿完成のためにスラバヤを訪れ、ジョグジャに戻ってすべてを編集し終わり、ようやく印刷に回すことができた。フルカラー70ページの豪華ガイドブックが3月中旬には完成する。きっと担当したスラバヤ市観光局のユサクおじさん感動するだろうなぁ・・・

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 何を思って「スパークリング・スラバヤ」というのか知らんが、このハジける感じに合った写真がスラバヤの夜景だったので、これをカバーにすることにした。

 内容はスラバヤへのアクセスにはじまり、歴史、文化、自然、考古遺跡、ショッピング、食事、ホテルなどのコンテンツに分けた。思い切り私の好みがページ割りに現れていて、食事のページが多い、多い・・・。

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 今回はこの原稿と一緒に、もともと私が数年来つくっているジョグジャの日本語ガイドブック『JOGJA SURFING』の3~4月号も仕上げた。これは2年前からジョジャカルタ市観光局公認となり、印刷費もジョグジャから出て、インドネシア国内にある15の日本人会や日本企業への配布もジョグジャ政府もちで計らってくれていたのに、今年からは予算ゼロ。国交樹立50周年で秋篠宮殿下まで訪問しているっていう記念すべき年に、なんで予算がない?!
 確かにもとはといえば、私が自腹で刊行していたものを、ジョグジャが認めてサポートしてくれてたわけで、振り出しに戻ったといえばそうなんだけれど、私も昔のように若くない。予算がないならもうやめればいいや・・・と思っていたときに、国際交流基金主催の友好年記念事業、ジャパニーズ・アーティスト・ミート・インドネシア『KITA!!』展に関わることになった。そしてディレクターである東京本部のFさんから、この展覧会をどうやってジョグジャでPRしていったらいいのか相談を受けたのだった。

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 そこで今回、『KITA!!』展のPRを掲載する、つまりジョグジャ・サーフィン側からすれば広告掲載料が入ることにより、3~4月号発行が実現した。こっちはあさってには刷り上ってくるんだった。
 日本でジョグジャ・サーフィン希望の方は、五反田の在日インドネシア大使館でどうぞ。

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 昨日はカリ・チョデを回ってきた。「カリ」はインドネシア語の川。つまりチョデ川。
 上述の『KITA!!』展には日本人アーティスト20組57名が参加する。数組は展覧会開催の1ヶ月前にジョグジャに入り、現地制作をすることになっている。中の一組が淀川テクニック。男性二人組のユニットで、川のゴミを集めて巨大オブジェを作ったりしている。2年前の釜山ビエンナーレで彼らの作品を生で見て、ゴミがここまでのものになるのかと感動したことを覚えている。
 そんな彼らが、ジョグジャの川でも制作することになったのだ。ユニットの一人柴田君はすでに一度ジョグジャに視察に来ている。そのときに紹介したチョデ川上流に、彼の気に入る場所があったのだけれど、今度彼が制作のためにやってくる前に、もっといい場所があるかも・・・と思って、チョデ川の下流を探索してみた。

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 結構あるある。
 彼らのプランの詳細を知らないので、どの場所が最適なのか、私にはわからないけれど、単純に川を含むその場所の空気として、気持ちのイイ場所があった。
 にしても、この雨季、本当にいつ降り出すかわからないから困る。チョデ川の下流で2ポイント見つけて撮影していたら、2ポイント目でいきなりの雨。やむをえず撮影を中止して帰宅した。

 昔はもっと雨季は雨季、乾季は乾季ってはっきりしてたような・・・。これも温暖化なのか・・・

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黒天使のバレンタイン&スラバヤ入り

 14日はバレンタインだった。昔バリに住んでた頃は、バレンタインなんて日は皆さん無関係だったので、日本のように、クリスマスやバレンタイン前になると独り者にとっては街歩きが辛い・・・なんてこともなかった。がしかし、ここ数年はバレンタインが、それも日本式のバレンタインがここにも入ってきたから厄介だ。つまり、女が男にチョコを贈る日になってしまった。これも日本のお菓子会社の陰謀か?
 ってったって、私には何も関係がない。オマケに前夜からジョグジャに国際交流基金のFさんとTさんがいらして、ちょうどバレンタイン当日は、4月に開催の展覧会に関する会場との話し合いに私も同伴することになっていた。

