Archive for Earthquake in Yogyakarta

個展準備とスマトラの地震

 今年11月13日から始まる愛知県美術館での個展。これには夏にフィリピン・バギオで行ったプロジェクトと、新たにインドネシア・ブリタール村で予定しているプロジェクト、この2つを発表する。バギオの展覧会で発表した作品は、そのままバギオ在住の友人マリコさんに預けていたのだけれど、ようやくこのたび、愛知県美術館お抱えの運送会社経由で名古屋まで戻ってきた。
  私がジョグジャで制作した1000対のヒト(樹脂製)を、フィリピンへもっていって1000人のフィリピン人と交換したプロジェクトが昨年のフィリピンでの作品となった。その交換品と、交換してくれた人の写真を展示した。バギオでの個展会期中ずっと滞在ができなかったので、個展終了後はマリコさんが保管してくれたというわけ。

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東京から戻った11日の夕方取りに行き、3ヶ月ぶりの対面。
 1日かけて1000個の交換物をチェック、展示のときにわかりやすいよう、10、20、30単位で交換物を小さなポリ袋に収納。こうして見ていると、フィリピンで会った人々と何を交換したのかが思い出されて楽しい。

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 このマリコさん、フルネームは反町マリコさん。今「反町」といえば?
 そう、何をかくそう「反町JAPAN」のあの反町監督の実のお姉様なのだ。彼女は今回私が開いたバギオでの個展をすべてコーディネートしてくださった方。お宅にお邪魔したときに見つけた「反町フィギュア」で事情を知った。そのとき、私はまったく「反町JAPAN」なるものを知らなかったのだけれど、日本の友人に話したら「どえらい」有名な人だとわかって驚いた。

 とまれ、そんな事情から今晩は「反町JAPAN」の試合を観戦していたわけ。
 そしたらいきなりの速報、インドネシアで地震。すぐにジョグジャとバリの知人に電話連絡して無事を確認。私の留守中にまた大きな地震がきて、家が崩壊してたらたまったもんじゃない。主人のいない2匹の犬がかわいそうだ。

 今日の現地の新聞にあった記事から。
『リヒター7.9度、ベンクル-パダン大型地震
12日18時10分、スマトラ島南部ベンクル市の南西海上159キロ、南緯4.67度、東経101.13度、地下10キロでリヒター震度7.9度の地震が発生。続いて19時21分に5.7度、20時2分にも6.1度、20時53分に5.0度の余震が発生。
ベンクル市では民家数十戸、州庁、公立病院が、パダンでは自動車のショールーム、民家数十戸が破損。倒壊家屋の下敷で死者3人。北スマトラ州では全州が停電となった。全体の被害状況はまだ把握されていない』

 どうやらこれにはムンタウェイにある断層に問題があるようだ。
『ムンタウェイ断層の危機、今後も注意
ジャンビ~パダンに渡って被害を起こした地震の翌13日にも6時49分に7.7度の、8時26分に6.7度の地震が発生した。昨日からの地震はいずれも、スマトラ島-パプアのインド洋側を走るインド豪州プレートとユーラシア・プレートがせめぎ合う線上にあり、特にムンタウェイ諸島北部のムンタウェイ断層の南端に発生したもの。
この断層では1979年にリヒター8.3度、1833年に8.9度、2000年7.9度の大地震があった。今回が最大か不明だが、今後8度以上の地震が来て津波が南ランプン、バンテン、ジャカルタに及ぶ可能性は十分にあると専門家』

 17日には関空からバリを経由してジョグジャに戻る。これ以上大きな地震がなければいいのだけれど。

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昨日の地震とマイ・ブーム

 昨日というか、もう今日になってからのことだったのだが、久しぶりに怖いと思う揺れの地震だった。朝になってチェックしても意外にニュースにもなっていなかったけれど、こっちの新聞に詳細が載っていた。以下、コンパス紙より
『ジャワ海西部で7.5度の海底地震、津波なし
9日零時4分、JKTの北東116km、西部ジャワ州インドラマユから北へ90km前後のジャワ海海底286kmでマグニチュード7.5度の地震が発生。JKT、バンドン、ジョクジャ等でも大きな揺れが体感され、人々が道路に走り出たが現在まで人身・建物の被害は報告されていない。海底の深いところで発生したことや、振動形態から、ハワイ地震観測所は地震の3分後に「津波の恐れはない」と発表』
 やっぱりそれなりに大きかったんだ・・・
 もとバリでお隣さんだったN翁からメールが来て、
「うちの被害は木が一本倒れただけですんだ」
とのこと。うちは何も被害なし、ほっ・・・

