Archive for Japan

馬子にも衣裳3連発

 90年にインドネシアのバリ島で暮らし始めてこのかた、日本に3ヶ月もいたのは、おそらく今回が初めてだったんじゃなかろうか。最初はこの3ヶ月、どうやって過ごしたらいいだろうと思っていたけれど、今思えば本当にあっという間だった。

 この3ヶ月の帰国で一番嬉しかった新しい体験が一つある。
それは「着物の着付け教室」。私の母はもともと着物の好きな人ではあったけれど、ここ10年ほどは近くの着物教室へ通い、他人も着せられるようになり、着付けを教える先生の免許までとった。そして数年前からは近所の人や母の友人知人が、うちへ着付けを習いに来ている。
 私も着物には昔から興味があった。今回の個展の作品を見てもらってもわかるように、着物の生地やインドネシアの伝統布地を使っている。着物の文様などは昔から好きで、過去の平面作品の中にもその影響が結構出ている。
 でも着るのは別の話。だいたい私はちっちゃな頃からスカートとは無縁で、足癖が悪くて外股、着物美人とはほど遠いキャラ。

 がしかし先回の帰国で、なにげにTVを見ていて渡辺謙が
「せっかく着物の国に生まれてきたのに、自分で着れないなんて・・・もったいないな・・・」
って言うようなCMを見つけた。アレに私はハマった。別にそんなに渡辺謙が好きなわけではないけれど、最近かなりイイ役者になってきた彼のその言葉はやけに説得力があった。
 そうして今回の一時帰国ではわずか2ヶ月弱ではあったけれど、母の教室に紛れてちょっとながら着物を着る勉強ができたのだ。母にしてみれば、自分がもってきた嫁入り道具の着物を着てくれる人間が現れて嬉しいのもあったようだ(姉は背が高すぎて、母の着物は一つも着られない)。

 せっかく習い始めたんだから、今年の正月には着物!と張り切っていたのに、あの新年早々の恐ろしい冷え込みに、私はいとも簡単に着物を断念。そうしてインドネシアへ戻る日が近づくにつれ、コレじゃヤバイ、コレじゃヤバイ・・・と思い始め、ホントに終盤もいいとこで三回、着物を着る機会を得た(というか、別に普段着のようにして毎日でも着物を着るのに慣れたいと思っていたのだけれど、いつもレッグウォーマーして腹巻してる私にとって、着物は寒すぎた)。

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 最初のチャンスは、芸大時代の後輩Yちゃんとのランチ。蝶柄が大好きな母の着物の中でも、どっちかといったらアブストラクトな蝶の柄で気に入った。真面目で写実的な蝶柄は、私は好きじゃないので、これくらいがイイ。なんと帯は母の名が「か ず こ」と変体かなで刺繍されている。本人が筆書きしたものを、職人さんが刺繍した一品。他人の名前しょって歩いてるみたいで最初は抵抗あったけれど、変体かなではいまどき読める人もそんなにいない。色はキレイだったのでコレで決めた。

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 着物に合わせられるバッグなんて持っていないので困っていたら、母が出してきてくれたのがこのバッグ。なんでも、亡くなった父が愛用していた袴の地を使って、我々三人(母・姉・私)に一つずつ作ったバッグだという。こんなふうに着物屋さんに作ってもらえるんだな~。

 2度目のチャンスはその翌日。高校時代の同級生二人と、担任の先生との食事会。名駅には詳しい母に、食事するのにいい場所を聞いて教えてもらったのがアソシア20階にある車屋だった。ホテル内の和食料理屋なんて、私とは無縁なのでまったく知らなかったけれど、行ってみて感動。フツーのレストランくらいの予算でちゃんとした和食が食べられて、さらに景色がいい。名古屋城もほらこのとおり。

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先生と並んでパチ。

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出席者全員でパチ。

そして今日が3度目のチャンス。23日の出発を前に、家族で栄ランチに行くため、私一人が着物に。母の嫁入り道具中、本人いわく一度も袖を通さないうちに、着られる年齢を越してしまった一枚。

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しかし、冬場の着物がこんなに寒いものとは知らなかった。当然のことながら超ぶ厚いパッチをはいてるんだけれど、まだまだ寒い。だって袖なんかスゥ~スゥ~だし。でも、日本の伝統をちょっと齧ったみたいで満足感は大アリ。母先生からは、ジョグジャでも学べるように着物のマメ知識みたいな本をいただいたので、暑い国でも着物の勉強はちゃんとして、機会さえあればまた浴衣(何かのために一枚は持っている)くらいは着てみようかと思っている。
これでちょっとは渡辺謙にも顔向けできるかなーと、わずかに安心して今回は日本を発つことができそうだ。

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霞ヶ関官庁ランチ

 話は遡り、年明けに駆け足で東京へ行ったときのこと。
 ランチを一緒する約束をしたのはSさん。彼女とはインドネシアで知り合った。在インドネシア大使館の非常にやり手な若手であるSさんは、ひょんなことからインドネシアで大人気のロックスターへの結婚プレゼントに、私の作品を買ってくださったことがある。それ以来、彼女(大使館)が企画する美術展を私が2度担当したこともあり、ずっとお付き合いさせてもらっている。
 そんなインドネシア通な彼女も長年のジャカルタ勤務を終え、昨年からは日本に戻っていたのだった。だから今回は、彼女の冬服姿を初めて見ることになる(お互いにだけど)。