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 今回2日間ジョグジャで使う全会場の担当者と話し合いをし、『KITA!』展もそろそろ本格的に準備で動き出すことになりそうだ。現地コーディネーターの私も、ふんどし締めなおして頑張らねば。14日は夜まで打ち合わせ。基金のお二人をホテルまで送ったら、ホテルのロビーから不思議な立体造形物が見える。近寄ってみたら、なんとチョコでできたキューピットだった。真っ黒のチョコで羽根は綿製。その横にはチョコクッキーやケーキが並んでいる。申し訳ないけど、どう見てもそそられる感じじゃなかったので、撮影だけして家に帰った。

 あっという間にバレンタインも終わり、今朝は朝4時に起きてスラバヤ行きの飛行機に乗った。今はスラバヤのホテルにいる。昨年、スラバヤ市長とスラバヤ観光局に頼まれて、日本語のガイドブックのトライアルを制作したのだけれど、これが結構好評で、今度は60ページ、フルカラーのかなり立派な総合ガイドを作ることになっていたのだ。
 実はスラバヤ側はかなり前から作って欲しがってたのだけれど、私自身、日本での個展が予定されていたので、ずっと延ばし延ばしにしてきた。昨年末から日本でドラフトを作り、今回観光局側に内容を見せて意見をもらい、4日間スラバヤのホテルにこもって最終原稿を仕上げる勢いでやってきた。

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 このガイドブック出版に関わっている観光局長のユサクおじさんは、スラバヤの4つ星ホテル、スラバヤプラザ・ホテルのGM(ゼネラルマネージャー)でもあるので、私がスラバヤに来たら、このホテルは好きなだけ泊まらせてくれるからありがたい。
 チェックインして仮眠を取り、久しぶりにユサクおじさんと再会。60ページの内容を見せて説明するにも、日本語の内容をインドネシア語で説明しなくちゃいけないので結構時間がかかる。ちょうどランチタイムだったので、ユサクさんのホテルのスペシャルメニュー、マドゥーラ島の伝統料理をいただく。

 打ち合わせも終わり、後は今日から20日までひたすら最終原稿とレイアウトを仕上げることになる。もう少し取材しておきたい場所があるから、これはユサクおじさんのドライバーの空いてる時間に付き合ってもらうことになりそうだ。
 ホテルの隣には大きなショッピングモールがある。飲み物など買出しに行くと、そっか今日は日曜日、さらに中国の新年から間もないために、やたら人が多い。私はとっとと必要な買い物だけ済ませて部屋に戻った。今日のスタミナ物は、

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ランブータン。雨季の間が旬なこの果物、そういえば今回インドネシアに戻ってからまだ食べてなかった。これで2.5キロ、16,000ルピア(約200円)。

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高麗人参入りコーヒー。

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昔大好きだったグリーンサンズ。しばらく見ないと思ったら、こんなラズベリー風味のものが出てたので気になって購入。

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そしてタンゴ。私の好きなインドネシアのウエハース。ダイエット中の身でこんな甘いものは敵なのだが、大きなスーパーにはタンゴの「シュガーフリー」があるのだ。ジョグジャの田舎のスーパーでは売ってない。罪悪感なく食べられるので、これも一個。

 というわけで、明日から3日はホテル篭もり。昔から、小説家が締め切り前になるとホテルに篭もって原稿を仕上げるって話を聞いて、それがすごくかっこよく思えたもんだ。私のはそんな大層な仕事ではないけれど、でも、集中してこれだけにかかれる環境作って仕事するのは楽しい。
 4つ星ホテルのここでは、普段は見られないNHKも入るし、衛星放送で映画もたっくさんやっている。でもまずは原稿を仕上げて、それからあまった時間でホテルライフも楽しみたいものだ。

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南風食堂のジョグジャ視察

 「南風食堂」、いかにもインドネシアにぴったりな名前。
 実はこれ、もう9年も活動している女性2人のユニット。美術館やギャラリーでの展覧会オープニングのケータリングの活動の他に、おいしい食べ物のレシピ本も出版している。
 先日は怪しいコレクター(本人がじゃなく、コレクションしてるものが「怪しい」)の都築響一さんがいらっしゃり、2日あけて今度は南風食堂の三原寛子さんがやってきた。彼女も今年4月に開催される『KITA!』展(国際交流基金)の参加者だ。
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 まずは打ち合わせのために宿へお出迎えし、最初にただいた本が『スープの本』。
 蜂が旅する物語形式になっていて、蜂が旅する場所でのスープが物語のように現れて、しゃれたレイアウトの中にレシピもちゃんと載っている。毎日一皿ずつ、試してみたい本当に美味しそうなメニューがいっぱい。むっちゃ嬉しい!