 まったく話は飛び、最近のブーム。
 玄米。ジョグジャの日本人が田舎で頼んで作ってもらってる7分つきのものがあったり、バリだったら白人のオーガニック農家があって、そこから野菜も買えるとか、いろんな話はあったけれど、ジョグジャに暮らしていてフツーに購入できる玄米がようやく見つかった。1キロ10,000ルピア(約133円)はこっちではかなり贅沢だけれど、好きだし、健康のためなんだからしかたない。

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 で、最近の食事はこんな感じ。白菜やほうれん草のおひたし、100円均一で大量に買った魚の缶詰(一缶あれば3回分にはなる)、そして具たくさんの味噌汁。

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 たまたまここんとこ続けて気になるお菓子を見つけたのでこっちも紹介。
 私の大好きなホワイトチョコレート。今までは輸入モノしかなかったのだけれど、ようやくインドネシアのチョコ会社がホワイトを出したっ!インドネシアに来てバリに暮らし始めたころから愛用の「SILVER QUEEN」から、出た出たぁ~~~。
 嬉しいけど、基本「敵」なので、今回一度は買ったけど、もう買わないぞ。

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 今日、飲料水を買いにいった近くのスーパーのレジ横にあってムチャ気になった一品。
だって、名前が「ガリボリ」だもの。ムチャ怖そうなおっさんが食べてるし。早速試食してみた。確かにガリガリ食べちゃえる系のミント・キャンディ。この感触って、その昔、明治のお菓子でもあったな~。にしても、ちゃんとカタカナで「ガリボリキャンディ」って入ってるし。食べてるおっさんも「ガリッボリッ」って言ってるし、なんだかとても気になって、サイトを見てみた。
http://www.dolphin.co.id
これでみる限り、インドネシアの菓子屋で、扱ってる商品見てもなんかこの一品だけがミョ~に浮いてる感じ。までも、味はけっこうイイので、こっちは喉の痛いときなんかに使えそう。

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タンキル村栄養補助パック・パート2

 フットワーク超軽で、さらに責任感の思い切り強い「東(あずま)」のおかげで、国際交流基金のMさんから預かった義捐金の使い道が早速決定。1回の栄養補助パックを以下のとおりにした。

1)オートミール
2)シリアル
3)粉ミルク
4)小豆煮汁
5)ビスケット 
これでタンキル村の0~5歳児60人をサポートできる。
1回のパックで約55万ルピアかかるので、今回の義捐金で8回のサポートを続けられる。

 正直なところ、8回のサポートのために、我々8週続けて被災地に行くのはキツい。我々が第1バンブー幼稚園を建設して以来、3つの幼稚園の中でも一番親しくつきあっているこのタンキル村の村長さん夫婦なら、何かをチョコまかすなんてことはしない。もともと我々は今までの活動すべての内容において、関係者がチョコまかしできないよう、信用できる人へフェイスtoフェイスで物資を渡すようにしてきた。なので今回も物資で支援することにした。

 それでも、念には念を入れて、買い出した品物を転売されないようにするには?
 私も東も、村長さん夫婦がそんなことするとは思えないんだけど、少なくとも我々の活動を信用して義捐金を託してくれた人のことを思うと、できるだけ安全な策を考えたい。そこで今回我々がやったのがコレ!

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 買ったものをすべてケースから出し、バラしてビニール袋に詰めたのだ。
 内容はこんなビスケットや、シリアルなどなど。
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 そして今日、東と一緒に16袋をタンキル村に運んだ。村長さんちの猫も出てきて内容チェック。そして村長さんの奥さんに、東が内容の説明。我々としては、週に1度60人の子供たちにこれを作り、その場で食べていくようにするのがベストだと伝えた。もともとの「こどもプロジェクト」栄養補助パックのときに購入した100名分のプラスティック皿とカップはそのままここに寄付してあるので、充分に役立つ。