 超ハードスケジュールをこなす彼女が自由に時間を取れるのは昼休みだけなので、私が彼女の仕事場である霞が関まで行くことにし、Sさんからオススメの場所を聞いた。
 第1のオススメは「馬車道」というレストラン。合同庁舎第5号館(厚生労働省)の26階にあるという。ネットでチェックしてみても、なかなかいい感じ。一般ピープルでも入れるらしい。
「眺めがよさそうなのと、霞ヶ関にこられるのなら省庁の中のレストランにもみどりさんは関心あるかと思いました」
さすがに、Sさんは私の性格を良く知っている。地図で確認しても、きっとこの庁舎を見つけるのに苦労するだろうと思い、早めに行って正解だった。なんたって、庁舎ときたら、目立つ看板もないからわかりにくい、わかりにくい。私のような一般ピープルまんまの形相したヤツもほとんどうろついていない。

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ようやく着いた合同庁舎第5号館(厚生労働省)に入るには、入口で身分証明書の提示が必要だったけれど、これはSさんから聞いていたので免許証でクリア。他の国家公務員の皆々さんはIDカードを首からかけて出入りしていらっしゃる。
ちょっと約束まで時間があったので、中を探索。地下にはコンビニ、本屋などもあった。以前防衛省へ遊びに行ったときみたいに、ご当地グッズのようなものがあるか気になったのだけれど、コンビにはいたってフツーのコンビニだった。ま~ちょっと普通じゃないとしたら、レジのところに老眼鏡が売ってたことくらいか。

26階へ向かうEVも皆さんスーツ族。そしてフロア案内の表示の左右には絵&ひらがなで「こっかい」「こうえん」とある。こっちが「国会」方面、こっちは「公園」方面ってことだけど、これをEVにつける意味がわからん。そっちに足を向けるなってことか?Sさんに後から聞いても理由は不明。写真が取りたかったけれど、昼休みでEV満員、ここでカメラを出す勇気はなかった。

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そして着いた馬車道。なぜかウエイトレスは矢絣の着物に袴。でもメニューはハンバーグ系。さすが霞ヶ関のド真ん中、それも今話題の人が大臣してる厚生労働省の26階、このビルのどこかのあの大臣の部屋もあるんだな~。。。そして窓から外の景色を見ると、こんな感じ。

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なんだっけか、なんとか公会堂の野外ステージもこんなふうに見える。

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「ふ~ん、日本の政治がここで動いているのか~~~」
と、素人的に感動しながら、ランチに私が選んだのはきのこおろし和風ハンバーグ定食。スープとライスがついてなんと490円。学食より安くないか?

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 久しぶりに会ったSさんとは話したいことがたっくさんあったのだけれど、なにせ忙しい彼女に与えられた時間はチョッキリ1時間。彼女が仕事している外務省まではここの何ブロックか先なので、その往復を考えたら30分強しか一緒にはいられない。
 それでも私は霞ヶ関という、おそらくSさんがいなかったらまったく縁のなかったエリアに来ることができて、さらに一般ピープルも割りと遠慮なく入れる、超安いレストランを知ることができて、かなり満足。Sさんには、これから帰国した時の『霞ヶ関職員食堂巡り』ガイドをしてもらうようにお願いした。かなりレアな東京の楽しみ方が見つかってラッキー。

 そしてインドネシアでバリバリ仕事していた外務省レディーは、霞ヶ関の外務省ビルの中に颯爽と消えていった。Sさん(私より10歳も年下なんですけど)、ご馳走様でしたぁ~~~。再会を楽しみにしております。

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満員御礼:交換プロジェクト~アジアの記憶~終了

 新年を迎えてから、「ロートレック展の会期あとわずか!」といった追い込み宣伝や、名古屋のご当地DJツボイノリオさんが朝のラジオ番組で私の個展を見た感想を話してくださったりしたおかげで、年明けの美術館はかなり盛況だった。成人式の三連休はできるだけ美術館につめて、会場に来てくださった方々に作品の説明をした。そして今日、無事2ヶ月におよんだ個展が幕を閉じた。

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(展覧会場外に作られたロートレックのグッズショップも連日大盛況)

 二日前には視覚障害の男性がボランティアの方と来場された。運良く会場にいた私は、その男性が今の私の展示をイメージできるように、触ることのできる交換物、触っておもしろいと感じられそうな交換物を選んでは手渡しし、何をもらったのかを説明した。
 普段美術館では平面作品が多く、その表面を触ったところで、どんな作品かイメージするのは困難だろうけど、私の作品はその点、目が見えなくても触ってイメージできるからいい。想定外ではあったけれど、こうした方々にも、私の言葉の説明があれば、作品を「感じて」もらうことはできるんだな~と新しい発見だった。

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 そうそう、これはこの2ヶ月で、元気に目を出してきたニンニク。会場を守る「お座り嬢」たちに一番心配をかけた交換物だった。

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 この2ヶ月、頻繁に来ては、この入口から来場者の様子を見ていた。キドラット・タヒミックが作ってくれたドキュメントビデオを真剣に見ていってくださる方がいたり、交換物が並んだ床に膝をついて一個ずつゆっくり見てくださる方がいると、とても嬉しかった。

 最終日の今日、なんと芸大時代にお世話になった私の担当教授磯田尚男氏が来てくださった。偶然にも同じ時期に、教授(今では名誉教授)は自分の教え子との11人展を同じ愛知芸術文化センターの12階ギャラリーで開催中だったのだ。

