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ニュピとオゴオゴin BALI

 私が10年間過ごしたバリ島の島民は、ヒンドゥー教を信仰し、西暦の他にサカ暦(1年354日)やウク暦(1年210日)でも時間を測る。このサカ暦の新年が今年は西暦の3月7日に当たるので、久しぶりにバリで正月を迎えるべく、2日前の5日夜、バリへ向かった。
 バリの新年は「ニュピ」と呼ばれ、1年の始まりに音を出すことも火を使うことも許されない。つまり元日24時間は道路に一台も通行者、車がなく、台所で調理する者もいない。夕方日が暮れても誰も家に火は灯さず、真っ暗な中で元日の夜を過ごすのだ。
 その代わりといってはなんだけれど、大晦日はスゴイ。聖なるバリ島が新年を迎えるためには、島中の悪霊を追い出して浄化しなければならない。だから村の子供たちは爆竹のようなものを鳴らしたり、鍋を叩いたり、どこそこでドンドン、カンカン、ガチャガチャと音がする。

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 もう一つ面白いのはオゴオゴ。日本の「ねぶた祭」の山車にも似たオゴオゴは、バリの悪霊をかたどった張りぼて。町内の若い衆がそれぞれに趣向を凝らし、様々なオゴオゴを作り、大晦日の夜に練り歩くのだ。そしてこのオゴオゴ(悪霊)は、場所によって海岸沿いで焼かれたり、墓地で破壊される。つまりこれでバリ島から悪霊は消え、キレイな状態で新年を迎えられるというわけ。

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 久しぶりにバリでニュピ(サカ暦の新年)を迎えることになった私は、5日の夜空港に着いて村に戻ると、早速迎えに来てくれたマデサナ兄貴と一緒にUBUDの周辺を回った。まだ制作中のオゴオゴをチェックするためだ。
 長くバリに暮らしていると、いやな面も見えてくる。最初にツーリストとして感動したバリとは違う「生の暮らし」としてのバリはイイところばかりじゃない。でも、バリを出て、今度は7年もジョグジャに暮らしていると、久しぶりに戻ったときのバリの印象はやっぱりイイものに変わっていたりする。今回も「やっぱりバリはスゴイ!」と思ったのがオゴオゴだった。

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 だって、こんな立派なハリボテが、フツーーーの村のガキたちによって作られているって、スゴくないか? 特にUBUD周辺は、観光客相手のレストランやホテルも多いから、多額の寄付金が出る。明日の大晦日の出番を待っているオゴオゴの横には、町内の誰さんがいくら寄付をくれた・・・と表がある。UBUD中心のオゴオゴには1体作るのに1300万ルピアの寄付金が集まっていた。もうすぐ3年目になる、あの中部ジャワ地震では、家を全壊で失った家族一件に着き1500万ルピアの復興義捐金が政府から出た。家一件建てろという額と、大晦日一晩の命で捨てられるハリボテ1体の制作費がほぼ同じというのも、う~ん・・・、なんとも考えさせられる。

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 そして翌6日、つまりは大晦日。
昨年はバリ島内で3110体のオゴオゴが作られ、今年は4035体が練り歩くことになっているらしい。いっときはこのオゴオゴ行列が酔っ払った若者のケンカ御輿みたくなって危険だとういうことで、警察から規制があったりもしたけれど、今年はどうやら盛大にできるらしい。
 今日ここで掲載しているのは、私のバリの家族の住んでいる周辺のオゴオゴ。これがフツーに、芸大生でもなんでもない、村のガキ達によって、大人の手も借りずにできているってのは、う~~~ん、やっぱりバリはすごい・・・。それとも、ねぶた祭のあるかの地でも、村の子がこういうものを作れるっていうのは、フツーのことなんだろうか?