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 すでに老人や乳幼児に対するNGOや政府のサポートがなくなってしまっている今、我々の栄養補助は随分みんなのために役立つと、村長さんの奥さんも大喜び。彼女は以前も私にこそっとつぶやいたことがあった。
「私ね、本当に嬉しいのよ。こうやって仕事与えてもらうとさ、みんなで頑張ろう!って気になるからね」
 彼女になら安心してこの栄養補助パックも預けられる。

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 東はこのパック配達の後、午後から東ジャワの撮影の仕事に出発した。私は27日から国際交流金のご一行様ジョグジャ視察に31日まで同行する。村長さんの奥さんは、栄養補助パックの配給日程が決まったら教えてくれると言ってたので、あいてる時間を見つけ、義捐金をくださった皆さんへの報告も兼ねて、いつかまたタンキル村へ行くつもりだ。

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バンブー幼稚園・ふたたび

 2006年5月27日のジャワ中部沖地震は、もうすっかり過去のことになりつつある。
 ちょうど私が日本を去ろうとしていたそのとき、新潟でほぼ同じ規模の地震が起こり、1年前のジョグジャ地震を思い出した。

 今回の一時帰国で東京に行ったとき、国際交流基金のMさんと再会した。
 彼女は以前基金ジャカルタ事務所に勤務していて、私の展覧会や私が企画して招聘した日本人アーティストのサポートなど、様々に助けてくださった方。彼女と会ってランチしているときに、彼女から手渡されたのは、国際交流基金スタッフ有志から集めた「ジャワ中部沖地震被災地への義捐金」だった。
 ひょんなことから私が被災地への救助に入るようになり、日本の皆さんから義捐金を預かって動き始めるのだが、その活動も最後には「こどもプロジェクト」の名で被災地3箇所に「こどもバンブー幼稚園」を開設することで終了した。

 それ以降もメール等で義捐金をまだ受け付けているのかと問い合わせがあるのだけれど、私自身がもう自分の生活に戻りたいということと、一人二人からの義捐金を預かっても、有効的に被災地で使うことが難しいことなどから、お断りをしてきた。
 ただ、今回Mさんから義捐金を受け取ったのは、ずっと前からこのお金があることを聞いていて、私が被災地で使うと約束していたことと、有志の皆さんからそれなりにまとまった額が集まっていたので、形になって被災地で利用することができると考えたからだ。

 さっそく「こどもプロジェクト」の立役者、東(ホントの名はチャハヨという。詳しくはず~っと遡って2006年5月27日以降のブログ記事を参照されたし)と再会。ちょっと太った感アリだけど、基本相変わらず元気。日本からメールで事情は伝えてあったので話は早い。
「ところでミドリ、今日は今から時間あるの?」
「なんで?」
「一番いいのは実際に被災地に入ってみて、今何が必要とされているのか見ることだろ」
 さすがは東。彼は本当にフットワークがいい。

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 早速私の車で第3バンブー幼稚園へ。ここは私がヨーヨー道に入信するきっかけとなった、国際交流基金の慰問団が訪ねてくれた幼稚園でもある。今回預かった義捐金は65,059円、先日の換金でこれが4,830,600ルピアになった。
 現場を見る前の段階では、私と東は第3幼稚園に電気を引けないかと考えていた。が、今回行ってみてわかったのは、ようやく今になって政府からの援助金が幼稚園単位で入り、建物を直したりできることになったというのだ。
 念のため、第1バンブー幼稚園のあるタンキル村へも行ってみた。ここは村長さんの奥さんの手料理が美味しいから、どうしても寄りたくなる村なのだ。ここでもやはり、村長さんいわく幼稚園には援助金が入るという。それよりサポートが行き届かないのは、赤ん坊や年寄りらしい。つまり、公共施設(学校など)に所属していればサポートは受けやすく、単独(乳児や家にこもっている老人)の者にはサポートは届きにくいことがわかった。

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 そこで、東と相談した結果、Mさんからの義捐金は以前も「こどもプロジェクト」で遂行してきたような、乳児への栄養補助パックのサポートに使うことに決定。早速1度のサポートで何が必要か、いくら必要か、我々に負担のない程度で、週何回、それを何度続けることができるのかを話し合うことに。明日までにはこの義捐金の使い道がハッキリすることだろう。
 遠い被災地からの帰り道、東と同じことを思った。
「今になって被災地に行ってみると・・・
遠~~~~~いよねぇ~~~~・・・・」