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 おそらく卒業以来の再会なのに、教授はほとんどお変わりなし。驚き。私はこの教授から、
「君たちはデザイン科に入ったわけだが、デザイナーというのは何も商品をデザインするだけが仕事じゃないんだ。人はみんな、自分の人生をデザインするんだ」
といった内容の講義を受けた。その言葉はとても印象に残り、私はザイナーにこそならなかった(なれなかった)けれど、少なくとも自分自身の人生をデザインしてきたつもりだ。
 この教授から今回の作品についてコメントをいただき、お褒めの言葉をいただいたのは本当に嬉しいことだった。

 今回の個展では、フィリピン・バギオでのプロジェクトと、東ジャワ・ブリタル村でのプロジェクトを展示している。フィリピンで私のプロジェクトをサポートしてくださったマリコさんは、お正月で一時帰国していたのだけれど、私より一足先に現在の活動の場、フィリピンへ戻ることになった。今日は彼女とその息子Bちゃんと、日本で最後にデートする約束があった。

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 待ち合わせ場所はルーセンタータワー。名古屋駅前になんかでかいビルが建ったな~と思っていたら、そこだった。オフィスビルかと思ったら、地下~2階までいろんな飲食店が入っていた。ここでマリコさんのお友達と合流して沖縄料理をご馳走になった後、しめにお茶を飲みに行き、セントレア空港近くのホテルへ戻る彼女らを駅まで送った。

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 フィリピンでのプロジェクトが順調に進んだのはすべて彼女のおかげだった。そして貴重な縁を作り出してくれたのも彼女だった。彼女が作ってくれた縁で実現した今回のプロジェクト、個展の最終日に彼女と会えたのは、「終わりよければすべて良し」というか、とってもいい感じの締めくくりになった気分。

 まだほっとしてはいられない。明日は朝から作品撤去。明日の肉体労働に備えて今日は早寝しなければ。

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京都フルムーン2日目

 昨晩は怖くて眠れなかった。先斗町で呑んで戻った時には体調もかなり悪くなってた旅の道連れI君が夜中に妙な唸り声を上げ、そのあとは今度は1人で笑い出すという奇怪な現象が起きたのだ。洋間の寝室は電気を消して真っ暗、彼の様子はうかがい知れない。電気を付けて確認もできるけど、もしも一日巡った寺社で、なにかが彼に「憑いちゃった」としたら、怖くて見るのもイヤだ。だから私はそのまま彼の気味悪い笑い声を聞かないふりして必死で朝の来るのを待った。
 
 京都の旅2日目は西北エリア。駅から電車に乗って嵐山へ向かい、ここから化野(あだしの)念仏寺へ。ここは徒然草にも書かれた古来の葬送地、空海がこの地に葬られた多くの死者の菩提を弔うためにこの場を作ったという。8000体もの石塔石仏が並ぶ光景はちょっとスゴイ。40年以上も生きてくると、こういう場を見て自分の死後にも思いをはせてしまう。京都の静かな山間で弔われた数千の霊たちが羨ましく思えたりして。

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 嵐山の中心へ戻る途中で祇王寺(現在は真言宗大覚寺派の尼寺)に寄った。平清盛の寵愛を受けていた祇王が、出家してこもった家は琵琶法師の『平家物語』中屈指の哀話らしい。確かにこのひっそりとした小さな庵にはすべての感情を抑え、余計なものを排除した無常感たっぷりの空気がある。正月用に飾られた鉢前も京都らしい。

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 我々二人ともメジャーな場所よりも人の少ない場所が好きなので、ここからまた奥へ入って滝口寺を目指した。歴史オタクのI君は入り口にある新田義貞の首塚にも興味をそそられたようだ。 

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 ここも『平家物語』に縁のある寺で、滝口入道と横笛の説話に由来している。ひっそりした境内には誰もいない。正月の京都でもこんな場所があるのかとビックリした。シンと冷えた境内には平重盛を祀る堂や平家供養塔もあった。

 ちょっと気になっていたので、ついでによったのは落柿舎。松尾芭蕉の門人、向井去来が晩年過ごした草庵。庭にあった40本の柿の木の実が、嵐で一夜にして落ちてしまったことからついた名だというが、今もまだたくさんの柿の木が生えていた。
 本当に人生の侘びさびがわかってしまって、すべての欲が消え去ったら、こんな嵯峨野のなんにもない草庵で暮らそうって思えるんだろうか?なんて思いながらこの場を後にした。

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 さらに歩き続けてようやく出たのが桂川。さすがにこのエリアまで来ると観光客でいっぱいで食事処には行列が出来ている。空腹に耐えられず、ついついコロッケや豚まんを立ち食いしたけど、これがまた美味しい。桂川のほとりに座って簡易ランチを済ませて、次に目指したのが大徳寺。

 臨済宗大徳寺派の大本山、大徳寺の境内はムチャクチャ広い。全部を見てたらおそらく1日かかるだろう。南禅寺と並んで京都の五山に位されたこの寺も室町には一時衰退、応仁の乱後に一休禅師たちが復興させたり、秀吉が信長の葬儀を行ったりして武将とつながり、千利休ら茶人とも関わりができて現在に至るらしい。
 夕方5時半に名古屋に戻る新幹線を取っちゃってるから、ここからは急ぎモード。

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 瑞峯院、室町時代のキリシタン大名、大友宗麟公が創建。方丈前の枯山水の砂利は他で見たものより大きくてゴツゴツしている。波も豪快で雄雄しい。方丈裏には閑眠庭という、珍しい十字架の庭があった。古いものではなく60年代にキリシタンである大友にちなんで7個の石をクロスに見えるように配置したものらしい。

