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フィリピンでのみっけもの特集

 一ヶ月のフィリピン滞在が終わった。北部のバギオで3週間、首都マニラで5日間、バギオからずっと北へ上って山の奥に入ったキブガンで合計5日間を過ごした。新しい人、新しい食べ物、言葉、風習・・・、毎日毎日が楽しかった。

 インドネシアから一緒だったササンと一緒に楽しめたのが言葉。フィリピンの公用語タガログ語には面白いほどにたくさんインドネシア語と同じ単語があった。彼らが話してるのを聞いて、
「え?待って!今なんて言った?!」
なんてことが何度もあり、私とササンが話しているのを聞いたフィリピンの友人が
「わ~!インドネシアでもそう言うの?」
と驚いていた。
 右(カナン)、傘(パユン)、濡れる(バサ)、値段が高い(マハル)、かわいそう(サヤン)、茄子(テロン)、ジャックフルーツ(ナンカ)、糸(タリ)、鰐(ブアヤ)などなど、ほぼ毎日、誰かがインドネシア語とタガログ語の共通単語を見つけては喜んでいた。

 今日は今回の滞在のみっけもの写真を集めた。
 まずはなんといってもハロハロ。先回も食べてはみたけれど、ここまでハマったのは今回初めて。店によっても、場所によってもトッピングに違いがあってこのローカル・デザートは奥が深い。ここにあるのもすべて「ハロハロ」だけど、盛り付けも様々。私の結論として、高級なチェーン店のレストランが出してるハロハロよりも、ローカル・マーケットのものの方が安くて美味い。
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 ローカル・マーケットで子供たちが売ってるリサイクル・バッグ。大が10ペソ(25円)、小が5ペソ12円)。マーケットにマリコさんキッズと行くとかなり便利。彼らは公用語のタガログ、お父さんの里の地方語、マリコさんが教えた日本語、そして学校で使われる英語と、なんと4言語を使いこなす。バイリンガルの2倍ってことか。このバッグはアラシに値切ってもらって購入した。

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yoyo2.jpg 私のヨーヨー好きを聞いたキドラが、ある晩見せてくれた木のヨーヨー。かなりの年代物。彼の知人の歯医者さんが、自分の商売道具を使って彫ったものだという。彼の次男で、今回私とグループ展で一緒に出品しているカワヤンが小さい頃にもらったというから、すでに30年近くたってるってことか。カワヤンのおもちゃ箱から出てきたといってお披露目。糸がなかったので、早速私がTAKA師匠からいただいた紐をつけてあげたらキドラ親父、大喜びで遊んでいた。

 キドラ親父なんて呼んでいるけれど、キドラット・タヒミックは世界的に有名な映画作家。1977年に作った『悪夢の香り』はベルリン国際映画祭で批評家賞を受賞し、その後アメリカの映画祭で紹介されたこの作品を見て、あのフランシス・コッポラが大絶賛、アメリカでの映画配給が決まったというくらいの人。第50回ベネチア・ビエンナーレにもフィリピン代表として招待され、映像インスタレーションを発表している。
 ある晩、台所でゴソゴソ物音がするので起きて覗いたら、彼が一人で黙々とインスタレーションを考案中だった。世界的な作家の作品作りの生現場を見ることができて、一人感動。さらに、彼からこのアイデアに対して意見を求められ、私が言ったアイデアを
「お~、そりゃイイねぇ・・・」
と彼が聞き入れてくれたのが何よりも嬉しかった。

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 彼のこのインスタレーションは、6月12日マニラのSilverlensで彼の三人の息子の写真展が開催されたとき、パフォーマンスの小道具として使われた。

 たくさんの人との出会いがあった中でも、キドラの次男カワヤンと一緒に展覧会できたことや、

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 キブガン村にこもって黙々と粘土をこねてるセラミック・アーティスト、レイ君の饒舌なるガールフレンド、チチちゃんに出会えたこと、もっともっとたくさんのヤル気いっぱいの人たちに出会えたことがやっぱり一番の収穫だと思う。今回出会った人との縁が、つながり、広がって、また新たな企てに発展していくのを楽しみにしている。

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あさっての午後にはバリに向かう。バリではヒンドゥー教の祝日ガルンガンが待っている。

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バギオの懐かしい人たち

 ジョグジャに戻って2日目。ようやく家の中が日常に戻ってきた。
 とはいえ。今度は25日にバリへ発ち、27日になる午前00時15分のガルーダ便に乗り、関空経由で帰国。だからトランクを片付ける間もなく、中身を入れ替えて一時帰国の準備中~。

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 すでにバギオの面々が恋しく想い出される。
 一番長いこと一緒にいたのはCGN(コーディレラ・グリーンネットワーク)代表のマリコさん。今回私がバギオに一ヶ月滞在できたのも、彼女のNGOが主催する『国際環境デー』の中の美術展で招待を受けたからだった。フィリピンではちょうど学校が夏休みに入っていたので、彼女のかわいい三人のキッズともほとんど毎日顔を合わせた。末っ子のキカはお母さんに似ていつも笑顔だった。