 明日には補助食品の買出しに行きたいと思っている。

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デリバリー:独楽のオッチャンの愛

 国際交流基金の企画で、日本から慰問団がジャワ中部沖地震の被災地へやってきたのは3月中旬のことだった。「こどもプロジェクト」のメンバーでもあった基金本部のKさんの熱いプッシュにより、我々が建てた「第3こどもバンブー幼稚園」にも慰問団が来てくれることになり、手品のおじさん、独楽のオッチャンとオバチャン、そして世界チャンピオンのヨーヨーマスターTAKAさんが、それぞれの素晴らしい技を披露してくれたのは3月21日(『スケバン刑事の先生、地震被災地を訪問』参照)。私の最近のヨーヨー・ブームはここに端を発している。
 バンブー幼稚園の後にもまだ公演場所が残っていたために、独楽のオッチャンはすべての事業が終了して帰国する日に、被災地の子供たちにプレゼントしてほしいと、日本からもってきた独楽のいくつかを私に託してくれた。

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(私も一個もらった。子供たちにはもっと軽いカラフルなブリキの独楽と、木製の独楽をプレゼント)

 オッチャン、ごめんなさ~い。今の今まで、被災地へもってく時間がありませんでした~。いや、時間はあった。でも、せっかくなら「こどもプロジェクト」の縁の下の力持ちで、フットワーク軽く走り回ってくれた東にも、オッチャンのくれた独楽を見せたかったし、彼もここんとこずっと3つのバンブー幼稚園や、被災地の復興の様子を見てないので、デリバリーは一緒に行こうと約束していたのだ。彼がここしばらく、本業のドラマ撮影ロケでジョグジャにいなかったので、なかなか二人の予定が合わずに1ヶ月が過ぎてしまった。そしてようやく今朝は二人の予定が合ったので、頑張って早起きしたのだった。

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 ロロン村の第3バンブー幼稚園、今日も子供たちは元気にお勉強中。お迎えのお母さんたちも、この前の慰問団のことがあるから、今日はこの日本人何もって来た?って顔で迎えてくれた。

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 先生に独楽と、それから東京本部のKさんが託してくれた子供たちへのアメを手渡す。
「あ~、これなら私から子供たちに教えられるわ~、この前ちゃんと教わったもの」
「ヨーヨーは難しそうだったからねー。もらってもできないわよ・・・」
と二人の先生。一人は慰問団のワークショップで、独楽のオッチャンから始動を受けている。
いや先生、ヨーヨーだってできると思うよ、ただ私たちが見たTAKAさんの技があまりにヨーヨーからかけ離れていたために先生たち引いちゃったみたいだ。

 せっかくなので第1バンブー幼稚園のあるタンキル村にも寄ってみた。以前から被災地の話をここで読んでる人は、なぜ私がここへ寄りたいかをご存知のはず。
 そう、村長さんの奥さんの料理~。本当に偶然にも、連絡なしで行った日には必ずといっていいほど私の好物が出来上がっている。奥さんも不思議がって笑っている。今日もココナツミルクい~っぱいのスープがほかほか。幸せ~・・・。

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 タンキル村では政府の復興支援金の第3弾が下りたそうで(今までかかって3回に分け、一家に1500万ルピアが支援されている)、私らが子供たちの栄養補助パックを支給してたときにはただのテントだった村長さんちの入り口も、それなりに家っぽい建物が出来ていた。
ハッキリいって1500万ルピア(日本円で20万円弱)ではもとの家と同じものはまず建たない。でも、ちゃっちぃ青色のペラペラビニール製テントが村いっぱいに並んでた頃を思えば、随分復興したな~と思う。

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 考えてみたら、東と会うのは久しぶり。結局彼は慰問団が来たときも撮影ロケで参加することができなかったので、私が彼と会ったのはそれのずっと前ってことになる。彼はこの前のスマトラ地震のときもサッと現場に駆けつけてるし、本当~~にフットワークが軽い。彼いわく、3年前のアチェ地震も、この前のスマトラ地震も、ジョグジャに比べたら全然復興が遅れているという。
 これだけ広いインドネシア共和国で、国として大切じゃない場所で被害があろうと、国も気合入れてサポートしないってことらしい。