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 龍源院、畠山義元と大友義長が創建した大徳寺の塔頭で、本堂も表門も当時のものという、大徳寺内で最古の建物。四つの庭園の中でも、方丈東にあるミニ枯山水はキレイだった。「東滴壺」と名づけられたこれは日本で最小サイズ。格調高い石庭と言われているそうだ。小さな空間の中に、これだけ深く上品な庭をミニマムで造れるというのは、本当に日本の庭園技術のレベルの高さがスゴイってことなんだろう。
「あんたも新しいスタジオの横に砂利敷いて、修行だと思って毎日枯山水の波を作ってたらいいんじゃないの」
と建築家のI君。
 そうだねぇ~、人生を悟るために、こういうのは有効な修行になるかもしれないね…。

 メインの大徳寺へは行かずに、高桐院をさらっと拝観してそのままバス停へ向かった。京都まで名古屋から新幹線でたったの50分。これからはもっと京都へ行きたいと思う。最近、もっともっと勉強しなくちゃと思っている日本の歴史に触れるためにも、帰国するたびに京都に行けたらいいかもなぁ。

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京都フルムーン旅行

 2年前、韓国で開催された美術展を見に行った大学の同級生I君は建築家。昨年末に私が実家に建てたスタジオの設計者でもある。大学時代から20年以上のクサレ縁、互いに独身という自由な身であることもあって、なぜか一緒に旅することが多い。
 今年の旅行は京都。ついでにお互い「ネットカフェ難民」の初体験もしちゃおうと言ってたけれど、42歳にもなって正月早々難民もないだろうと、ちゃんと宿をとることにした。

 名古屋からはぷらっとこだまで約50分で京都駅に着く。初詣や冬休みの観光客でバス停はものすごい人。格安の宿は三十三間堂のすぐ近くなので、タクシーで宿へ向かい、荷物だけ預けてすぐに寺社巡りを開始した。

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まずは三十三間堂。さすが、京都駅からも近くて有名所だけあって混んでいた。千体の観音像が壇上に並ぶ様子はなんとも荘厳。その手前には国宝になっている観音28部衆像が並ぶ。インド起源の神々が多いから、バリ・ヒンドゥーを学んだ私には馴染み深い神さんたちがたくさんいて嬉しい。リアル表現のため、目に水晶をはめ込む「玉眼」技法が使われている。正月の混雑じゃないときにこれだけの数の像と静かに向かい合ったら、それはそれはすごい感動だろうと思われた。

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 これは大弁功徳天像、吉祥天。ヒンドゥー教でいうところのヴィシュヌ神の妃、ラクシュミ。蓮の花に乗っている富と幸運の女神で、私がサラスワティ(仏教では弁財天)の次にお気に入りの女神さんだ。

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 ここでお昼タイムを入れ、後半は南禅寺から銀閣寺までの哲学の道を歩くことにした。南禅寺も有名だけあって参拝者はたくさんいる。レアな場所が好きな我々としては気が向かない。そこで古都の寺社とはちょっとミスマッチでおもしろい水路をくぐり、南禅寺横の南禅院に行ってみた。こっちにはほとんど人影もないから静かな庭園をゆっくり見ることが出来た。

 哲学の道を北上して、次に寄ったのが大豊神社。ネズミの狛犬がいるというので、気になって行ったのだけれど、なんせ神社だから新年のお願い事をしに来る人で、寺への参拝者の数とは比較にならない混雑ぶり。さらに今年はネズミ年ということもあり、狛ネズミの社へは行列が出来ている。どうしたものかと思ったら、なんと!ここにはそれ以外にも狛犬ならぬ、「狛サル」がいた!!!

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これは予習した中に出てこなかった情報だったので、現地で大感動。狛ネズミのことなんてほっておいて、狛サル様にだけ参ってきた。

1月の京都は寒い。3時を過ぎて、空気はどんどん冷えてきた。旅の相棒I君は京都に着いたときから熱っぽい顔で、風邪薬まで買ってる状態。それでもたった二日の京都旅行で、見ようと言ってたリストの場所を回らないのは気持ちが悪いというので、思い切り早足で最後の目的地、銀閣寺(東山慈照寺)を目指した。普段の拝観は4時までだけれど、正月の時期は30分長く拝観できるようにしてあったので、運良くギリギリの時間で寺内へ入り込むことができた。

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本当の名は慈照寺。足利8代将軍が建てた山荘を、後に臨済宗相国寺派の禅寺としたもの。建築家のI君いわく「銀閣は建築やる人の教科書」らしい。たぶん、小学校の修学旅行で来てるんだと思うけれど、私の記憶は皆無。それに、この渋さはいくらなんでも小学生で理解するのは無理でしょ。

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観音殿(銀閣)のすぐ横にある向月台、そして銀沙灘はあまりに斬新で驚く。どこからこんなフォルムが生まれたのか、不思議でならない。カッコ良すぎ。拝観時間のギリギリだったために、ゆっくりと境内すべてのポイントを見ることができなかったのは少々残念だけれど、それにしてもスゴイ寺だと思った。てか、こういう建造物のよさがわかるようになるには、それなりに年を経ないと無理ってことなんじゃないかとも思う。昔の日本人のこういう「粋さ」に対しては、「参りました」と心から思う。