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 次男のビーちゃん。私の大のお気に入り。9歳にしてクールな彼は、長男アラシのように交際上手ではなく、末っ子キカのように甘え上手でもない。ちょっと翳りのある雰囲気がなんともかわいくて、将来有望(きっと私の好みの青年になる!)な少年だった。
 マリコさんが忙しくしている隙を見て、私は「バッタママ(偽のママ)」になって彼らと遊んだ。彼らも私を
「バッタママァ~~~!!!」
と呼んでしたってくれた(と思う)。

 思い切りタイトなスケジュールの一ヶ月ではあったけれど、クレー・ワークショップ後、野焼きする作品を乾燥させている間に、マリコ・ファミリーと一緒にバギオから車で30分ほどにある温泉&プールにも行けた。ちょうどこの日に、日本から「ナショナル・ヨーヨー・コンテスト2007」で私のデザインが採用された、その賞品のオフィシャル・ヨーヨーを送ってきたので、わが「バッタ・キッズ」三人にいきなりプール・サイドで指導始めたり・・・

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 アメリカ人の父とフィリピーノの母を持ち、アメリカはカリフォルニアで生まれ育ち、5年前に父の故郷フィリピンを訪れて以来、フィリピンに恋してキブガン村に住み着き、陶芸工房を主宰しているレイ君。今回の『国際環境デー』のワークショップで、私とササンを彼とくっつけて野焼きイベントをするようにアレンジしたのはマリコさんだった。

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 もとはエンジニアとしてアメリカの海外協力隊員としてフィリピンにやってきた彼が、陶芸に興味をもち、今ではバギオからもっと山奥に入ったキブガン村で村興しとしての陶芸を一生懸命に盛り立てている。陶芸に関して真摯な彼の姿は、ササンと並んでとっても魅力的だった。

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 そんな野焼きを手伝いに来てたのがマニラの都会からやってきた若きアーティスト三人組(左から2番目はインドネシアから一緒に行ったササン)。彼らはUP(フィリピン大学)美術学部出身で、我々の野焼きワークショップに興味をもって参加。
(CCPでの展覧会を見に来てくれた彼らと記念撮影。左から2人目はインドネシアのキュレイター、ササン)

 みんなデカくて横にも幅があるので、私はこっそり「マニラの相撲部」と呼んでいたのだが、これがなんとマニラでも有数のお金持ちの坊ちゃまたちだったのだ。でかいズータイしながら、野焼きのための枝をちょっと運ぶだけで汗ダク、ついには途中で枝を置いて退散するという始末。
 枯れ枝に近い細さのササンが、結局は相撲部の枝も持って山を何往復かするはめになったという。ご苦労様~。

 そして無事野焼きを追え、キブガン村からジープで5時間かけて会場のVOCASへ運んだ私の瞑想猿。しっかりとVOCASの壁面に設置され、会期の終わる7月5日以降も、この作品はこのままVOCASの常設作品として残ることになっている。私の猿がずっとバギオにいると思うと嬉しい。

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 今回一ヶ月居候させてもらったのは、キドラ・タヒミックの実家。彼とは今回、私の個展でコラボレーションを果たした。フィリピンを代表するドキュメンタリー映画作家である彼が、私の交換プロジェクトに同伴し、フィリピンの村人と私の作品を交換する様子を16分のドキュメント・ビデオにしてくれた。現在も我々の作品はVOCASにて展示中。
 彼のお母様はバギオ市の最初の市長で、フィリピンで最初の女性市長。時代は第2次世界大戦後。バギオに美女の市長がいるというのは国中の話題だったらしい。実際、過去の新聞の切抜きなど見せてもらっても、お母様(今は96歳)の姿はどっちかったら女優。
 スクラップの中に、インドネシア初代大統領スカルノと一緒に歩くお母様を発見!

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 15年近くインドネシアで暮らしてきたけれど、スカルノと接したという人から、実際にスカルノがどんな人物だったのかを聞いたのはこれが初めて。どこにでも恋人を作ることで有名だったスカルノなので、もしやこの美しいバギオ市長にも甘い言葉をかけてたんじゃないかと思って、なにげ~~にお母様に聞いてみたら、
「オォ~。ノーノー・・・。ヒー イズ ベリィ キュート。ベリィ ナイス ガイ。ウィ~ ア~ グッド フレンド、ホホホ・・・」
とのことだった。

 とっても濃いフィリピンでの一ヶ月。落ち着いたら、今回GETしたおもしろグッズなどなども紹介しようと思う。

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「バタアン死の行進」の道を訪ねて

 ついにバギオを去る日がやってきた。この一ヶ月お世話になったキドラ宅のみんなにお別れをいってマリコさんのオフィスへ。バギオからクラークの空港までは、マリコさんが車と運転手を用意してくれた。もともと、最終日にはクラーク周辺に今も残る第2次世界大戦に縁ある場所を巡りながら空港まで行きたいと話していたので、地の利に詳しい人を用意してくれたのだった。
 