 彼女は今度の展覧会で、インドネシアのみんなに南風食堂オリジナル・メニューを振舞いたいとのこと。今日のアテンドでは会場の下見、食材のチェック、さらにインドネシアではどっこにでもある屋台のチェックをすることになった。そしてもちろん、その合間合間には、インドネシアの美味しいものを食べる!これれっきとした仕事。
 
 メイン会場となるジョグジャ・ナショナル・ミュージアムに行く。なかなか立派な建物に三原さんも感動。ここの食堂のジャワ田舎料理もなかなか美味しいので、オバちゃんに頼んでメニューの撮影もさせてもらった。私が
「この人はね~、日本で有名な料理職人なのよ。ジャワ料理も興味あるんだよ」
と説明すると、
「ほらほら、タダだから、つついてってごらん」
と太っ腹な発言。

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 ここからジョグジャ市民の台所、ローカルで最大の市場ブリンハルジョへ。なんせインドネシアはスパイスや漢方の宝庫だから、三原さんも見たことない謎の品々にウキウキし始めている。椰子砂糖を半キロ買ってみたり、ジャムー(ジャワの漢方)をグラス1杯飲んでみたり、私も大好きな食べ歩きはすでに始まった。展覧会になったら彼女は実際に料理を作るわけなので、食材だけではなく、調理道具のチェックも怠らない。こっち風の料理の仕方なんかも、市場に入ればいろいろ見ることができるからいい。

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 彼女が今度オーダーしたいと言ってる屋台。これにはサイズや売っているもの、仕様によって「カキリマ」と呼ばれるものから「グロバッ」と呼ばれるものまである。希望を聞いていると、どうやら大きめで火も使うことのできる「グロバッ」を想像しているようだ。
 こっちには「グロバッ屋さん」というものはなく、大工さんが作る。それほどみんなの頭の中には、カキリマやグロバツの構造が、フツーに入ってるってことだ。私もざっとの構造を描けといわれれば描けるけど、見えない部分でどうなってるのかとか知りたくて、三原さんと一緒に屋台が通ると写真を撮った。後は彼女がいったん日本に帰り、どんな仕様でどんなサイズにしたいかなど、詳細を決めてくることでミッション終了。

 ランチにはジョグジャ名物のグドゥッを、そして夜はスンダ名物のペペス・アヤムを食べた。考えてみたら、ここんとこずっと自炊で、さらにダイエットのため夕飯には野菜スティックしか食べてなかった。昼も夜も美味しいもの食べるなんてこと、ずっとしてなかったので幸せ~~。なんたって「仕事だから」という言い訳もあるし(自分自身に対して)。

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 これは三原さんも大絶賛のペペス・アヤム。香りのよくなるハーブの刻んだものを鶏肉に添え、バナナの葉っぱで包んで蒸したもの。とにかくジューシーで、鶏は骨まで食べられちゃうくらい柔らかい。これには生野菜できゅうり、キャベツとクマンギというバジルに似た爽やか系ハーブがついてくる。これとペペス、さらにサンバル(唐辛子ペースト)のコンビネーションが絶妙なのだ。
 私は美味しいものを食べたときに、「本当に幸せ~~~」と思う。健康だから食べ物が美味しいんだし、口も腹も満たされる美味しいものを食べれば本当に美味しい。その生き物として基本的にもってる幸福の部分を仕事にしてる南風食堂っていいな~~~。

 短いジョグジャ視察ではあったけれど、できるだけたくさんの美味しいものを紹介したくて、翌日のランチには私の大好きなバリ料理、バビ・グリン屋へお連れした。ジョグジャじゃ~めったに食べられないバリの味だ。しばらく行ってなかったので、私も仲間がいてラッキーだった。ここでも三原さん大喜び。
 こうして2日間のアテンドを終え、三原さんも日本へ帰ってしまった。美味しいもの食べ歩く友達がいなくなって、ちょっと寂しい。でも彼女は4月の展覧会の準備で3月末には再度ジョグジャ入りする。そして3週間くらいは滞在する。またここで美味しいもの巡りできるのが楽しみだ。それまでは、体重増加しないように、しっかりビリー隊長について消費のいい身体つくりして待つとしよう。

