90年にインドネシアのバリ島で暮らし始めてこのかた、日本に3ヶ月もいたのは、おそらく今回が初めてだったんじゃなかろうか。最初はこの3ヶ月、どうやって過ごしたらいいだろうと思っていたけれど、今思えば本当にあっという間だった。
この3ヶ月の帰国で一番嬉しかった新しい体験が一つある。
それは「着物の着付け教室」。私の母はもともと着物の好きな人ではあったけれど、ここ10年ほどは近くの着物教室へ通い、他人も着せられるようになり、着付けを教える先生の免許までとった。そして数年前からは近所の人や母の友人知人が、うちへ着付けを習いに来ている。
私も着物には昔から興味があった。今回の個展の作品を見てもらってもわかるように、着物の生地やインドネシアの伝統布地を使っている。着物の文様などは昔から好きで、過去の平面作品の中にもその影響が結構出ている。
でも着るのは別の話。だいたい私はちっちゃな頃からスカートとは無縁で、足癖が悪くて外股、着物美人とはほど遠いキャラ。
がしかし先回の帰国で、なにげにTVを見ていて渡辺謙が
「せっかく着物の国に生まれてきたのに、自分で着れないなんて・・・もったいないな・・・」
って言うようなCMを見つけた。アレに私はハマった。別にそんなに渡辺謙が好きなわけではないけれど、最近かなりイイ役者になってきた彼のその言葉はやけに説得力があった。
そうして今回の一時帰国ではわずか2ヶ月弱ではあったけれど、母の教室に紛れてちょっとながら着物を着る勉強ができたのだ。母にしてみれば、自分がもってきた嫁入り道具の着物を着てくれる人間が現れて嬉しいのもあったようだ(姉は背が高すぎて、母の着物は一つも着られない)。
せっかく習い始めたんだから、今年の正月には着物!と張り切っていたのに、あの新年早々の恐ろしい冷え込みに、私はいとも簡単に着物を断念。そうしてインドネシアへ戻る日が近づくにつれ、コレじゃヤバイ、コレじゃヤバイ・・・と思い始め、ホントに終盤もいいとこで三回、着物を着る機会を得た(というか、別に普段着のようにして毎日でも着物を着るのに慣れたいと思っていたのだけれど、いつもレッグウォーマーして腹巻してる私にとって、着物は寒すぎた)。
最初のチャンスは、芸大時代の後輩Yちゃんとのランチ。蝶柄が大好きな母の着物の中でも、どっちかといったらアブストラクトな蝶の柄で気に入った。真面目で写実的な蝶柄は、私は好きじゃないので、これくらいがイイ。なんと帯は母の名が「か ず こ」と変体かなで刺繍されている。本人が筆書きしたものを、職人さんが刺繍した一品。他人の名前しょって歩いてるみたいで最初は抵抗あったけれど、変体かなではいまどき読める人もそんなにいない。色はキレイだったのでコレで決めた。
着物に合わせられるバッグなんて持っていないので困っていたら、母が出してきてくれたのがこのバッグ。なんでも、亡くなった父が愛用していた袴の地を使って、我々三人(母・姉・私)に一つずつ作ったバッグだという。こんなふうに着物屋さんに作ってもらえるんだな~。
2度目のチャンスはその翌日。高校時代の同級生二人と、担任の先生との食事会。名駅には詳しい母に、食事するのにいい場所を聞いて教えてもらったのがアソシア20階にある車屋だった。ホテル内の和食料理屋なんて、私とは無縁なのでまったく知らなかったけれど、行ってみて感動。フツーのレストランくらいの予算でちゃんとした和食が食べられて、さらに景色がいい。名古屋城もほらこのとおり。
先生と並んでパチ。
出席者全員でパチ。
そして今日が3度目のチャンス。23日の出発を前に、家族で栄ランチに行くため、私一人が着物に。母の嫁入り道具中、本人いわく一度も袖を通さないうちに、着られる年齢を越してしまった一枚。
しかし、冬場の着物がこんなに寒いものとは知らなかった。当然のことながら超ぶ厚いパッチをはいてるんだけれど、まだまだ寒い。だって袖なんかスゥ~スゥ~だし。でも、日本の伝統をちょっと齧ったみたいで満足感は大アリ。母先生からは、ジョグジャでも学べるように着物のマメ知識みたいな本をいただいたので、暑い国でも着物の勉強はちゃんとして、機会さえあればまた浴衣(何かのために一枚は持っている)くらいは着てみようかと思っている。
これでちょっとは渡辺謙にも顔向けできるかなーと、わずかに安心して今回は日本を発つことができそうだ。






















