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 バリの人たちに便乗して、私も自分の心の中のマイナス思考(それこそがバリ人のいう悪霊なのかもしれないな・・・)を大晦日の夜と一緒に吹き飛ばしてしまおうと思っている。皆さん、新年おめでとうございます!(バリ式に「SELAMAT HARI RAYA NYEPI!!!」)
 

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大阪~バリ島~ジョグジャ

 長かった日本滞在も終わり、ミゾレ降る中朝6時26分の新幹線で名古屋を出発、関西空港へ向かう。お願いだから今度帰る時までに、名古屋直行便再開しててほしい。ホントに頼みます。

 夕方にはバリ島のングラ・ライ空港に到着。到着のちょい前には機長から案内が入る。
「今、皆様の左手に見えますのが、バリ島の聖なる山、アグン山です」
天気もよく、雲からちょこんと頂上を出したアグン山を拝むことが出来た。

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最近私のバリの家族は、子供たちも大きくなったので運転できる人材が増えた。昔は兄貴であるマデ・サナしか運転できなかったのに、娘も、甥っ子も今じゃ立派なドライバー。今日は甥っ子の運転に兄貴の息子フォギーがくっついてきてた。
 測らずも今日はバリの祝日ガルンガン、甥っ子とフォギーはバリ男児のしゃきっと清楚な正装で迎えてくれた。なんだかカクさん・スケさん従えた黄門様の気分で嬉しい。
 
 ちょうどバリの家族の家のある町では、町内に祀る神様の祠が御開帳。家族のみんなで夜の10時からお寺に行くことになった。こんなこともあろうかと、今回はちゃんとクバヤ(バリ女性の正装)も用意してきたから大丈夫。日本で着物習ってからクバヤを着てみると、キレイに見せるためのツボみたいなものは同じような気がした。新たな発見。

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 翌24日夕方の便でジョグジャへ。バリでゆっくりもしたいけれど、ここまで来ちゃうとジョグジャに残してきた2匹の犬たちに早く会いたい。3ヶ月ぶりに犬たちに会ったら、30分ほど興奮と感動で泣きおさまらなくて大変だった。でも元気に待っててくれて嬉しいなぁ。留守を守っててくれた犬守のオバチャンにもしっかりお礼を言わなくちゃ。

 そして25日はいきなりのアルバイト。
 東京のとある美術館が主催する展覧会で、インドネシアから2名のアーティストが選ばれたのだ。チーフキュレーターである若い男性Hさんが、作品だけではなく作家本人にも会っておきたいということで、今回日本に帰ったときにアテンドを頼まれた。
 運良く選ばれた2名は私もよく知っている人だったし、28日まで開催している「ジョグジャカルタ・ビエンナーレ」にもお連れできる。通訳や翻訳の仕事でも、内容が美術関係だと本当に楽しい。

 選考したアーティストのスタジオ訪問は午後にして、まずはビエンナーレの3会場を回った。
 最初に行ったのはジョグジャカルタ芸術院(ISI)の旧校舎を改装して作ったジョグジャ・ナショナル・ミュージアム。まだ100%完成ではないけれど、ここだけでも50余の作品が展示されていた。
 私が帰国する前にはまだガランとしたボロ廃校だったのに、こんな立派に改装されたとは驚き。

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 今年のビエンナーレは3会場で同時開催、中でも私のバリ人の友人リヨンが自費で作ったスペース、サンクリンの立派なのには驚いた。2フロアあって採光もいい感じ。30台半ばにしてこんな展示スペースを個人で持っちゃえるからインドネシアはスゴイ。

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 そしてようやくHさんのご希望だったアーティストにご対面。
 私はどっちとも同じくらいに親しく、彼ら2人は同い年のくせに親分・子分のような関係なので、インタビューは終始ほのぼのモード。東京からいらしたHさんが32歳、選ばれた2人は38歳、冗談のツボもほぼ重なってるようだ。

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 熱心に2人のドローイングに目を通していたので、仕事が終わったのは7時を回っていた。一仕事終えてホッとしたHさんに、少しはジャワらしいものを見せようと、オススメのジャワ音楽ライブを聴きながら食事のできる場所へお誘いした。ここで乾杯~。お疲れ様です。

 ジョグジャの家を半日かけて掃除して、さっきメールをチェックしたら、名古屋のアートライター田中由紀子さんから、お知らせがあった。彼女が執筆に関わっている美術情報サイト『PEELER(ピーラー)』に先日の個展レビューが掲載されたとのこと。
 興味ある方は『PEELER』をご覧頂きたい。