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7年ぶりのブラウンシュガー

 チャイニーズ・ニューイヤー元日明けの今日もジョグジャはまだまだ休日モード。このまま10日の日曜までが連休になってる人も多い。
 

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 先日、久しぶりにキャサリンからメールが来た。彼女はドイツ人。私がジョグジャに来て間もない頃、彼女は留学生としてジョグジャに滞在していた。当時、バリからジョグジャに移って、そのライブハウスの多さとインディーズのバンドの多さに大喜びし、毎晩のようにライブハウスを渡り歩いていた私の一番のお気に入りバンドがブラウンシュガーだった。
 ブラウンシュガー。その名からわかるとおり、ローリング・スローンズのコピーバンド。ボーカルは2人いて、一人はまさにミックをコピーしたような兄ちゃんで、もう一人はドレッドロックに割れたハスキーボイスの兄ちゃんだった。
 
 学生時代からの癖で、私はローリングストーンズと見ると、正気を失いステージに駆け上がってしまう。最初にブラウンシュガーのライブを見たときも、こっちは一人でいるにもかかわらず、
「私がホンキートンク・ウーマンを歌う!」
と彼らのマイクを奪ったことから、結果彼らと仲良くなった。
 そしてキャサリンは、ハスキーボイスのドレッドロック、ボーカリストであるデニーのガールフレンドだったのだ。

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 彼らと知り合ったのは2000年になるかならないかの頃なので、もう8年前の話。キャサリンはその後母国に帰り、私はバリとジョグジャ両方を行き来しながら、デニーたちミュージシャン数人が暮らす大きな一軒家で1年ほど同居生活をしていた。
 その後は私が同居生活から出て一人で暮らすようになり、デニーはブラウンシュガーをやめて実家のある西ジャワに帰り、キャサリンからのメールも途絶えた。そんな彼女が数年前にマレーシアのクアラルンプールで職を見つけたとメールをくれたことがあった。そして先日のメールで、
「Mid!(私はインドネシアの知人からはこう呼ばれている)今度ジョグジャへ行くの!8日はあいてる?」
 運良く私はジョグジャにいたし、何も予定がなかったので、8年ぶりにキャサリンに会えることになったのだった。さらに運良く、デニー脱退後もメンバー交代して続いているブラウンシュガーのライブが、ちょうど金曜日の夜にあった。週1回しか演ってないのに、それにぴったりでジョグジャに来られたキャサリンはなんてラッキーなんだろう。

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 そうして、私は5~6年ぶりでライブハウスへ出かけた。キャサリンとは現場で10時に待ち合わせた。
昔ブラウンシュガーが演ってたライブハウスはもうなくなってしまったので、今日の店で彼らを見るのは初めて。音があまりに悪いのでびっくりした。さらに昔のメンバーでいるのはギターのイイス一人で、あとはまったく違うメンバー。ブラウンシュガーと言っときながら、曲はレゲエ。
 それでも私はキャサリンとの待ち合わせがあるので、1ステージ目は一人でビールを飲みながら聞き過ごした。途中で私に気づいたイイスが舞台の合間にテーブルへ来た。なんたって7年ぶりだからお互いに懐かしい。彼にとっても、昔の常連はいなくなってるだろうから、私を見ればブラウンシュガー全盛期を思い出すのだろう。ひとしきり昔の仲間の近況を互いに知ってるだけ教えあってるところへキャサリンがやってきた。こっちも8年ぶり。

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 年をとると、昔の知り合いってものに対する想いが、若いときとは違ってるような気がする。自分の若かりし日の楽しかった時間を共有した仲間って感じなのかな。古いけど、かまやつひろしの『我がよき友よ』的なノスタルジアか。
 なんとキャサリンはマレーシアとインドネシアという距離がありながらも、デニーとはいまも付き合っていた。その年月なんと11年!スゴイ。インドネシア、特にバリにはたっくさんの日本人女性&バリ男性カップルがいて、みなさんそれぞれにいろんな問題を抱えながら結婚したり、離婚したり、互いの事情で結ばれなかったりしている。私もいろんなケースを見てきたけれど、結婚しないで11年間、遠距離でがんばってる彼らのようなケースはかつて知らない。
 私には、彼らがどうするのがベストなのかはわからないけれど、本当に本当に、幸せになってほしいな~~~と思った。人の心配してる場合じゃないんだけど、それでも彼ら二人ともを知ってるだけに、二人にとって最善の道が、ピカーーーーッと彼らの目前に輝いたらいいねぇ~と心から思った。
 翌日、キャサリンはデニーの実家があるタシックへ電車で出発した。互いの将来について、真剣に語り合い、2日後にはまたマレーシアへ戻ると言っていた。がんばれ、キャサリン!
 