 話は、私が2年前初めてフィリピンを訪ね、ナショナル・ミュージアムのコレクションで日本軍の非道な行為を描いた一枚の絵画を見たところまで遡る。初めて知った「死の行進(Dearh March)」の事実・・・。
 昨年フィリピンで初めて開いた個展の作品「The Back of Affection」はこの「デス・マーチ」が大きなモチベーションとなっている。そして今回キブガン村の奥地に入り、お年寄りを訪ねては自分の作品を交換してもらったのも、すべての始まりがこの「デス・マーチ」だった。だからフィリピンを去る前に、縁の地を訪ねたかったのだ。

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 バギオからクラークへと南下しターラックを越えてすぐに「Capas National Shrine」の標識が見えてきた。ここで大通りを右折して小さな道へ入ると、1キロごとにこの塚が立っている。その名のとおり「死の行進塚」だ。

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 そして10ペソを払ってフィリピンの軍用地に作られたナショナル・シュラインへ入る。
 ついこの前マニラで4日を過ごしたとき、日中に街中を30分歩いただけで目眩がして喉がカラカラに乾いた。1942年、日本軍の捕虜になったアメリカ兵11,796人とフィリピン人74,800人は、100キロ以上もある長い長い道のりをわずかな食料と水だけで歩かされた。生き残ってCapasに着いたのはアメリカ兵9,300人、フィリピン人45,692人。その後に空腹と病でさらに30,000人の人々がこの世を去ったというからまさに「死に向かう行進」だったといえる。

 今日はとてつもなく美しい晴天。ちょっと車から出るだけでもザッと汗が流れ出る。彼らの道のりはいったいどんなだったのか。少しでも列から外れたら打たれ、弱って座り込めばその場で殺されたとうう。今日のため息が出るほど澄んだ青空を眺めながら、65年前の彼らが見た空は何色だったのか想像してみたけれど、私にはわからなかった。ただただ涙が出た。酷いとか、かわいそうとかという言葉では言い切ることのできない切なくてたまらない涙が溢れた。

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 記念塔は3本の柱が一つの大きな塔となって天に向かって伸びていた。1982年にバタアン死の行進40年を記念して建てられ、1991年にアキノ大統領がこの場を記念塔として認めた。3つの柱は日本、アメリカ、フィリピン。三国がこの悲劇から多くを学ぶようにと作られたのだと説明があった。

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 ここからさらにクラークへ向かうと、大通りに面して大きく「神風」と書いた標識が見える。一ヶ月前マリコさんのお迎え車でバギオへ向かうときに見つけて気になっていた場所だ。
 入り口には日本語の大きな解説文があった。マバラカット観光局長からの言葉で、
「観光局が神風平和記念公園の建立を推進した理由は、神風特攻隊の栄光を賞賛するためではなく、その歴史的事実を通じて世界の人々に平和と友好の尊さを訴えるためです。このような不幸な出来事を二度と繰り返さないと誓う場所となることを祈念するものです (中略) かつて何の変哲もなく長閑なマバラカットの街が神風発祥の地として第二次世界大戦中の太平洋における戦場で歴史を刻むと誰が想像したでしょう・・・」
とあった。

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 日本本土を防衛するための、死に物狂いの体当たり手段「神風戦術」が広まったのが、このマバラカット基地からだということも、今日初めて知った。

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 フィリピン滞在最後の日に、この二つの場所を訪ねることができて本当によかった。私の文章力では今日感じたことの半分も書き表すことはできない。若い世代がどんどん生まれてきて、第二次世界大戦が日に日に風化していく中で、私はお爺ちゃん子だったこともあって戦争は他人事ではない。人間の狂気がここまでの悲劇を生んでいくことを、その事実があった場所で知り、少しでも感じることができた今日は、私にとってとてもとても貴重な1日だった。

 今19日の午前3時半、シンガポール空港でジャカルタ行きの飛行機(午前7時30分発)を待っている。あと10時間もしたらジョグジャに戻って犬たちと再会して、またインドネシアでの日常が始まる。けれどこの1ヶ月間の貴重な体験は、きっと何らかの形で私の行き方にも影響していくのだと思う。AC効きすぎの寒い寒い空港にて。

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最後の晩餐:恩返しのディナー会は海老天麩羅

 思えばあっという間の一ヶ月だった。あと2回寝たら、もうバギオとはお別れ。早い~・・・。
今回バギオでず~~~っとお世話になったキドラ・タヒミックんちには彼のお母様がいらっしゃる。96歳になるこのお母様は、フィリピンで最初に女性で市長になった人だ。今も元気に新聞にコラムを書いたりしているステキなお婆様。
この一ヶ月ほとんど毎朝、彼女と一緒に朝食を食べ、雑談をしてきた。最後に彼女のために何かしたかったので、私にできる唯一の恩返しとして、日本料理を作ることにした。