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 ミゾレに送られて日本を去ったら、私を待ってたのは摂氏30度のインドネシアだった。Hさんの調査アテンドでは、夕方からド派手なスコールにあい、今日もまた午前中のてとつもない(名古屋では「どれだけない」という)蒸し暑さの後でドラム缶ひっくり返したような雨が降った。そうしてると足首周辺を蚊に狙われている。
 急な30度の温度差、日本じゃ今回見なかった蚊、冬から一気に真夏状態で、老体は少々戸惑い気味だけれど、またこの島での日常が始まるんだなぁ・・・。

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オフィシャル・レバランとバリ島爆弾テロ

 インドネシア政府が公式発表した断食明けは今日12日。さっきの日没と同時に、これで本当にインドネシア中のイスラム教徒が断食明けの長期休暇に突入したことになる。昨晩からニュースでは、すでに帰省ラッシュの大通りで、スピードの出しすぎ、よそ見運転などで死者の出るような事故を何件も報道している。
 ところで今朝、バリの旧友N翁からメールがあって思い出した。そうだ、今日10・12はバリ島で大きな爆弾テロのあった日でもある。今年でもう5年になる。バリ島南部、観光地として有名なクタ・ビーチで、路上に止めてあった自動車爆弾が爆発、向かいのディスコなど多くの建物が炎上し、202名の犠牲者を出した。日本人観光客も含まれる。

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(現場に建てられた追悼モニュメント)

 私は当時ジョグジャにいたけれど、その後の浄化儀礼に参加して、その惨状を目の当たりにした。今思えば、あの時見た惨状が生まれて初めて見た爆発の恐ろしさだった。そして2年前の地震の被害、あれが天災の中で一番悲惨なリアル体験だった。

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そうか、あの爆弾テロからもう5年もたつんだ・・・。それにしてもインドネシアはテロ、津波、地震と人災天災なんでもアリだ。インドネシアに限らず、なんだかこのごろ世界中でこの3つはよく耳にするようになった気がする。いったいこの地球はこの先どうなるのだろう。
外はまだ、断食明けを祝うイスラム教徒の騒ぐ声と、王宮広場で打ち上げる花火の音で騒々しい。彼らにとっての新年が、テロも汚職もない1年になることを切に祈る。クタの爆弾で犠牲になった多くの人々(外国人ツーリストだけではなく、周辺で働いているインドネシア人も多く亡くなった)のために合掌・・・

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フォギーの誕生日イン・バリ

 インドネシアの国営航空GARUDA。以前はちゃんと名古屋の直行便があったのに、テロ、鶏インフルエンザなどが続き、さらにもってる飛行機のいくつかが要修理となった。今では帰国のたびに関空か成田かを選択しなければならないのが少々つらい。かといってJALを使えるほどの余裕もないのが悲しい。
 今回の一時帰国は関空イン、関空アウトを選んだ。名古屋を7時ちょっと前の新幹線に乗り、新大阪でJRはるかに乗り換えて9時3分に関空に着く。飛行機は11時出発なのでちょうど2時間前にチェックインできる計算。
 3連休の最後の日だっていうのに、学生やハネムーナーでほぼ満席。トランクの出てくるのを待って空港の外へ出たらバリの娘エリパニ、彼女のホントの母親、エリパニのいとこにその子供に・・・と女子供総勢7人に迎えられた。私を入れて8人、さらにでかいトランクが2つ。これでちっちゃなジムニーにきゅんきゅん詰まってUBUDへ。

 空港で私を迎える前に、彼らはジンバラン海岸で魚を買ってたらしく、狭い車内は生臭くてたまらなかった。とはいえ、エリパニの母ムプの手にかかった魚料理は美味い。バリの家族のもとで私が一番ほっとするのは、ムプの手料理を食べるときなのだ。思わず食が進むちょうどいい辛さがたまらない。

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 ホッとする間もなく、同じ町内にあるロンボク島出身アマッド親父の家へ。彼は日本でも流行の「アタ小物」を扱う店を経営している。私は小学校の同級生、樋口君の仕事のお手伝いで、彼が輸入するアタ小物のクオリティチェックと発送をすることになっているのだ。この前日本へ帰る前に発注したゴミ箱、ティッシュ入れなど7品目のチェックをして、アマッド親父とちょっと話して今日は終わり。明日にはちゃんと梱包する約束をして別れた。