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怪しいものコレクターのジョグジャ訪問

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 今日2月6日は中国系インドネシア人の皆さんの新年なので、ジョグジャは休日モード。
ところで、ジョグジャに戻ってきた1月末からこっち、ジョグジャでは連日のスゴイ雨。この前はジャカルタでも豪雨があって着陸予定の便10数本に影響があったばかり。毎朝、洗濯物を乾かすのもかなりの賭け。本当に雨季の雨は降り方が半端じゃない。

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 これは昨日の夕方の襲来。午後4時きっかりに、北のほうから空がどんどん暗くなってくる様子は、まるで昔見たヒーロー漫画で、悪党がやってくるときのあの黒い雲そっくり。そして降り始めからして、雨の粒がでかいから、
ポツ… ポツ…
なんておしとやかなものではなく、一気に
バチバチ! バチ~~~
とでかくなる。そして暴風。窓もドアも閉めているのに、隙間隙間からどんどん雨水が部屋に侵入してくる。とにかくスゴイ。
 降り始めて10分もたってないのに、家の前に泊めた私のスターレットはタイヤ半分まで水に浸かってしまった。

 ところでこんな雨季の真っ最中、日本からのお客様があった。
 少し話を戻すとこんな経緯。今年は日イ国交樹立50周年にあたり、さまざまな交流イベントが予定されている。その一つに、国際交流基金主催の美術イベント『KITA!』展があり、4月には日本のアーティスト(イラストレーターあり、劇団あり、料理人あり、パフォーマーあり、写真家ありの盛りだくさん)が20組40名インドネシアにやってくる。私はこのイベントのジョグジャカルタのコーディネートを手伝うことになったのだ。

 いらしたのは、『KITA!』展で写真作品を出品される都築響一さん。会場の下見と撮影を兼ね、ジャカルタ→ジョグジャ→スラバヤを回られるというので、私はジョグジャでの1日をアテンドすることになったわけだ。
 ジョグジャのメイン会場となるのはジョグジャ・ナショナル・ミュージアム(芸大旧校舎)なので、まずはここへお連れした。私には裏方として、この会場のすべての展示室のサイズを測るという任務があったため、2人のスタッフに手伝ってもらって測量。

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 ジャカルタでハードスケジュールをこなしてこられた都築さんはミュージアムのカフェでお茶して待っててくれた。一汗かいたので私もアイスティを頼んで椅子に座った。次に訪問する写真家集団のアートスペースへ行く前に、ここでお互いの自己紹介が始まった。
 話してみて驚いたことに、都築さんって私は昔から知ってる人だった!いや、人を知ってたというのは正確ではない。エロものやゲテもの好きな私に、昔友人が、
「あんたの好みそのまんまの本が出たんだよ」
と教えてくれたのが、なんと都築さんの作った本だったのだ。
(参考本『ROADSIDE JAPAN-珍日本紀行』ちくま文庫)

 彼のコレクションといったら、鳥羽や伊勢の秘宝館展示物写真(鳥羽に至っては、閉館したときに展示物を買い取ったくらいのマニア!)、今消えつつある昔ながらのラブホの室内写真、各国の田舎にある地獄を現した彫刻物などなど、すべてが私のツボにぴったりで、資料を見せてもらうなり、私一人で大興奮。
「だったら都築さん、私の故郷にある五色園とかも知ってます?」
かなりマイナーな話題を出してみたら、さすが!ちゃんと知ってるどころか、作った職人について彼のレポートが『ART IT』に掲載までされていた!