 帰り道で東がいう。
「そういえばウラン(彼の妻)がこの前すげー美味いレレを買ってきたんだよ。この近くなんだけど・・・」
レレってのはインドネシアのウナギといおうかドジョウといおうか。ずーずーしい平ぺったい顔で長いヒゲを生やしている。身は白身でまーまー美味しい。新鮮な海産物がないジョグジャでは、レレの消費量がとても多いらしい。
 このレレを串に刺して椰子の殻を燃やしたものの上で炙り、それにココナツミルクと香辛料いっぱいのスープをかけて食べる・・・なんて説明を聞いてたら、もう食べるしかない。

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 東も初めて行く場所なので迷って迷ってようやくたどり着いた。田舎の村のフツーの家だもの。簡単には見つからんわ。今日は幼稚園訪問があったために、行動開始が早かった。ここについた時でまだ午前10時。レレの香ばしい匂いはするものの、ご飯も焚けて食べられる状態になるのは11時半だといわれ、泣く泣く匂いだけ嗅いで帰ることにした。

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ジャワ中部沖地震の置き土産

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 インドネシアの有名紙「コンパス」の今日付新聞に、昨年5月27日に起きたジョグジャカルタの大地震がもたらした現象の話が掲載されていた。激災地となったのは、バントゥル県、私が住んでいるジョグジャカルタ市からパラントゥリティス海岸の方へ南下したエリア。こどもプロジェクトで建てた3つの幼稚園も、このエリアにある。

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 で、いったいどんな現象が起きているかというと、一つは「娘をとっとと嫁に出す」現象。つまりは口減らし。すでにデータとしても明らかで、20歳未満で最初の子をはらんだケースは2005年の567人から19%増え、06年には675人になっている。
 そしてもう一つの現象は「妊婦増加」。バントゥル県の妊産婦は、年平均が6,600人だったのに、2006年は13,000人とほぼ倍増。
 新聞では、「避妊具が入手できなかったり、ほかに娯楽がないのが理由か。今後、妊婦、乳幼児のケアが深刻な問題」と言っている。口減らしする気があるのに、子供増やしてるっていうのもなんだか矛盾だと思うんだけど・・・。

 話は変わり、先週の被災地の子供慰問団ご一行様にかわり、昨日からジョグジャに来たのは、ある出版社の編集者。最近ではよく本屋で見かける「旅の会話集」とか「指さしコミュニケーション」みたいなシリーズを、アジア諸国からシリーズ化している出版社で、そのインドネシア版の翻訳とコラム執筆に私が当たった。
 翻訳ったって、「わたしはXXから来ました」とか「これはいくらですか」のレベルだから、美大あがりの私でも全然問題ない。この編集者は、インドネシアに詳しくて、DEEPネタをもってそうな人間をネットで探していて、私がジョグジャで発行している日本語情報誌『Jogja Surfing』に関する書き込みなどから最終的に私にたどり着いたらしい。

 ジョグジャ地震のとき、ネットとミクシィから500人近い方が義捐金を送ってくださり、ネットの世界の速度と広さにびっくりしたけれど、今じゃ本当にどこでどうやって人との縁ができるか、わからないもんだなぁ~と今回も感じた。

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 ここ最近、翻訳の仕事が続いた。この話の前から手をつけ始めたのは、今度バリにやってくる高野山の僧侶に関する翻訳。密教真言宗のお坊さんたちが御詠歌と和讃を詠いにバリにやってくるらしく、そこまでのいきさつなどを坊さんのリーダーが書いたもの、それから密教の袈裟や法具についての解説、この2本を訳すことになった。

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 最初に日本語で原稿をもらったときには、日本語の意味すらもわからないくらい専門用語だらけで参ったけれど、偶然にも私はこの前までに仏像に関する本を2冊読んでいたので、曼陀羅についても、仏が手にもつ宝物についても、むちゃくちゃ馴染みのないことには思えなかったので幸いだった。
 さらに、密教となるとヒンドゥー教の神々をたくさん取り入れている。10年間バリで暮らしていたときには、大尊敬するヒンドゥーの高僧んちへ行っては、サンスクリット語やバリ文字の勉強したりしていた私にとっては、密教の神さんたちは結構親しみがある。ヒンドゥーではXX神さんだね~ってことがわかるから、トランプの神経衰弱してるみたいな感じでおもしろい。