I君と旅すると大きな特典がついてくる。彼はなんたって異常に歴史に強い。だから以前韓国を巡ったときも、豊臣が攻めた場所のことや当時の日本の状況など、全部話してくれるからガイドいらず。こっちが知らない歴史の疑問が、本なしでその場で解明されるからイージー&クイック。
さらに建築についての知識もあるから、寺のひとつひとつにも詳しい説明付きとは真にありがたい。京都や奈良に行くならI君は必需。

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 今日巡ろうと思ってた場所はとりあえずすべてクリアできた。いったん宿に戻り、次は夕食のために四条へ向かった。夜の先斗町をふらふらしながら、鴨川を眺めることのできる小さな居酒屋に入り、鍋とビールで腹を満たした。
「京都の楽しみ方はね~、一軒でゆっくりするんじゃなくて、何軒かで少しずつ食べて回るんだよ~」
というI君の言葉を信じ、一軒目で食事をセーブするも、当の本人が食べすぎてもう何も入らないとのたまわれる。嘘でしょ、I君…。人が食べていれば、ダイエット中の私も「やむをえず付き合いで」という自分への言い訳が作れるのに、相手がいないんじゃーそれもできない。結局最初の一軒で鍋と串カツをちょっとつまんでビール2本と焼酎を飲んだところで、京都の1日目は幕を閉じた。

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嫁入り道具のミシン

 今年の暮れは珍しく私が日本にいるので、母が張り切って大掃除をしている。そんなある日、母が私に言った。
「あの私のミシンね、ブラザーにあげられたらいいのにね。嫁入り道具で買ってもらったときに聞いたんだけど、輸出第1号だったらしいのよ」

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 私が生まれたときから、いやそれより前の姉の生まれたときから、このミシンでどれだけの子供服を母は縫ってきただろう。もう50年以上経つのに、いまだ現役のミシン。私も昔はよくこのミシンで小物を縫ったものだ。けれど作業台にくっついたこのミシンは居間に入れることもできないので、今では廊下に置かれている。真夏、真冬では母が縫い物をするにも熱すぎたり寒すぎたりするために、数年前から母はブラザーのポータブルミシンを買って使っている。

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 ブラザーだったらきっと過去の製造品を保管してるかもしれない。私は早速ネットで調べた。
「ブラザーコミュニケーション スペース(BCS)」という名のシャレた展示場がやっぱりあった。2005年に開催された愛知万博の年に完成したものらしい。
 ネットで館の見学予約をし、母が古いミシンを寄贈したい旨も伝えると、
「28日の10:15からお越しください」
すぐに返事が来たので、早速母と出かけた。

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 工場やブラザー病院と並んで建ってる洒落た建物。車を泊めて中に入るといきなり「Welcome廣田様」の表示!まるで立派な温泉旅館にチェックインした気分。寄贈のことを伝えてあったので、副館長さん直々に出迎えてくれた。結局私たちのもっていった写真からはハッキリとした製造年やモデルがわからず、後に私がメールで細部のデータを送ることにして、今日はこのBCSを見学させてもらうことにした。

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 映像を見ることもできるのだけれど、ネットで見学申込した際にこっちは断ったので、コミュニケーション・ゾーンはスルー。次にヒストリー&テーマ・ゾーンへ。ここで初めて知ったのだけれど、ブラザーの最初は麦わら帽子!これが帽子の型。ここからブラザーは始まっているのだとは驚き。
 帽子製造機に始まり、いわゆるミシン(ソーイングマシーン)、タイプライター、洗濯機などへ発展していく過程が、当時の商品の展示と共にわかるようになっている。母は自分の使っていたタイプライターや洗濯機があるから大喜び。

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 お隣の部屋はワークスタイル提案ゾーンとして、最新機器が展示され、使えるようになっている。バリエーション豊富で、携帯電話の着信音の配信システム、からおけJOYフル、プリンター、そしていろんな刺繍ができるミシンなどが試せるようになっていた。私が一直線に走ったマシーンは自分の写真を撮って、その場でステッカーにするもの。モニターをタッチしてプリクラみたいにあっという間に作ったステッカーがこちら。

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 ちょうど年末年始の忙しい時期だったので、我が家にある母の嫁入り道具が作り主のもとへ帰れるかどうかの返事は年を越さなければわからない。母の人生はこのミシンと共にあったと言ってもいいくらい、本当によく働いてくれたこのミシン。このミシンから生まれた私のお気に入りのワンピースやパンツ、みんな覚えている。

今日の展示館を見て、このミシンが親元に返って、展示館にくる他の人たちにも観てもらえたらいいな~~~と心から思った。年明けの返事を心待ちにしている。

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骨盤ダイエットとジャワ洪水

 日本に帰ってる間にいろいろ気になることをしておこうと思っている。その中の一つが骨盤ダイエット。名古屋にあるビューティサロンが体験コース70分2,000円というので早速予約した。まさかその後の勧誘がしつこいとイヤなので2,000円ポッキリかも何度も確認しておいた。まぁ、勧誘されたところで、私は日本にいないんだから向こうも諦めるだろうけど。

 まずはざっとのコース内容説明があって、下着の状態で採寸。胸周り、腹、尻、二の腕、太もも、ふくらはぎをチェック。前後ろ横からの写真(顔なし)も撮影。そして最初にアロマのマッサージ。そのままヒートマットなるものに包まれるのだけど、陰陽五行というアロママッサージがどんどん肌に浸透してぽっかぽかしてくる。寒がりの私でも芯からポカポカ。