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 翌20日は、はからずもフォギーの誕生日。フォギーはエリパニの弟、つまり私が10年来世話になっているUBUDの木彫り師サナ兄貴の息子。「誕生日」といっても西暦の誕生日ではなく、バリ人が使っている210日で1年のサカ暦での誕生日「オトン」のことだ。そういえば前もバリへ戻ってきたとき、ぴったりのタイミングで娘エリパニのオトンに重なって、誕生ケーキを買ってあげたなぁ。

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 今日もフォギーに聞いてみた。
「誕生ケーキと、ベトゥトゥとどっちがいい?」
ベトゥトゥというのは有名なバリ郷土料理の一つで、鶏やアヒルの内臓を取り、中に香葉を詰め、バナナの葉で包んで約1日炙り焼きしたもの。私は誕生祝を買ってやるという名目で、実は自分の食べたいものを注文したいだけ。
 フォギーがベトゥトゥを選んだので、さっそく町内で有名なベトゥトゥ焼き屋にサナ兄貴が注文に行ってくれた。出来立てのベトゥトゥはこんな感じ。見た目はそんなに美味しそうに見えないかもしれないけれど、香辛料がほどよく効いてて、ジューシーな脂と混じってたまらない香りと歯ざわり。

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 これは私が昔、バリの男性舞踊「バリス」を習っていたときに作った「マイかぶりもの」。真剣に学んで、膝を痛めたり、寺院祭で奉納として舞ったのはもう10年も前のこと。よる年波には勝てず、今では絶対にバリスなど踊れない。多分貧血か酸素不足でブッ倒れるだろう。そこでこれを娘のエリパニにプレゼントして、彼女がバリ人の踊り子さんか舞踊グループへ売りこみに行き、得たお金は彼女の卒業式の費用(レンタル衣装、卒論の製本など、結構金がかかる)に当てさせることにしたのだ。最後にもう一度かぶってみた。
もともと裕福でもないくせに、どうしてもこの勉強熱心で賢い娘を学校へ行かせたくて、私でも支払える学費の1年制の学校へ入れてからもう1年。ついに彼女も卒業する。私にはどうしても式に出てほしいと言ってたけれど、日本での個展に重なってしまって出席できないのが私もとっても残念だ。

バリの家族のもとを訪ねるたびに、ここの父ちゃんから
「なんでミドリはもっとゆっくりして行かんのだ!」
と怒られる。そうだなぁ、今度はもっとゆっくり過ごしたいな~・・・と思いながら、2泊2日のバリを発ち3週間留守にしてたジョグジャへ・・・

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死の寺院&父チャンのお出かけ

明け方になってトゥガララン村から戻り、しっかり朝寝坊して起きると、マデ兄貴の嫁のムプが台所でお供え物を作っていた。この3日間、プリアタン村トゥンガー町のご神体がトゥガラランへお出かけしていたのだけれど、今晩をもってお帰りになるので、最終日用に供え物をもって近所にあるプラ・ダラム(死の寺院)へお参りに行くのだ。
「ミドリ、あんたも夕方行くんだからね」
と言われたので、またもや娘エリパニのクバヤ(正装)を借りる。

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 このエリパニは19歳の若さでバリ・ヒンドゥー教の儀礼を司る僧侶の青年に嫁いだ。自動的に彼女も「聖職者」となる。だから最近では儀礼のあるたびに、聖職者の証として、全身を白で包む。まだほんの少し洒落っ気も残ってる彼女は、飾りナシの真っ白のクバヤはイヤらしく、ちょっぴりお飾りのあるクバヤを選んだようだ。なぜかその一着が実家においてあったので、今日は私がそれを借りた。
 聖職者は白しか着ちゃダメで、一般ピープルは白を着てもイイ。といっても、まったくの一般ピープルが全身白尽くめってことはまずない。私のような凡人が、エリパニの白いクバヤを借りたとしても、下半身は色つきのバティック巻いてるし、全然問題ない。
 それより、身長は私より15センチほど高く、横にも相当に広いエリパニのクバヤは超デカく、タイトに着こなすべくクバヤがぶよんぶよんだったのでちと恥ずかしかった。でも初めて着た白は、気持ちが引き締まってなかなかよかった。今度自分用に白を1枚新調しようかなぁ・・・