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 ちなみに、この御詠歌はバリのガムラン音楽とコラボレーションするという話になってるらしい。密教だからこそヒンドゥー教とのコラボもアリってことなんだろうなぁ。煌びやかな法具や袈裟が見られるから、予定があったら私もバリまで行ってこの御詠歌をその場で見てみたいと思っている。あと、密教ならではの護摩供もやっちゃうらしいし。
 興味のある方もおられるだろうから、詳細わかったらこのブログでもお知らせしようと思う。

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慰問団から学んだこと

 国際交流基金の事業として、2006年5月27日のジャワ中部沖地震被災地の子供たちのために慰問に来てくれたパフォーマーのご一行様は、18日にジョグジャ入りし、19日現地下見(この日は別事業として映画『スウィング・ガールズ』を2箇所で上映)、20日と21日でこどもプロジェクトの第3バンブー幼稚園(2006年11月22日記事参照)を含む4つの学校で公演とワークショップをし、今日23日ジョグジャカルタ→ジャカルタ経由で日本に向けて出発した。
  今回の慰問団ご一行様は4人。手品師MAX渡辺、日本独楽博物館のこまのおっちゃん&おばちゃん(藤田夫妻)、そして日本初のヨーヨーマスター長谷川さん(ヨーヨーマスターTAKA)。皆様海外での公演を過去にたくさんこなしてきた人たち。確かに、どの芸も言葉がなくとも通じる芸だ。

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(ご一行様の最年長、75歳の手品師MAX渡辺)

 21日付『スケバン刑事の先生、ジャワ地震被災地を訪問』でも報告したので、バンブー幼稚園での話はおいといて、今回数日彼らと行動を共にしてわかった日本の芸能の素晴らしさをちょっと話しておきたい。

 まずはなんといっても「独楽のおっちゃん&おばちゃん」。同じ趣味と芸をもって海外を回れるなんて、ステキな夫婦だなぁ~とフツーに感動した後、おっちゃんのガレた声と芸風のファンになった私。「イイ意味で」猿を彷彿させるおっちゃんの顔と声と動作は、文化も言葉も違うインドネシアの子供にもかなりウケていた。衣装は『必殺仕事人』のヒデさん(当時私が大好きだった三田村国彦が演ってたカンザシ屋)みたいな井出達。そしておばちゃんもいかにも「南京玉簾」やります風の衣装。顔から体形からすべてがバッチリ。

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(2つの玉すだれで家を作るおばちゃん)

 今回は舞台も、フツーの時も、彼らと一緒にいたのでよ~くわかったけれど、おっちゃんの独楽に対する真剣で真面目な情熱が常に感じられて、私一人で感動していた。どこの国に行っても、とにかくその国の独楽や遊び道具を探そうと一生懸命なおっちゃん。今回は自由時間もほとんどなかったので、結局本当のインドネシア伝統遊具は見つけることができなかったけれど、いつか私がふらふらインドネシアの田舎へでも遊びに行ったときに、おっちゃんの喜ぶような昔ながらの独楽が見つかったらいいなぁ・・・。

 そして今回私がハマってしまったのはヨーヨー。今日は運転するときにハンドルもっても右手の平、中指の付け根のぷくっと盛り上がった部分が痛くて仕方なかった。これは勢いつけて投げたヨーヨーが戻ってくるのをキャッチして、同じ場所に何度も当たってたから。素人だからこうなる。うまく衝撃をゆるめて受ければ、こんなことにはならないらしい。さらに、今朝シャワーを浴びていて気づいたら、足にも青あざが・・・。必死で練習してるときに、そういえばぶつけてたわ・・・。

 このTAKAさん、フツーに爽やかな青年なのに、ヨーヨー持たせるとムチャかっこいい。世界レベルのパフォーマーの顔になっている。独楽の夫婦と合わせて3人は、回す手わざという意味でも近いものがあるし、以前海外公演で一緒だったこともあり、食事中いつも真剣に技の話をしていた。
 おっちゃんが魅力的なのは、真のエンターテイナーで、単に技を見せるだけじゃなくて、どうやって観客(子供を想定してるようだ)を喜ばせるかを考えているところ。南京玉簾も、単純な形が子供に自由に発想を誘うから好きだと言う。チョウチョに見えようが、旗に見えようが、それを子供の勝手にさせてやってる。
 どの世界でも、プロ意識のある人はカッコイイ。特に彼らのやってることには、「創造」の部分が多いから私にも通じるものがある。そうそう、TAKAさんなんかは、世界で初めて2つのヨーヨーを一度に回すという技を生み出して、それに名前までついている。