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 ここまでで40分が経過。ここでいったんシャワーで全身の汗をとり、次に腹や腿のしっかり脂肪がついた部分を燃焼マッサージ。これがまた熱い。気持ちいいマッサージをしながら、エステシャンの説明が入る。
「身体の脂肪もバターのようなものなんです。温めれば溶けます。大きな塊のままでバターを溶かしてもなかなか奥まで溶けないように、これもまず燃焼マッサージで脂肪を小さく分解しておくのですよ」
とのこと。

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 最後のケアはマシーン使用。インナーマッスルにまで届くというシェイプ波が奥の奥まで届き、骨盤を支えている筋肉を鍛えるから骨盤が矯正されるらしい。ここではオマケにスポーツ選手などが愛用してるという「ドクターメドマーの空気圧マッサージ」ってのを足につけてくれるので、腹は強い周波でプルプル、足は太腿までが圧マッサージされている状態。なかなか気持ちいい。これを20分で終了。
 ここで採寸のし直し。体重で0.8キロ減。サイズの合計は最初と比較して14センチ減。これは嘘じゃない。エステシャンも真面目に答えてくれたけど、体重が減るのはヒートマットによる発汗、腿のサイズダウンはむくみが取れるかららしい。普通は腹サイズと体重に顕著に効果が出るそうだが、私は太腿が3センチほど落ちた。向こうが「なんで?」と驚いていた。体重にそんなに変化がなかったのは汗をあまりかかなかったせいらしい。そうなんだ、私は南国インドネシアにいてもめったに汗をかかない。
 だから今日の説明でわかった。「汗をかかない=新陳代謝が悪い=悪いものがどんどん身体に溜まる=太る」ってことだ。毎日2リットルは水を飲めとアドバイスをいただき、私には今後このメニューを続けていける時間も金もないことを説明。担当のお姉さまは
「今日は素敵なお話たくさん聞けて嬉しかったですぅ~♪」
とレギュラー客確保に失敗しながらも笑顔で送り出してくれた。

ところで今日はアチェの津波から3年目。インドネシア各地で追悼式があった。おりしも雨季まっただ中のインドネシアでは、現在豪雨による被害も続出しているから気になる。むこうの有名紙コンパスのニュースから抜粋すると

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『広域水害、中部ジャワの崖崩れで66人死亡』
今週前半に降り続いた雨で26日午前3時30分、中部ジャワ州カランアニャール県の2カ村で崖崩れが発生。民家11戸、車2台、バイク8台、同村の主産業である多額の観賞用植物が一瞬に土砂に埋もれた。生埋めとなったのはラウ山麓タワンマング村の36人。

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『東部ジャワでは橋が流され、十数人が不明』
東部ジャワ州マゲタンでは橋の上から住民20~30人が勢いを増す濁流を見守っていたとき、突然橋が流され全員が濁流に呑まれた。夕方までに無事が確認されたのは4人のみ。マラン県周辺では水害で2万人が避難。中部ジャワ州ソロではソロ川が決壊して2mの冠水、4千世帯が避難。バリでは土砂崩れで2人死亡、中部カリマンタンでは旋風と、全国的な被害。  

 さすがに心配になり、ジョグジャの知人に連絡をしてみた。ジョグジャ市内は降り止むこともあって、ニュースになるような状況ではないらしいので一安心。主のいない我が家で、犬たちが困っていないかそれだけが気になったのだけれど、まずは大丈夫だった。
 今回の被害で亡くなった人々、そして3年前のアチェの津波で亡くなった多くの方々の冥福を祈りたい。

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お気に入りグッズオムニバス

 今年もあとわずか。久しぶりに日本でゆっくりできたこの年の瀬は、10年来会っていなかった懐かしい大学時代の仲間、中学校の頃の仲間と会ったりもして、年をとるとこういう昔の仲間というものがとってもしみじみするなぁ~・・・と思える今日この頃。

 さて、今日は最近私の周りにあるお気に入り小物のオムニバス5連発。
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その1:くすぐりエルモ(Tickle Me Elmo)
 名のとおり、セサミストリートのモンスターキャラ、エルモが笑うオモチャ。笑うというか、くすぐると、それに耐えられずに転げまわるというもので、96年にアメリカで発売されたときには、あまりの人気に300人がオモチャ屋に殺到して奪い合いになり、店員を含めて数人が負傷する騒ぎも起きたらしい。笑いのツボは腹、足の甲、あごの3箇所、ここを押すと腹を抱えたり、手を上下に上げ下げして大笑いする。その笑い方は昔の「笑い袋」的でもある。
 個展のお祝いに知人がくれた。最初は「子供のオモチャ」と侮ったけれど、コイツはちょっとすごい。うちでは母まで大気に入りで、毎夜廣田家では、エルモの大笑いする声が響いている。

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その2:廣田商店バッグ
 年末の大掃除で我が家の倉庫を大規模に掃除していたら、昔懐かしいブリキの整理箱を発見、中を開けたら出てきたのがコレ。レトロ感いっぱいの「廣田商店丁稚バッグ」!
 廣田商店とは、わが祖父竹次郎が戦後に始めた菓子問屋。きっと会社が景気の良かったときに、お爺ちゃんがどこかで作らせたのだろう。まったく使っていない状態で発見。今見てもカッコいい。
母に報告すると、母が嫁に来る前のものらしい。相当に古い。お爺ちゃんの若き日の「作品」は、いま私の新しい仕事場で、私を見守ってくれている。