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 VOCASでのグループ展と個展をコーディネートしてくれたCGN(コーディレラ・グリーンネットワーク)代表のマリコさんにも今回は本当にお世話になった。今回の個展も7月5日の最終日まで私が滞在してられないので、作品の搬出と日本への輸送は彼女にお願いした。最後の打ち合わせでVOCASへ。その後、マリコ・キッズと、数日前に沖縄からフィリピンに着いたばかりのバスケタリー・アーティスト、Oさんと一緒にバギオのローカル・マーケットへ。
 
 今回はほとんど自由時間がなかったので、海外に出たらたいていは徘徊するローカル・マーケットを訪ねるのはこれが初めて。
 VOCASでのグループ展に参加のため、インドネシアから一緒にやって来て1ヶ月を過ごしたバンドン工科大学教授のササンはイスラム教徒、外食するたびに豚肉が入ってないかチェックするのが大変だったなぁ~。そんな時に一番安心して注文できたのがバングスという白身魚。かなりポピュラーな食材のようで、キドラ宅でもよく食卓に並んでいた。

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 今日の恩返しメニューは天麩羅にした。ちょうどマリコさんから和風だしをたくさんもらっていたのでこれを使用。さらに、タイミングよくOさんが土産にくれた「もずく」でお吸い物も作れた。
 元市長さんのお宅には、数人のメイドさんもいる。毎日毎日私とササンにもとってもよくしてくれた若い彼女たちにも私の天麩羅をご馳走したかったので、今晩はメイドさん関係5人、キドラとお母様、私とササンの4人で合計9人分の天麩羅クッキング。具には海老、フィリピンの白身魚、サツマイモ、ピーマン、ナス、玉ねぎ。

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 せっかくなら、作り方を覚えてこれからも日本料理好きなキドラに作ってあげられるようにと、若きメイドさんにも作り方指導。キドラ宅の台所が今晩は「天麩羅ワークショップ」と化した。まずは箸の持ち方から教授。それを見てお母様も大喜び。

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 正直なところ、あまりカラっとは揚がらなかった。
「日本ではカラっとしてる状態でいただくために、食べる人が食卓につく時間を見計らって揚げるものなのよ~」
ともっともな言い訳してメイドさんたちに試食してもらった。
「サラァ~~~ップ!!!(美味しい~~~)」
と賞賛されてホッとした。

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 メイドさんたちに、この料理に合う器も教えたので、フィリピンにいてもこんな感じで日本食を準備することができた。昔から山形ドキュメント映画祭の常連で、埼玉にある竹寺とも縁の深いキドラは大の日本食好き。何度か日本に来たことのあるササンも日本料理は大好き。
 一番喜んでほしかったお母様も、天麩羅のつゆがお気に召したようで、
「ディス イズ ベェリィ ナイス。ホホホ・・・」
を連発してくださった。よかったぁ~~~・・・。

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 そしてダイニングで記念撮影。
 なんと、インドネシアの初代大統領スカルノと同じ席で食事をしたこともあるこのお母様と、今回の私の個展のコラボレーターであるフィリピンを代表する映画作家キドラ・タヒミック、そしてインドネシアの親友であり素晴らしいセラミック・アーティストであるササンとのこの一枚は私の貴重な思い出の一枚になるだろう。

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マニラ最後の日

spicyveg.jpgdinner.jpg 昨年の8月には1ヶ月を過ごしたマニラだけれど、今回のフィリピン滞在のメインはバギオだったために、マニラには4泊4日しかいられなかったことになる。昨年知人のMさんを通じて知り合ったマニラ在住で若手アーティストの「肝っ玉母さん」、ディジーさんちでお世話になり、CCPでのオープニング(14日)の翌朝一番でバギオに戻るつもりだったのだけれど、
「何言ってるのよ、せめて私の作ったランチを食べてから行ってちょうだい。ミドリの友達をみんな呼びましょう」
ってことになり、リターン・バギオは夜に延期。

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 でも、こういう席をもうけてもらうと、会いたいと思ってる人にまとめて会えるから嬉しい。それにデイジーさんの手料理はとっても美味しいし。

 ってことで今日集まってくれたのは、UPディリマン美術学部で教鞭をとっているジェリー・タン、昨年のアテネオ・アワード(フィリピンで大きなアート・アワード)で大賞をとった期待のアーティスト・ポックロン、若手のチャイニーズ系女性アーティストMM、ロック歌手でありペインターでもあるロメオ・リー。
 本当はこの他にも会いたいアーティストの友達が数人いたのだけれど、連絡が取れなかったり仕事が入ってたりして来ることができなかった。

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 写真を使った平面作品や、ビデオ作品を精力的に制作しているポックロン。彼はマニラ周辺で唯一のアーティスト・ラニング・スペース「Future Prospect」の主力メンバーでもあったのだけれど、今日会って近況を聞いたら、ここも結局は自主運営が難しく、今年早々にCLOSEしてしまったという。とっても残念・・・。