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 この五色園は愛知県日新町にある宗教レジャーランドで、人間よりちょいデカいサイズのコンクリート彫刻は怖おもしろい。私はこの近くの芸大に行ってたので、昔は肝試しの場所としてもこの場はよく使ったもんだ。この場所すら都築さんは知っていた!もう、これは私の大師匠だ。
 この辺から完璧に都築さんのツボがわかってきた私は、インドネシアの怖おもしろモノ、エロ怖いものなどなどの体験や情報を提供。わずかな時間ではあるけれど、私にとってはかなり充実した時間だった。もっと時間があったなら、一緒にインドネシアのエログロ巡りもできたのに残念…。

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 こちら、メイン会場とは別に予備のスペースとして候補に挙がっているMES56。ジョグジャの写真家集団が運営している場所だ。リーダー格のアンキに、都築さんの秘宝館写真集、ラブホのインテリア写真集など見せたところ、やっぱり彼も大感激。ぜひぜひこのシリーズをインドネシアで展示してほしい!とかなり切なる願い。私も同じく。

 エログロ話をしている中で、都築さんの興味がオカマにあることもわかったので、移動先のスラバヤでオカマツアーができるよう、私の知り合いを紹介した。昨年私が作った日本語情報誌『スパークリング・スラバヤ』、その依頼主であるユサクおじさんなら、スラバヤの高級オカマクラブも知ってるに違いない。楽しいエログロツアーしてきてください~、都築さん。

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ジョグジャ・ビエンナーレ終幕ライブ

今回ジョグジャに戻ってきて、ギリギリ「ジョグジャカルタ・ビエンナーレ」に間に合った。今回で9回目となるジョグジャのビエンナーレは、毎回必ずいろんな問題が起こって、企画したキュレーターもアーティストもどこかしこで友達をなくすというイベントになっている。
 今年のビエンナーレは、ちょうど私の帰国に重なっていたので、内情をリアルタイムで知ることはできなかったけれど、噂好きの私のところには、黙っていてもいろんな話が入ってくるからおもしろい。今年の一番の問題は、お金欲しさにキュレーターが「売れる」作品を作っているアーティストばかりを選考し、挙句の果てにはビエンナーレ出品作品をオークションにかけてコレクターに売り、何パーセントかを自分たちで分けようって話にまで発展してたそうで、結局そのアイデアは参加作家サイドからも大ブーイングだったために流れたらしい。

 そんなお騒がせビエンナーレも今日で幕を閉じた。
 最近のジョグジャ・アート・シーンは音楽と抱き合わせのイベントが多い。アーティスト自身がバンドを持っているというケースも若手にはたくさんあって、自分の展覧会のオープニングに自分のバンドが演奏することもよくある。中には、作品の質の悪さを無理やり音楽で隠してるんじゃないかと思われるような場合すらある。
 
 そして今日の閉幕式。3会場を使ったビエンナーレの幕を閉じるライブは、ジョグジャの国立芸術院(ISI)の旧校舎、今は改装してジョグジャ・ナショナル・ミュージアムとなったその場所の広場で行われた。ここは今年4月、日イ国交樹立50周年記念の事業として、国際交流基金が開催する『KITA!』展の会場にもなる場所だ。私はその事業に現地スタッフとして関わっているので、そっちの視点からも、今日の閉幕式には興味があった。

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 始まりは午後3時とあったけれど、私が着いたのは午後8時過ぎ。てっきり、もう来てる人の大半が泥酔状態かと想像してたけれど、意外にもまだあまり盛り上がってない様子。敷地中央にある大きな菩提樹の木の下に3つのテント型ステージが設置され、バンドの演奏が始まっている。

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 日本でもそうかもしれないが、ジョグジャの展覧会というのは、日ごろ会えない友達に一気にまとめて会える機会、そして噂収集できる場でもある。特に私は今回3ヶ月のブランクを空けての公の場だったので、懐かしい人がたくさん。中でもかなり久しぶりにあったのがリカ。こうしてみると日本人にもみえる彼女は中華系インドネシア人。数年前には私の家に半年ほど居候していたテキスタイル系の作家。

 そうこうしているうちに、ジョグジャの芸術院出身者(現役もいる)で作っているバンドの登場。インドネシアの大衆音楽ダンドゥットを彼らなりにアレンジしたオリジナルの曲は、芸大生ほかジョグジャのアーティストに絶大な人気。このあたりになると、ようやくステージ前に出て踊り出す輩も出てきた。私は久しぶりのジョグジャの空気に触れ、すでにビール大瓶3本目に突入。

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 どんどんライブは佳境にはいり、カメラを持つ私の手もブレる。
 踊りながら、ふと気づけば、今日はスハルトのお葬式。今頃、インドネシアを思うがままに操ってきたあの独裁者の亡骸は、ジョグジャの隣町ソロへ運ばれているだろう。そんなことお構いなしに、私の目の前ではジョグジャの若きアーティストたちが、群れになって踊り興じている。すごいコントラスト。そういえば、ほんのちょっと前には秋篠宮夫妻がジョグジャを訪問していたんだっけ。秋篠宮夫妻が帰国したと同時にスハルト昇天ってことか。これも不思議なタイミング。