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その3:ひこにゃん
 愛知県美術館に来てくれた私の芸大時代の友人のお母様が、襟につけていた「ひこにゃん」。今年築城400年を迎えた彦根城のキャラ猫。個展を見終わったお母様に挨拶するときにも、襟元の「ひこにゃん」が気になり、
「ホント~に可愛いですよねーーーひこにゃん・・・」
と言ったら、お母様が下さった!しつこく「ひこにゃん」を連発していたので、呆れられたかもしれない。がしかしこの可愛い「ひこにゃん」一匹GETはちょっと嬉しい。

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その4:坪井ファミリー
 昨晩は芸大仲間3人でのミニ忘年会だった。待ち合わせ場所だった丸善の文具売り場で発見したのが「坪井一家」。爺さんは坪井竹踏(たけふみ)、婆さんは坪井菊(きく)、父は坪井刺激(しげき)などなど、6人家族それぞれがいかにもツボ押しに効きそうな名前をしている。

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 丸善にあったのはこの坪井一家のツボ押し携帯ストラップ。私は口の周りがゴン蔵さんのように青くなった爺さんの竹踏を購入。
 ミニ忘年会の仲間にも早速見せたところ、なかなか評判がよかった。ネーミングも効能も気に入って、帰宅後ネットで調べたところ、この坪井一家、ツボ押しの他にもかなりいろんな健康グッズとなって世に出ている。この冬、一番気になるファミリーになりそうだ。

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その5:エコ加湿器
 湿度いっぱいのインドネシアから日本にやってくると、まず最初に乾燥した空気にやられる。オマケに今年は寒い時期の帰国で、毎日のように暖房に当たっているので、自分自身がかなり水気を失っている気がする。母がクリスマスプレゼントに加湿器をリクエストしたので、一緒に店まで見に行って、私が見つけた一品はその名も「エコ加湿器」。
 電気を使わない水を注ぐだけのエコロジー加湿で、コップ1杯の自然蒸発量の約15倍もの加湿性能、電源不要だから過剰にならない適度な加湿を実現!という品物。 つまりは特殊な紙が折り紙みたいに折ってあって、それをジャバラ状に広げておくと、水を吸ったその表面から水が蒸発して加湿されるというもの。毎年冬に帰国するかわからない私としては、できるだけお得に保湿できるのがありがたい。コイツならコンパクトでPC仕事してる真横におけるので便利。
 コレはかなりのオススメ商品。昨晩の呑み会仲間2人も、きっと今日は店に品物チェックに行ってるんじゃないかな。

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総合学習の朝

 今日びの学校教育には「総合教育」なる枠があるらしい。私が通ったK女子中学では今、3年生に向けて「総合的な学習の時間」というのがあって、たまに外部から講師を呼ぶという。なぜか今回の私の帰国を知っていたかのように、さらに個展が始まって落ち着いた時期というタイミングで、この外部講師の依頼があった。
 ミッションスクールK中学の今年度の主題は「平和を実現する」、3学期のテーマは「平和を創る人になりたい」で、平和を実現している人について調べ、その人の生き方を学ぶというもの。帰国して間もなく、この担当である先生から電話をもらった時には、失礼ながら笑いそうになった。あまりにも私の生き方が「平和の実現」とはかけ離れていたからだ。
 断るつもりで約30年ぶりの中学へ出向いたのが11月末。ところが昔世話になった先生がまだ数人いらっしゃって、
「卒業生に廣田のようなのがいるのは、今の子供たちにもいい刺激になると思うんだ・・・」
などと説得され、つい断れなかった。
 私の過去のヤンチャぶりを知っている別の先生などは
「そりゃ~廣田、お前自身は幸せな生き方してるよな~。ただ、周囲の人間はえらいめ(名古屋弁で「大変なめ」の意)にあっとるけどなぁ」
と、もっともな意見。

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 もしも中学生の子らが、私の過去の活動、それもジャワ地震の時の活動を聞いて、そこを知りたいといわれるなら、私は本気で断ろうと思っていた。だって、他の外部講師はといえば、1992年ルイジアナ州に留学し、ハロウィーンのパーティで仮装、会場を間違えて射殺された服部剛丈さんのお母様とか、NPO平和のためのメモリアルセンターに関わった女性弁護士とか、地域ボランティアで活動されているオバチャマ、名古屋のYWCA総幹事など。どうみても「たまたま成り行きでやっちゃった救援活動」の私がここに混じってるのはおかしい。
 ところが担当の先生は、私がこの学校を離れて芸大を選び、海外へ渡って制作活動している、さらに今愛知県美術館で展示しているような、他者とのコミュニケーションから何かを作り出すという姿勢を、生徒に話して欲しいとおっしゃるのだ。
 私が中学時代にお世話になった先生が一人も残っていなかったら、本気で断っていただろう。今まだ中学に残ってる先生方への、過去の罪滅ぼしとして今回は引き受けたという感じになってしまった。

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 そして今日、講義は1時間目。久しぶりに6時起きして中学へ向かった。1時間目は8時45分から始まる。過去に一番私がお世話になった(正確には迷惑かけっぱなしだったと言うべきか)S先生が、私の講義を一番後ろの席でずっと見守っててくれたのが心強かった。
普通私の年齢だったら、このくらいの子供がいてもいいわけなんだけど、残念ながら私の周りにはこのくらいの世代ってのがまったくいないから、どんなふうにコミュニケーションとったらいいのかわからず最初はひるんだ。
 でも中学の授業はたったの45分、あっという間に終わってしまうからひるんでる暇はない。私の中学時代から芸大受験、バリでの暮らしの始まり、ヒンドゥー教やイスラム教との出会い、自分の作品つくりとテーマ。そして2005年に訪れたフィリピンで知った第二次世界大戦中の歴史、そこから始まった「交換プロジェクト」のことをざーーーっと話した。