 この後、ジェリー・タンが三人展を開催しているロペス・ミュージアムへ案内してくれた。
 デイジーさんちのあるケソンからマカティまでは大々混雑していて、タクシーで1時間以上もかかってしまった。さらに思いの他に展覧会がおもしろかったので、ゆっくりしてたらバスの時間が近づいていた。ランチのとき、午後9時のバギオ行きバスに乗る前に、近くにあるポックロンのスタジオへ誘われていたのだけれど、マニラの渋滞は東京もジャカルタもかなわないほどスサマじい。バスに遅れるわけにはいかないので、ポックロンとはまた再会することを祈り、マカティから市バスでターミナルに直行。

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 今回初めてマニラでAC付市バスに乗ってみた。日本の中古バス使用、TVまでついててヘンな感じ。吊り手についてる広告のデザインからして、かなり古い田舎の路線バスのお下がりと思われる。「この次止まります」ボタンを試しに押してみたけれど、案の定なにも反応はしなかった。

 午後8時にターミナルへ到着。
 まだ1時間あるけれど、かといってポックロンのところへ行ってるだけの余裕はないので、近くの安めのレストランで休憩。夕飯にオーダーした「スパイシー・ベジー」というベジタリアンな炒め飯が意外にも美味しくて得した気分。

 午後9時にクバオを発ったビクトリー・ライナーの長距離バスでは3度のトイレ休憩も記憶にないほど熟睡、バギオ到着は午前3時だった。たかが4日空けただけなのに、なぜかキドラの家はもう自分の家みたいな感覚になってて、
「帰ってきたぁ~~~~・・・」
って安心感。で、さっさと床に入る。

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POPSCAPE –Every day in Indonesia』展OPENING

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ようやく今日は展覧会のオープニング。今回5月18日にフィリピン入りし、バギオでのグループ展と個展オープニングを済ませ、そして最後の仕事、インドネシアの若手アーティスト5人を紹介する展覧会『POPSCAPE』が今日始まる。デイジーさんがお祝いに、朝からご馳走を用意してくれた。

 今回作品のインドネシアへの返却、展覧会オープニングのカクテルパーティをサポートしてくださった国際交流基金マニラ支局のディレクターBさんに挨拶に行き、日本料理のランチをいただいた後、マカティ周辺のギャラリー巡りをしてからCCPへ向かった。オープニングは午後6時から。

 会場に早めに入り、ササンと一緒に作品ディスプレイに問題がないかをチェック、さすがはパトリック、すべて完璧。作品とアーティストについてのキャプションも私がインドネシアから送ったデータがちゃんとパネルになって貼られている。

 今回の滞在で知り合った私と同じ名前の「ミドリさん(another midori)」がUP(フィリピン大学)の留学生を連れて見に来てくれた。彼はジンバブエ出身の青年で現在UPで建築を学んでいるという。すぐに聞いてみた。
「突然なんですけど、あなたヨーヨーやります?」
「あ・・・。名前は知ってます。遊んでいるところはTVで見たことありますが、私の国ではヨーヨーはありません」

オ~~!!! こういう人にこそ、ヨーヨーをプレゼントせねばっ!
「じゃ、ヨーヨーあげるから、練習しましょう。そしたらあなた、自分の国でヨーヨーの一番上手い人になれますよ!」
って言ったら、とっても喜んでくれた。
 いきなりCCPの美術館の中でヨーヨーやり始める我々を見て、Another Midoriさんもちょっとビックリ。

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とまれ、今日は展覧会のオープニングです。
 デウィ・アディティア。バンドン出身の女性アーティスト。日常目にとまったものを、プラスティックの皿をひっかいてドローイングしたものを展示。

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 ケニ。今回の中で最年少の女性で現在バンドン工科大学美術学部在籍。ポートレイトを動物や化石などと合わせて水彩で表現。ちょっと怪しげな、病的な表現が魅力。

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 プリラ。バンドン出身の女性アーティスト。ビデオ作品などもある中、今回は4mの黒い布に恐竜からエイリアンまで時代の流れに合わせたキャラクターを白糸で縫って表現した作品を出品。

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ウェダール、ジョグジャカルタ出身の男性。危険な目をした子供を描く。

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 OQ。バンドンで建築を学んだ後、写真作品を制作発表している。知人に好きな音楽を聴いてもらい、一番気持ちのいい状態になるところまで待ってその瞬間を撮影した白黒写真を展示。

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 オープニングは盛況。バギオからも何人かのアーティスト友達がわざわざ見に来てくれた。いつものことながら、オープニング時にはいろんな人が出たり入ったりして、紹介されたり紹介したりとムチャ忙しいのだけれど、少しおさまってからパトリックが私のところに来て
「みんなとっても興味もってくれてるみたいだから、成功だね。私たち三人に乾杯!」
と言ってくれた。

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今回の展覧会実現に関わった皆さんは右から国際交流基金マニラ支局ディレクターのBさん、CCP展示課ディレクターのシドさん、ナショナル・ミュージアム、キュレイターのパトリックD.フローレス、インドネシアからはバンドン工科大学講師のササン(本名はNurdian Ichsan)、そして私。人との出会いがいい縁を作り、想いが集まって一つの形になるということを自ら体験することができた貴重な展覧会となった。
 