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(おっちゃんの芸で私が一番感動した扇子に乗って回る独楽)

今日、ご一行様が帰ってしまう前に、どうしても2日前に教わった技を自分のものにしたかったので、お別れをいうついでにホテルまで行って、ヨーヨーマスターから最後の指導を受けることができた。旅の疲れもあるだろうに、こんな大人の素人につきあってくれるマスターTAKAは本当にやさしい青年だけど、
「ヨーヨーのことだったら、僕は楽しいからいいんです」
と言った彼の言葉も本心なんだと思う。
彼のこの言葉は私に響いた。だって、私のいる世界でも同じだと思うから。「好き」ってことが一番大切、だから続けられるんだと、当たり前だけど思った。

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(写真は師匠TAKAさん。ヨーヨーと一緒に撮影するときのポーズまで指導を受けた)

TAKAさんは子供の頃、南野陽子の「スケバン刑事」を見てヨーヨーを始めた。そして世界チャンピオンの座に2度も付き、昨年公開された「スケバン刑事」では演技指導や技作りなどに関わっている。子供のときに見た夢が、ここまで来てるんだからスゴイ。ちょっと違うかもしれないけれど、郷ひろみが好きで好きで、会いたいからって頑張って芸能界に入って、結婚までいきそうになった松田聖子みたいじゃん。これもすべて「好き」だからできることなんだろうなぁ~。。。

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(最後の夜、食事会したレストランでジャワの宮廷ガムランに合わせてパフォーマンスを始めたTAKAさん)

今回はご一行様といて、「追及心」、「向上心」って言葉を久しぶりに思い出した。私が選んだ世界でもすごく大事なことだと思う。被災地の子供たちのためにジョグジャに来た慰問団に、私は個人的にかなり癒されたし励まされた。まっ、私んちも被災してて私だって被災者なんだからいいよな。これからもヨーヨーの技を磨くぞ~。

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スケバン刑事の先生、ジャワ地震被災地に来る

 今日は「こどもプロジェクト」第3バンブー幼稚園に、日本からの慰問団が来てくれた。久しぶりに早起きし、午前7時半、会場になるロロン村へ。ジャワ中部沖地震で全壊したロロン村の幼稚園を再建したバンブー幼稚園では、現在35人の園児が元気に学んでいる。
 今回、国際交流基金からバンブー幼稚園にも慰問団を派遣したいとお話をいただき、幼稚園の先生に連絡したところ、
「そんな珍しいものを見せてもらえるなら、ぜひ、他の幼稚園児にも呼びたい」
との希望で、今日の公演には周辺の7つの幼稚園から合計200人の園児が集まった。私が現場についたときにはすでにバンブー幼稚園の中は満員。

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 今回慰問に来てくれたのは、蒲郡(愛知県)の手品師MAX渡辺、名古屋で独楽博物館をもつ藤田夫妻(独楽のおっちゃんとおばちゃん)、そして2度もヨーヨー世界チャンピオンになったヨーヨーマスターTAKA。彼は『スケバン刑事』で主役の松浦亜弥に演技指導もした人。
 インドネシアの片田舎、ジョグジャカルタまで来てくれた慰問団の4人のうち、3人が愛知県出身(私は名古屋出身)というのも意外でおもしろかった。