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 そして翌朝21日。私がジョグジャへ発つ日。
 以前、空港までの道のりに父ちゃんを連れて行ったら、初めて見るデンパサールの街や、エスカレーターに大興奮してくれた。私がバリへ戻るたびに、
「今回はミドリ、街へは寄らんのか?」
と聞いていたので、今日はまた父ちゃん連れて街へ行った。
 ちょっと早めに家を出れば、私が空港へ着く前に、デンパサールの街でランチが食べられる。10年以上もお世話になってきたこのバリの家族に恩返しできることといったら、このくらいしかない。

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 今日のメンバーはマデ兄貴、嫁のムプ、息子のフォギー。そして四男(うちの父ちゃんには4人の息子がいて、全員同じ敷地で暮らしている。私の兄貴分であるマデは次男)の娘のメリー。そして父ちゃん。
 一人ずつメニューを選んでいたら遅くなるので、私とムプでささっとメインディッシュをオーダー。今日選んだのは空港に近いマタ・ハリ・デパートのフード・コート。午前11時と、お昼タイムより早かったために、思い切り空いてて気持ちがいい。
「ふ~~む。この前のデパートよりきれいでええのぉ~~~」
ともう都会慣れした気分の父ちゃんを見て孫たちが笑う。

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 歯の抜けた父ちゃんでも食べられるメニューにしたので、父ちゃんご満悦。みんなでワイワイ食べていると、突然父ちゃんが真面目な顔して、私の左腕をつかんだ。
「ミドリがこうやってたまにバリに来てくれるからよぉ。わしも街に来てこんな美味いものが食える。父ちゃんなぁ、ホントにホントにありがとうよ。ミドリぃ~、ありがとうよぉ~」
左手痛いってば、父ちゃん。
 インドネシアの物価で暮らしている私にとっては、これだけの人数にランチを振舞うのはそれなりに大変なことではある。でも、ここまで喜んでくれる父ちゃんを見ると、
「今度戻ったら、またつれてきてあげなくちゃなぁ~~」
と思ってしまう。
 親孝行したくても20年も前に逝ってしまった本当の我が父も、きっとこんな私を見て一緒に喜んでくれてるんじゃないかと思う。だからバリの父ちゃんよ、今度もまた一緒にデパートでご飯食べようね。

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チーズと黒ビールと寺院祭

 今回の帰国で、ヨーヨーの師匠TAKAさんから新たなトリックを伝授された私は、バリで一番のヨーヨー仲間、マデ兄貴の息子のフォギーに朝っぱらから早速で技を披露。私が要した時間の半分くらいでそれを把握するフォギー。う~、年齢の差か・・・。

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いつもバリに戻ると、会う人は大体決まっている。昔お隣さんだったN翁、そして私がバリで暮らすと決めたときにバリ太鼓を習得するために留学中だったTさん。彼女はその後、太鼓の師匠と結婚し、今では娘さんも大きくなった。今となってはツーリストのようにバリを眺めることのできる私は、毎回彼女に新しくできたレストランに連れてってもらうことにしている。

今回は、大好物のインディアンを食べよう!ってことで店に行ったのだけれど、なんと今年2月から閉店。仕方ないので以前も試して美味しかったチーズとソーセージのレストランへ。整備されたサッカー場で戯れる若者を見ながら、ビールとチーズでクィッといく。

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ここ数回、無意識で決めたバリでの日程がなんらかの宗教行事と重なってることがある。この前、日本に帰る前に寄ったときには、バリ暦で1年に1度の祝日ガルンガンにぴったりあたってたし、今回は我がバリ人家族の暮らしている村の寺院祭に重なっていた。こうなると兄貴と兄貴の嫁は当然のことのように私を連れて行こうとする。