 インドネシアの現代美術若手作家5名の作品を紹介する『POPSCAPE』展はフィリピン、メトロマニラのCCP4階ギャラリーにて7月29日まで開催中。

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マニラのギャラリー巡りとヨーヨー伝道

デイジーさんちには4匹の犬がいる。家の中を自由に動き回っている。朝起きたら、そのうちの一匹が私の足をなめていた。白のブルちゃん。

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 今回のインドネシア若手作家を紹介する『POPSCAPE』展キュレイター、パトリックはマニラにあるナショナル・ミュージアムの主任キュレイターでもある。今日は朝から彼と約束していたので、ササンを連れて出かけた。私は初めてのフィリピン訪問以来、今回で3回目の訪問。

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もと大蔵省の建物を使った博物館は外観もなかなか立派。今は中でパトリックがキュレイションした二つの展覧会が開催されていた。

 パトリックのキュレイションのおもしろいのは、博物館がコレクションしている古いものと、現代美術のような新しいものを、ある興味深いテーマにそって一緒に展示するところ。過去に何度もそうした方法での彼の展覧会を見せてもらったけれど、それぞれにとても見ごたえがあっておもしろい。

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バギオ滞在が長かった今回、キドラおやじから教えてもらって私が好きになったのがこの「ブルル」、米の神様。ナショナル・ミュージアムはこのブルルの小さいものから大きなものまで、たくさんコレクションをもっていた。

 さらにパトリックは、今年7月に正式にオープンする予定の、新しいナショナル・ミュージアムにも連れて入ってくれた。まだ一般公開はされていないけれど、中身は80%ほど完成している。かなり貴重なコレクションも入っているからまた公開後にぜひ訪れたいものだ。
 
 全部を見てたらかなり時間が経っていた。またMRTに乗り、今度はマカティにあるアヤラ・ミュージアムへ。これはフィリピンの大金持ちアヤラ一族がもってるミュージアム。私は昨年もうコレクション展を見ているので、今日はヨーヨー伝道を選択。昨年バギオで知り合った青年とアヤラ・ミュージアムのカフェで待ち合わせをし、ササン一人がミュージアム見学とあいなった。

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 シム君。彼とは昨年私が初めてバギオを訪ね、VOCASでアーティスト・トークを行ったときに知り合った。国際交流基金からもってったプロジェクターの調子が悪くて動かなかったのを、一生懸命直してくれたのがきっかけ。アメリカ人の伝道師の父(私とは違うのでヨーヨー伝道じゃなくてキリスト教の伝道)&フィリピーノの母をもち11人兄弟の2番目だか3番目だかの彼は、今はバギオを脱出してマニラで暮らしている。

 私がバギオに着いたとき、携帯電話のメッセージに
「バギオに来たよ~」
と連絡したら、早速バギオまで長距離バスで戻ってきてくれたのだけれど、私がキブンガンの野焼きに行かねばならず、惜しくもすれ違ってしまったことがあったので、今回ようやくマニラで再会実現したというわけ。
 彼にももちろんヨーヨーをプレゼント。思い切り人見知りする彼なのに、ヨーヨーをもったらいきなり饒舌になり、人通りのおおいアヤラ・ミュージアム正面のカフェにいるっていうのに、いきなり立ってヨーヨーやり始めちゃったから驚いた。でもそこまで喜んでもらえると嬉しい。
 TAKA師匠、フィリピンでのヨーヨー普及がんばってますよ~。今日の仲間は彼、シム君です!

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私が156センチ。一緒に立って写真撮ってみると、つくづくシム君の長身がわかる。「バギオで一番背の高いヤツ」と言われてるのも納得いく。少なくとも、この言葉少ない影のある青年が、ヨーヨーをもって笑ったってのが私には嬉しかった。別れる時も、歩きながらずっとヨーヨー回してた彼の姿がとってもかわいかった。

 アヤラ・ミュージアムから出てきたササンと、またも移動して今度はオルティガス駅にあるSMメガモールへ。このSMってのはフィリピンのどこにもあるシューマートというデパート。でもこのメガモールの最上階にはたくさんのギャラリーが入っていて、フィリピンの最新アート事情を知るには便利。今回は一つとってもおもしろい作品作っている若手の展覧会があって、みっけものだった。

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 マニラは疲れる。ジャカルタよりもひどい交通渋滞と、日中の異常な暑さと、排気ガス。さらにMRTでの移動でがんがんに効いたクーラーと外の蒸し暑さを繰り返すから身体がくたくたになる。メガモールを見終わったのが午後9時、ここからさらにタクシーを捕まえるのに30分以上のエントリー。くったくたでデイジーさんちに帰宅。明日のオープニングに備えて早々に就寝。