 12時もとっくに回っているのに、ジョグジャ・ミュージアムの広場にはまだたくさんの酔っ払いが残って、今日びジョグジャで流行のDJの回す音にあわせて身体を動かしている。老体は明日が怖いので、ここらで引き上げることにした。

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 駐車場に向かう途中、敷地内の集会所を使ったティタルビー(Titarubi、インドネシアの有名なアーティストAgus Swageの妻。シンガポールビエンナーレには夫婦で共同作品を出品)の作品を見た。3日前、昼間に見たときには照明がOFFだったのでわからなかったけれど、なるほど、夜はキレイだった。これらも明日にはすべて撤去される。

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大阪~バリ島~ジョグジャ

 長かった日本滞在も終わり、ミゾレ降る中朝6時26分の新幹線で名古屋を出発、関西空港へ向かう。お願いだから今度帰る時までに、名古屋直行便再開しててほしい。ホントに頼みます。

 夕方にはバリ島のングラ・ライ空港に到着。到着のちょい前には機長から案内が入る。
「今、皆様の左手に見えますのが、バリ島の聖なる山、アグン山です」
天気もよく、雲からちょこんと頂上を出したアグン山を拝むことが出来た。

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最近私のバリの家族は、子供たちも大きくなったので運転できる人材が増えた。昔は兄貴であるマデ・サナしか運転できなかったのに、娘も、甥っ子も今じゃ立派なドライバー。今日は甥っ子の運転に兄貴の息子フォギーがくっついてきてた。
 測らずも今日はバリの祝日ガルンガン、甥っ子とフォギーはバリ男児のしゃきっと清楚な正装で迎えてくれた。なんだかカクさん・スケさん従えた黄門様の気分で嬉しい。
 
 ちょうどバリの家族の家のある町では、町内に祀る神様の祠が御開帳。家族のみんなで夜の10時からお寺に行くことになった。こんなこともあろうかと、今回はちゃんとクバヤ(バリ女性の正装)も用意してきたから大丈夫。日本で着物習ってからクバヤを着てみると、キレイに見せるためのツボみたいなものは同じような気がした。新たな発見。

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 翌24日夕方の便でジョグジャへ。バリでゆっくりもしたいけれど、ここまで来ちゃうとジョグジャに残してきた2匹の犬たちに早く会いたい。3ヶ月ぶりに犬たちに会ったら、30分ほど興奮と感動で泣きおさまらなくて大変だった。でも元気に待っててくれて嬉しいなぁ。留守を守っててくれた犬守のオバチャンにもしっかりお礼を言わなくちゃ。

 そして25日はいきなりのアルバイト。
 東京のとある美術館が主催する展覧会で、インドネシアから2名のアーティストが選ばれたのだ。チーフキュレーターである若い男性Hさんが、作品だけではなく作家本人にも会っておきたいということで、今回日本に帰ったときにアテンドを頼まれた。
 運良く選ばれた2名は私もよく知っている人だったし、28日まで開催している「ジョグジャカルタ・ビエンナーレ」にもお連れできる。通訳や翻訳の仕事でも、内容が美術関係だと本当に楽しい。

 選考したアーティストのスタジオ訪問は午後にして、まずはビエンナーレの3会場を回った。
 最初に行ったのはジョグジャカルタ芸術院(ISI)の旧校舎を改装して作ったジョグジャ・ナショナル・ミュージアム。まだ100%完成ではないけれど、ここだけでも50余の作品が展示されていた。
 私が帰国する前にはまだガランとしたボロ廃校だったのに、こんな立派に改装されたとは驚き。

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 今年のビエンナーレは3会場で同時開催、中でも私のバリ人の友人リヨンが自費で作ったスペース、サンクリンの立派なのには驚いた。2フロアあって採光もいい感じ。30台半ばにしてこんな展示スペースを個人で持っちゃえるからインドネシアはスゴイ。

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 そしてようやくHさんのご希望だったアーティストにご対面。
 私はどっちとも同じくらいに親しく、彼ら2人は同い年のくせに親分・子分のような関係なので、インタビューは終始ほのぼのモード。東京からいらしたHさんが32歳、選ばれた2人は38歳、冗談のツボもほぼ重なってるようだ。