 しばらく寺院祭に出かけたこともないし、嫁に行った娘エリパニが実家に残しているクバヤ(女性の礼装)も借りることができる。さらに、今回の祭は大きなもので、この村の神さま(バロンやランダという聖獣の形態をとった面とその身体からなる)が、縁ある北の村の寺院へ出かけている。
 普段は町内の祠で大事に奉られているこのご神体が、寺院祭にあわせてちょっくら向こうの村まで出かけているということで、私も久しぶりにこのご神体を拝ませてもらうことになる。

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 私のバリ人家族が暮らしているプリアタン村とかかわりの深いトゥガララン村へ向かったのは夜11時。ご神体が我々の前に現れてくださるのはこうした時間から。チャロナランという災い祓いの意味をもつストーリーに合わせて、経験豊富な踊り手と、ご神体が舞台に登場する。
 マデ兄貴のおかげで、かなり遅くから会場に来たにもかかわらず、聖職者が座る一等席をGET。兄貴は背が高いから、こうした人ごみの中でもどこが空いてるか、一目でチェックしてくれるから助かる。

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 ストーリー後半で登場する悪霊の手下の一人が、昔お世話になった宿屋の娘だったので驚いた。まだ小学生くらいで華奢な身体をしていた少女が、今ではこんなセクシーな悪霊を演じられるとは時の流れを感じる。

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 さらに、その悪霊のボスを演じたのは、私のバリ舞踊の師匠スクロ先生だった。私がバリ男性の演目であるバリスを習っていたのはもう10年近く前のことなので、先生を見るのも10年ぶりくらい。バリの細密画描きでもあり、素晴らしい踊り手でもある師匠の迫力ある演技と踊りを久しぶりに見て感動・・・。

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 そして最後には、プリアタン村のご神体、ラトゥ・マスのご登場。こうしたご神体を身につけ、躍らせることができるのはごく限られた人だけ。私の師匠スクロ先生のお父さんは昔からこの役をよく引き受けていたので、今回もそうだったのかもしれない。
 ご神体の登場で、災い祓いのチャロナラン劇が幕を閉じたのはもう朝の3時半。途中むっちゃ眠いながらもなんとか頑張れた。ぞろぞろと寺院を出る人の波に混じり、寺院から随分遠くに停めた車に乗り込み、家に戻ったのはもう空がしらじらと明けかける時間だった。

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関空からバリへ

 今年の正月を日本で迎えるために帰国したときに、ギリギリみつけて名古屋着のガルーダ便に乗った。がしかし、今年に入って名古屋-デンパサール便は欠航となり、名古屋人の私は日本へ帰るのに大阪か成田かを選択せざるをえなくなってしまった。
 帰国の際には時間と交通費のお徳さを取って関空着にしてもらったけれど、戻りは成田発でチケットをおさえた。

 が、結局出発ギリギリの連休に名古屋でやらなければならない仕事を残してしまったので、GARUDA大阪のHさんに無理言ってチケットを変更してもらった。結局は発着ともに関空の世話になった。

 午前11時に予定通り大阪を出た飛行機は、1時間の時差があるバリ島デンパサールのングラ・ライ空港に午後4時50分到着。名古屋便もなくなっちゃって、いまどきインドネシアへの観光客は激減してるのかと思いきや、なんのなんのほぼ満席。

 迎えに来てくれたのは、わが娘のエリパニ、その母(私はイミテーション母なので実母はちゃんといる)、そして弟のフォギ。今日は途中で寄り道せずに、とっととバリ家族の家があるUBUDまで帰らなければならない。旧友であるN翁との待ち合わせがあったからだ。

 私とほぼ同じ時期にバリに移住したN翁が最近知り合った日本人が、UBUDから北へ向かったエリアで洒落たカフェを経営している。ちょうど今日はここでライブがあり、おまけに今日は我々共通の知人、アーティストのSさんの誕生日でもあるというので、この店でお祝いも兼ねることに。

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 店の名はAS ONE。外見はこんな感じ。UBUD中心地の騒々しいエリアと違って、周囲は静かでいい感じ。