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都会マニラで展覧会準備

昨日の午前10時40分バギオからビクトリー・ライナー(バス)でマニラに向かった。3回のトイレ休憩を挟み、クバオに到着したのは午後5時半。昨年知り合ったフィリピン女性デイジーさんちに4泊お世話になることにしてたので、ササンも連れてお邪魔した。彼女はオーガニック野菜の農園を経営している。国際交流基金スタッフをしている私の日本の友人Mさんから紹介されて去年知り合ったのだけれど、彼女がいうようにまさに「マニラの若いアーティストにとっては肝っ玉母さん」。若いアーティストを金銭的にも精神的にもサポートしてくれる力強い母ちゃん。

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今回は私たちのために書籍部屋にマットレスを準備してくれた。彼女の大好きな料理の本でいっぱい、真っ白でとっても清潔なお部屋で快適。

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彼女の家は私が去年一ヶ月滞在したUP(University of the Philippines)の近く、UPビレッジにある。ここから展覧会場のCCPまではかなり遠い。そこでササンと二人でMRTを乗り換えて行くことに。昨年は一度も使う機会がなかったので今回初めて乗ってみたけれど、なかなか便利。でも山の手線の朝くらい混んでるから座ることはまずできない。

今回のフィリピン滞在で最後のイベントとなるCCP(カルチャー・センター・オブ・フィリピン)での展覧会『POPSCAPE』は14日がオープン。キュレーター・チームの棟梁であり、マニラにあるナショナル・ミュージアムのチーフキュレイターでもあるパトリックが、副キュレイターである私とササンの到着を待たずして、随分展示の準備をしておいてくれたので、会場に着いたらすでに2名の作品はキレイにセッティングが終わっていた。さすがはインターナショナルに活躍するキュレイター、パトリックだけある。

会場の様子を見て安心したところで、まずは三人の再会を祝ってランチタイム。早速インドネシアからの土産を渡してから聞いてみた。
「ねぇ、パトリックはヨーヨーできる?」
「アハ?オー、イエス。小さい頃は遊んだよ」

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というので、早速私の師匠TAKAさんから送っていただいた普及用ヨーヨーwithマイ・ロゴを献上。トリックを見せてもらうことはできなかったけれど、かなり喜んでいただいた。

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ランチ後にセッティングを始める。さすがイメルダ夫人が作ったフィリピンが誇るCCPだけあって、スタッフもしっかりしている。こちらが作品の位置を決めれば、ササっと動く技術屋さんがいるから、我々が作業服で働く必要がない。素晴らしい~。

今日12日、マカティにある新しいギャラリーではバギオでお世話になっているキドラおじさんの三人の息子、キドラJr、カワヤン、カブニャンの「3K」写真展のオープニング。作品のセッティングを午後5時までに終え、CCPからマカティにあるSilverlensギャラリーへ向かった。

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先にマニラ入りしていたキドラおやじに2日ぶりに再会。息子三人がすべて美術関係に進んで、今回のようにそれぞれにいい作品を見せていると、きっと映画作家の彼も嬉しいんだろうなぁ。日本の羽織をはおって立ってるのがキドラおやじ。ただのクレイジーなおやじに見えるかもしれないが、国際的に評価の高い映画作家であり、また2005年のベニス・ビエンナーレにフィリピンから招待されたアーティストでもある。

昨日の夜マニラに着いたばかりで、まだマニラの友人と会う時間がなかった。それに今回は4日間しか滞在できず、バギオにトンボ帰りになるので、前もって何人かに
「12日のSilverlensのオープニングで会おう」
と連絡しておいた。

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 一番会いたかったのがこのJOY、UPの学生でもあり、若きビデオ・アーティストでもある。彼女とは昨年8月私のマニラの個展で知り合い、ずっとメールでコンタクトをとってきた。私がインドネシアにいながらも、フィリピン特にマニラ周辺のアーティスト・ゴシップに詳しいのは彼女のおかげ。再会を祝ってパチ。

 三人息子の展覧会は盛況で、久しぶりの友人や国際交流基金のBさんなど懐かしい人にたくさん会えた。キブガンの野焼きに参加したマニラのアーティスト三人も来たし、レイ君も来たし、同郷で集まったみたいな気分で楽しかった。結局デイジーさん宅に戻ったのは午前1時を過ぎていた。

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ツーリストな1日

 昨日ローカル・マーケットで見つけることのできなかった小さな電球を探しに、バギオで唯一のショッピングモールSMへ出かけた。ここにはインドネシアでもおなじみの「ACEハードウエア」が入っているから便利。電気系は秋葉原みたいなちまちました店がたくさん入ったローカルな場所の方が本来好きなのだけれど、今回は時間が勝負。確実に商品が揃っているACEを選んだ。
 そして個展会場の照明用に電球を見つけ、VOCASへ戻って設置。ランチタイムに近かったために、店の職人さんにお願いすることができず、ササンに手伝ってもらって自分で配線も済ませた。

 午後からはちょっとツーリストでもしようってことになった。
 考えてみたら、バギオに着いてからこっち、ほとんど休みもなく動いていたし、ササンはキブガンの山篭りして野焼きの準備してたから、お互いにバギオの街をあまり歩いていないんだった。
 我々の展覧会の少し前から、写真展が開催されていたカフェ・バイ・ルインは観光客にも人気のスポット、昨年はじめてバギオを訪ねたときにもこのカフェに来たことがある。市庁舎のまん前にあるとってもお洒落な場所だ。