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 熱心に2人のドローイングに目を通していたので、仕事が終わったのは7時を回っていた。一仕事終えてホッとしたHさんに、少しはジャワらしいものを見せようと、オススメのジャワ音楽ライブを聴きながら食事のできる場所へお誘いした。ここで乾杯~。お疲れ様です。

 ジョグジャの家を半日かけて掃除して、さっきメールをチェックしたら、名古屋のアートライター田中由紀子さんから、お知らせがあった。彼女が執筆に関わっている美術情報サイト『PEELER(ピーラー)』に先日の個展レビューが掲載されたとのこと。
 興味ある方は『PEELER』をご覧頂きたい。

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 ミゾレに送られて日本を去ったら、私を待ってたのは摂氏30度のインドネシアだった。Hさんの調査アテンドでは、夕方からド派手なスコールにあい、今日もまた午前中のてとつもない(名古屋では「どれだけない」という)蒸し暑さの後でドラム缶ひっくり返したような雨が降った。そうしてると足首周辺を蚊に狙われている。
 急な30度の温度差、日本じゃ今回見なかった蚊、冬から一気に真夏状態で、老体は少々戸惑い気味だけれど、またこの島での日常が始まるんだなぁ・・・。

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東からのEメール

 新しい年が来たので、あの中部ジャワ地震は2年前のことになった。あの時、私がふとしたきっかけで始めてしまった救援活動を一番支えてくれたのが、東幹久に似たチャハヨだった。あの時以来、私は彼をこのブログ内で「東(アズマ)」と呼んでいるので、てっきり私が日本人青年と活動していると思っていた人もいた。
 地震がきっかけで、あんなに仕事のできる責任感の強いインドネシア人と知り合えたのは私の最大の収穫だったと今も思っている。現在愛知県美術館展示室6で開催中の私の個展『交換プロジェクト’07~アジアの記憶~』で上映しているドキュメントビデオの日本語字幕も、彼が手伝ってくれたものだ。

 昨日、彼からメールがきた。ボランティア精神の塊のような彼は、今回もやっぱり、大雨で被災しているソロにいた。以下、彼からのメールの内容をそのまま訳して今日の日記とする。写真も彼のメールに添付されたもの。

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「ハロー。新年おめでとう、ミドリ。
この新しい年が、僕たちみんなに成功をもたらしてくれるように…
大晦日の夜、ジョグジャでは雨は降らなかったらしいよ。僕はまだソロにいるから、これは友達の話だけどね。ソロじゃあまだ洪水と土砂崩れの毎日だよ。

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ミドリ、インドネシア人ってのは、本当に恥知らずだと思うよ。大晦日の夜、ソロの街じゃあ若いヤツらでいっぱいでね、でもそのほんの100メートル先の村では、洪水で住む家も食べ物も失った犠牲者たちがいっぱいいて、寝る場所すらないんだよ。考えてごらんよ、そんな人たちを見たら、ドンチャン騒ぎなんてできないはずだよね。

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ミドリ、救援物資もそれなりに入ってきてはいるよ。ただ、君も知ってるように、なんてったってインドネシア政府のやることだから、いまだに災害から何も学んでないな~って思うよ。住居がすべて崩壊して、すべての道具類も壊れてしまっているんだよ、なのにインスタント麺を救援して、いったい何を使って調理するっていうんだよ?おかしいだろ?
だから、今僕らの仲間で、犠牲者には簡単な台所用具と大工道具を救援物資として運ぶようにしているんだ。もしもミドリの日本の友達が、またこの活動を手伝ってくれるっていうなら、それはとても嬉しいよ。でも君のブログを読んだ人が、ここの犠牲者たちのことを想って祈ってくれるだけでも僕らボランティアは元気が出るよ。

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去年の暮れに、ミドリんちの近くを通ったよ。家の前もキレイになってたよ。家の前のワルン(屋台)でお茶してたら、嬉しいことに家の中からティルム(私の飼っている犬)の泣き声も聞こえたよ。元気そうだったから嬉しかったよ、ハハハ…
今日はそんなところかな。日本での展覧会、成功するように祈ってるよ。早くインドネシアに戻っておいで。そうだ、何枚か写真を添付するよ。もしブログでアップしたかったら自由に使ってくれていいよ。
ありがとう。

チャハヨ」

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