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 さて、本日大盛況のバンブー幼稚園、最初の出し物はMAXの手品。私自身、手品を間近で見たのは初めてだったので、真剣に見てしまった。箱からウサギ、新聞紙に水注ぎ、宙からコインなど、思い切りスタンダードなネタではあるけれど、仕掛けのわかりにくいものがあったりで感動。幼稚園児には難しいかと思いきや、かなりウケてたのでMAXも大張り切り。
 これ以降の芸は場所を幼稚園の外に移して行った。長身のヨーヨーマスターTAKAが、インドネシア語を使いながらヨーヨー芸を披露してくれる。実は私は小学校のときに「光るコカコーラYOYO」を持っていて、いっときヨーヨーにハマった時期があったので、今回一番楽しみにしていたお題目。さらにTAKAさん、インドネシアへ来る前にこのブログにも寄ってコメントくれたこともあったから、会うのが楽しみだった。

yoyo

 さすがに世界の舞台に何度も立ってきただけあって、完璧なエンターテイメント。技は正直いってあまりに高度すぎて、何してるのかわからないくらいのスピード。しかし見せ方が上手い。若いのに、技だけでなく芸として人に見せることを極めてるな~と関心して見とれてしまった。

 そして締めは独楽のオッチャンとオバちゃん。伝統ネタの独楽、そして南京玉すだれ。これもなんとなくどんなもんかは知ってるけれど、実際に見たのは初めて。独楽はスゴイ!細~~い糸を渡ったり、扇子のあの薄い紙の上で回ったり、素直に感動。
「はい!竹コプターしたい人~!」
といって一人の園児が前に出ると、その子の頭で独楽回しが始まった。ドラえもんネタはインドネシアでも充分にウケる。私もやってほしかった、この竹コプター。
 南京玉すだれも、園児が参加。独楽のオッチャンもうまい。芸人魂を感じる。声のガレ具合がまた味がある。日本人なら誰でも知ってる南京玉すだれででっかいアーチを作り、子供のチンチンとこに持ってって、
「はいっ!おしっこ~~~~」
とか言っちゃってるから、みんなに大ウケ。

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 公演時間としては2時間弱だったけれど、バンブー幼稚園の先生も園児も、それ以外の6つの幼稚園の先生&園児も、みんな喜んで帰っていった。今回慰問団は昨日2つの小学校、そして今日はバンブー幼稚園と、午後に小学校1校、すべてで4つの場所で公演をしてくれた。私が関わったロロン村だけが幼稚園児。慰問団の皆さんに聞いたらバンブーの園児たち、反応としてはよかったみたいだ。ただ、まだちっちゃいから、小学校では人気だったワークショップ(ヨーヨーや独楽回しを練習できる時間)が今ひとつ盛り上がらなかった。ま~3~4歳ではちょっと難しいかもな。それでも先生たちが一生懸命に独楽回しの練習したりしてて、それはそれで和やかな風景だった。今回インドネシアに持ってきた80個ほどの独楽は、今回の慰問先にプレゼントされることになった。アリガトウ、独楽のオッチャンとオバちゃん(←これ、ホントに彼らの芸名)。

 夜は公演スケジュールをすべて終えた皆さんと、一緒に夕食をとる機会を得た。
そして!!! ヨーヨー世界チャンピオンTAKAからもらったのがこの光るヨーヨーっ!!! マジで嬉しい。小学校時代ぶりにヨーヨー握ったけれど、嬉しい~・・・。さらにさらに、スケバン刑事の先生からの直接指導を受けることができて、本気で感動。私のスナップを見て
「あ~、やっぱり子供のときにやったことのある人ですね~~~」
なんて言われて、また調子にのってしまった。夕飯も適当に済ませ、簡単な技にのぞむけれど、なかなか簡単にはいかない。
 明日は慰問団の皆さん最後の1日になる。最後の夕食会までに、宿題を出してもらってので、今日明日はその技を練習せねば・・・。ゆっくりブログ書いてる場合じゃない。

MyYoyo

 さらにさらに、独楽のオッチャンからは独楽と玉すだれをいただいた。日本の伝統玩具スペシャル~!玉すだれも教えてもらうとかなり奥が深い。こちらはちなみに名古屋市港区にオッチャンの独楽博物館があるので、興味ある方はこちらのサイトを参照されたし⇒独楽博物館

 ご一行様は被災地の子供たちの慰問に来てくださっているのだけれど、私個人もかなり癒された1日となった。公演通訳を頼まれていたのに、すっかり忘れて観客となってしまってました。基金のTさん、ゴメンなさい・・・。そして慰問団の皆さんにもこの場を借りてお礼を言いたい。子供たちを見る目がみなさん本当にやさしかった。「見せる」プロの姿勢、子供たちのためにたくさんのインドネシア語を覚えてきてくださったボランティア精神にも頭が下がる。本当にお疲れ様でした~。

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