 その名の通り、ホントの城壁の廃墟をそのまま使ったカフェで、弾丸の残った塀がある。その壁を囲うようにしてカフェができている。この洒落た店構えとは反対に、写真展は今ひとつ。でも食事はとっても美味しかったので二人ともかなり満足。

 その後、今回の展覧会をドキュメントしてくれていた主催者CGNのオフィスへ。
 ここでCGN代表のマリコさんと会う。
「あなたたち、せっかくのんびりしてるんだったら、今日は観光客になっちゃったらどう?」
と言われ、ガイドブックにも載ってるマインズ・ビュー公園へ。断崖の上から標高1500メートルのベンゲット山脈が見渡せるスポット。周辺にはたっくさんの土産物屋が軒を並べている。

 残念ながら天気が悪かったので、景色は今ひとつだった。それに我々はなんてったっていきなりキブガンのようなDEEPな山奥に行っちゃってるから、このくらいの景色じゃ驚かないってのもある。それでもこういう場所に来ると、ついつい観光客気分になるもの。

 マリコさんのだんなさんはフィリピーノで、値切り上手なので、彼のいる間に買い物を済ませようと、ササンと一緒に土産物探し。バギオ名物のナッツのお菓子など日本の家族と友人への土産物もお安くGETできた。
 バギオに来て3週間目にして、初めて観光客気分の1日だった。

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UPバギオの美術学部訪問

 昨日のアーティスト・トークで、私に数々の質問をした女性がいる。すべてが終わってから、彼女がもう一度私に近づいてきて言った。
「実は私、UPバギオ美術学部で教えているのです。明日時間があったら是非大学を訪ねてくれませんか」
 UPとはUniversity of the Philippines、フィリピン唯一の国立大学で、本校は私が昨年アーティスト・トークとワークショップを行ったケソン市Dilimanにある。夏の間すべての行政がバギオに移されることもあり、このバギオにもUPの小型版、UPバギオがある。

(UPバギオの校舎)

 
 今日は特別に予定もなかったので、夕方からUP訪問することにした。まずは恒例、作品のチェックにVOCASへ行き、すべて問題がないことをチェックして、昨日から気になっている私の個展作品の照明を探しにローカル・マーケットへ。

 ここの地下にはマハリカというフード・コートが入っていて、私の大好物ハロハロが美味しいと聞いていた。ずっと行きたいと思ってたので、ようやく今日、照明探しのついでに寄ることができた。たっくさん並んでいるハロハロ屋の中から、中身を見て選んだのはこの店のハロハロ。

 昨日会った女性が紹介してくれた同僚の男性ボブとバーハム・パークで待ち合わせして、UPバギオへ。校舎は小さいけれどキレイ。この部分は美術学部ではなくて一般学部が使っているという。奥にはギャラリーもあった。小さいながらも照明設備もよくてイイ感じのホワイトキューブだった。

 こちらが美術学部。なんだか幼稚園のような色使い。スタジオを案内してくれる二人の先生もちょっと恥ずかしげ。もともと高校として使われていた校舎を、UPバギオが出来たときに譲り受けたらしい。また正式に大学として学部になったのも最近のことで、まだ1学年20人で専攻別にもなっていないのだそうだ。
 そして4年次までには一人、また一人とドロップアウトしていくので、4学年合わせても40人程度という。

「アジアの後進国じゃ、美術学部はみんな同じ運命なのかねぇ・・・」
とササンがつぶやく。美術なんて習ったって、将来食えないからと、進学をよく思わない親がたくさんいるという。インドネシアで美術を教えているササンには、どうやら人事とは思えないのだろう。

 その後、二人が暮らしているというUP職員専用のアパートメントへ招待された。彼女が軽い食事を作ってくれるという。入ってみて驚いたことに、このアパートメントは私が去年UP Dilimanに招待されたときに一ヶ月滞在したキャンパス内のゲストハウスとまったく同じ建築。
 聞けばなるほど、フィリピンで有名な建築家が作ったものだった。彼女の部屋の間取りは私が暮らしたものとまったく同じものだったので、1年前を懐かしく思い出した。
「わぁ~・・・バンドン(工科大学)でも先生用にこんなアパートメントあったら、僕ぜったいに移るのになぁ~~」
とササンやたら感動。

 彼ら、どう見ても30代半ばくらい。UP Dilimanを出てからバギオで教えることになったという。本当だったら私たち二人のアーティスト・トークを是非大学でやってほしかったけれど、ちょうど休暇中で学生がいないので残念とも話してくれた。
 私たちも、望む人がいるならいくらだって話したんだけど、相手が休みじゃしょうがない。またいつか、機会があってバギオに来る日があれば、そのときは是非・・・。
 彼女の部屋で記念撮影。若き二人の講師、ガンバレ!

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