 ゆっくりお喋りもしたいので、ステージから離れて後ろめに席を確保。

 もともとは週2日、夜にジャズのライブがあって、バリ選りすぐりの奏者が演ってくれるので、かなり聞きごたえがあるそうだけれど、なぜか今晩はジャズじゃなくってシタール演奏。この白人のおじ様も我々同様20年近くバリに在住している考古学者で、シタールの腕はプロ並みってことらしい。

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 聴いててイヤじゃないんだけど、聴き入るぅ~~~ってほどでもなかったので、バックミュージックにしながら久々の再会のSさんとN翁とお喋り。

 こういうとき、バリのインターナショナル感を感じる。バリの田舎で暮らしているだけだったら、それはもう、完璧に現実から遠~~~い所にいるだけなんだけれど(事実私が昔そうだった)、バリも出るとこに出てると、あるいは集まるところに行くと、かなりインターナショナル。下手したら日本よりもインターナショナルかもしれない。しばらくバリを離れていたので、この「インターナショナル感」を久しぶりに見た気がした。

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 そしてもう一つ、3週間を日本で過ごしてきた私には、バリにずっと住んでる人にとっては、こうしたライブ演奏一つが、かなり貴重な娯楽、あるいはエンターテイメントであることを、これまた娯楽に飢えて飢えてたまらなかった私自身のバリ時代を思い出して感慨深かったりした。

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ガルンガン前の我が家

 フィリピンから戻って6日目の今日、一時帰国のためにまずはバリまで移動。
 私には一年に一度やってる仕事がある。犬山市にある野外博物館リトルワールド内にあるバリ島貴族の家のコーディネートで、建築全体を飾る伝統布を発注・発送している。ちょうど今回がこの完成時期にあたったため、日本へ帰る前にバリから発送作業をすることができた。

 イスラム教圏のジョグジャで暮らしているとついつい忘れがちな、バリ・ヒンドゥー教の祝日がルンダンはあさって。バリの家族は
「なんでよりにもよってガルンガンの日に日本へ帰っちゃうんだよ・・・」
と残念そうだけれど、ここでは前日から祝日モードに入るため、食事にはしっかりありつける。

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 ガルンガン前日はプヌンパハンと呼ばれる。家族みんなが早起きして、豚やら鶏やらおろして料理をつくる。私が起きたのも午前6時だった。マデ兄貴が妻と一緒に眠そうな顔して台所にいた。私はバリに戻ったら、料理が上手な兄嫁ムプの手料理を食べるのだけが楽しみ。料理の完成をじっと待ち・・・

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 できたてのラワールをいただいた。

 マデ兄貴の息子フォギーはバリのヨーヨー仲間第1号なので、今回私がジャパン・ナショナル・ヨーヨー・コンテストのために作ったロゴ入りヨーヨーをプレゼント。

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 家族祠もガルンガンに向けてキレイに飾り布を付けてもらっている。そうそう、私が犬山リトルワールドへ送っている飾り布も、このようなもの。色とりどりの地に、金色で唐草模様などが描かれた華やかな布だ。

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 ガルンガンの祝日気分をほんの少し味わった後、26日の夜にはデンパサール空港へ。悲しいことに今はGARUDAの名古屋直行便は欠航。やむをえず関空へ。フライトは27日の午前00時15分。ガルンガンになったと同時に私はバリを離れた。

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できた娘婿と最後のヨーヨー伝道

 私にはバリの娘がいる。なぜそこまでこの子がかわいいかは『なぜ私はバリに娘をもっているのか』(2006年10月3日付)、そして結婚した彼女の話『新郎との約束』(2006年10月4日付)を参照されたい。
 さてこの娘のエリパニ、今日も朝から実家にやってきた。来るなりニヤニヤ私を見ている。そして本物の母親ムプに内緒話をして、二人して私を見て笑っている。
「何~、なになに~~~???」
と聞くと、私に渡してくれた包み。
 中を開けるとなんとっ!!!

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二つのヨーヨーが出てくるではないか!