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 最後の5分で質問をうけるつもりが、誰一人質問をしない。今の子はこういうものなのか、私の話がおもしろくなかったのか、私の態度が15歳の子供たちを威嚇していたのか、どうも原因がわからない。
 教室を一緒に出たS先生が
「わしはいろいろ勉強になったぞ。生徒も真剣に聞いとったしなぁ~」
と感想をくれた。モノを作っているときでもそうだけど、全員に理解してもらうなんてことは不可能に近いわけで、一人でもいいから、心まで届くような、響くようなメッセージが送れていたらいいなぁ・・・と思う。
 今回やって思ったけど、自分のために、とてもいい経験になった。過去に何度か講演なるものはしたことがあるけど、今回の相手は一番若くて一番未知の世代だったから少々緊張した。彼女たちがどんなレポートを書くのか、怖いけれど気になるなぁ~。

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ギュウとチュウ

 今、豊田市美術館でおもしろい展覧会をやっている。『篠原有司男と榎忠 ~ギュウとチュウ』展だ。私がチュウさんと出会ったのは2年前だったか、彼が大阪のキリンプラザで個展を開催中のことだった。短い一時帰国だったけれど、エノチュウさんの個展がどうしても見たくて、日帰りで大阪に行ったら、ラッキーなことにちょうど会場でチュウさんを見つけた。
 もちろん、それが彼との初対面だったのだが、なぜか私は勝手に初対面とは思えない親近感を覚えた。というのも、彼の作品をドキュメントした写真の中に、私が名古屋でお世話になった名古屋市美術館の元学芸課長、山脇氏の姿があったり、名古屋でお世話になっているアーティスト、久野利博氏が『セブン・アーティスト』展で彼と一緒だったこともあるからだ。
 突然話しかけた私の話もにこにこ聞いてくれたチュウさんは
「インドネシアでもガンバりぃ~やぁ~」
と握手してくれた。

 そんな出会いから、ず~~っと再会したこともなかった(って、私が日本にいないんだからチャンスもなかったわけだが)のだが、今回私が一時帰国し、個展を開催していたら、多忙なチュウさん、わざわざ愛知県美術館まで観に来てくれたのだった。2年ぶりの再会。
 また会えた感動よりも、こんなほんのちょっとのきっかけで知り合った私なんかのために、わざわざ会場へ足を運んでくれるという、チュウさんの人情に感動した(11月30日『霜月オムニバス』参照)。

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 で今日12月9日は、豊田市美術館で彼と篠原有司男氏のアーティストトークがあったので、朝から整理券を得るべく、気合入れて豊田へ出かけた。ギュウさんは美術雑誌でもお馴染みで、いつもパワフルな活動が多いのは知ってたけど、喋りもパワーがある。そして作品もかなり派手。関西風に言えば「コッテコテ」ってところか。二人のトークも対照的でおもしろかった。

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 今回なによりも感動したのはチュウさんの新作。アーティストトークで説明があった新作『FALCON-C₂H₂』。ハヤブサを意味する「ファルコン」を使った祝砲パフォーマンスも先日この美術館で行われたらしい。過去の作品部品に、新しく彼が旋盤で作ったパーツを組み合わせた大きな武器のようなこの金属の塊には、チュウさんの美学がまるまる出てて身震いしそうな迫力だった。

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 手前には「LSDF」の文字。これは「JSDF」、Japan Self-Defence Force(自衛隊)をモジったもので、Life Self-Defence Force、自分のことは自分で守れという意味を備えているという。チュウさんらしい知的なシャレが効いている。

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 もう一つの新作は『PATRONE-35』。パトローネとは、昔は誰でも使った35ミリのロールフィルムが入っている円筒形の筒。コダック、フジなど、最近はデジタルが台頭してきて、出る幕なしの物体。これが産業廃棄物処理工場で固められているのを見たときに、チュウさんはその美しさに感動したという。彼のセンスが加わり、展示室の暗闇にたたずんだこの「捨てられるモノ」の山は、確かに悲しい美しさがあった。

 いやぁーー。。。本当にチュウさんの仕事っていい。
 彼は旋盤工として、つい最近まで働いていた。仕事をしながら、コツコツと作品を作り発表してきた。そんな彼の姿勢も私は憧れる。基本、私は若者が好みで、自分より年上の男性にはほぼ興味がないのだけれど、チュウさんには惚れる。

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 彼の作品を見終わると、最後のフロアに彼のポートレイトがあった。その中の1枚に、彼が黙々と作業している姿があった。これがまた渋くて感動・・・

 私もモノを作っていくという生き方を選んだ者として、彼のような姿勢から学びたいと思う。真面目に自分の表現を追及し、黙々と作業する職人的な榎忠。本当~~~にカッコいい。名古屋から1時間、駅から徒歩15分の道にはなんにもなく、冬の冷たい風が骨に染みるような1日だったけれど、豊田市美術館の『ギュウとチュウ』展のおかげで(個人的にはもっぱらチュウさんの作品のおかげで)、帰りは心がほんわりあったかかった。
 この前、私の個展会場に来てくれたときには渡せなかった、私がジョグジャで発行している日本語ガイドブックと、10年前に私が書いたバリの体験記を今日渡すことができた。長年勤め上げてやっと自由な時間がたくさんできたチュウさん、今度はぜひ、インドネシアへ遊びに来て欲しいもんだ。

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