 今回私がバリへ戻るなり、みんなにヨーヨー技を見せているのをエリパニが見て、ダンナに話したらしい。そしたらこのダンナの姉の嫁ぎ先がおもちゃ屋さんをしてて、だったらミドリにインドネシアのヨーヨーをあげたら喜ぶだろう・・・ってことになったらしい。
 ところが探してみたら、実はバリの子供の間でのヨーヨー・ブームは2年前に過ぎていて、なかなか見つからず、私がジョグジャへ戻る前になんとしてでも見つけようと、ダンナが一生懸命にわざわざ街まででかけて探して来てくれたシロモノ。
 インドネシア製ではなくて中国製のこの二つはどっちも光る。私が世界チャンピオンTAKAさんからもらったものも光るけど、コイツもなかなかやる。さらに夜行性ゴム輪っかが付属でついてる凝ったもの。

 いやぁ~~~、マイ・ヨーヨーが増えるのはもちろん嬉しいけれど、このダンナの気持ちが嬉しいじゃないか。考えてみたら、本来は私とはなんの関わりもないのに、まるで実の義母にたいするみたいに気をつかってくれる。きっとこれも、エリパニがそうやってダンナに話しているからこそなんだろうけれど。
「うちの娘もホントにええ所に嫁に行ったもんだわぁ~~~」
としみじみ思う(けしてヨーヨーもらったから言ってるんじゃない)。

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 私のマイ・ヨーヨーの多さを見て羨ましがってるエリパニの弟のフォギーに、今日もらったヨーヨーの一つをあげた。そしてTAKAさんから教えてもらったヨーヨー・ポーズで記念写真~。ついに今回はフォギーを抜くことはできなかった。ってか、彼は私がもっていった師匠指導のコカコーラ・ヨーヨー読本を見ながら、すでに難易度5の技に入ろうとしているんだからかなわない。
 しかし今は私には別の夢が出来た。フォギーをインドネシア初のヨーヨー世界チャンピオンにする~っ!こうなったらフォギーの教育ママになって、TAKAさんにバリへ来てもらって、ヨーヨー英才教育か・・・。

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 バリへ戻ったら最後の夜はN翁宅でしみじみするのも恒例行事。今夜のメンバーはホストのN翁はじめ在住組のSさんとTさん、そしてバリ舞踊家のTちゃん。マイ・ヨーヨーも今ではこれだけの人数に貸せるだけになっているのでみなさん子供の顔に戻ってクルクルを始めた。
 師匠に見せたらきっと笑われるくらいに今回の伝道でヨーヨーを使い込んだので、すでにこの時には糸が悲惨な状態になっていた。さらにいただいたヨーヨーの一つはご臨終近いところまできていた。

 舞い男Tちゃんは、最初普通に振り下ろすことも上手くできなかったのに、真剣にやってると思ったら、しばらくしたらさすが踊り子、ヨーヨーを振る手先がなかなか美しくなっていた。Tさんはギブアップ気味。でもけっこう楽しそう。

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 誕生会のときにすでに一緒に遊んだN翁とSさん。Sさんはあの後どこで練習したのか、姿がキマってきてたので、なんとしてもマイ・ヨーヨーを持ってもらわねば。確実に一人はバリのヨーヨー仲間を得た手ごたえアリ。N翁は見てのとおり半分ヤル気なし状態。でも人がやるのを見るのは楽しそう。次回のバリでもN翁をアッといわせる技を見につけておかねば・・・。

 明日の朝は飛行機が早いので、早々に翁宅を引き上げた。マデ兄貴の家でも、最後の夜となると、兄貴の妻のムプが私と気がすむまでお喋りしたがるのだ。エリパニのダンナも私に挨拶するために兄貴の家まで来てくれたそうだけれど、翁宅を出るのが遅かったために会うことができなかった。

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 まだチンチンを磨くムプと、チンチン彫りで疲れたマデ兄貴、新しいヨーヨーをGETして嬉しいフォギーとで最後の夜のひとときをすごす。さっきN翁宅で使い過ぎて壊れたヨーヨーをフォギーがメンテナンスしてくれる。

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そうそう、まずは道具を大切にするところからだよねー。にしても、今回は本当にヨーヨー大活躍。フォギーとの共通の楽しみができたのも嬉しい。夜が更けるまでバリの家族と団欒して、私は床に入った。

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家はオチンチンの山

 愛知県犬山市に野外民族博物館リトルワールドがある。私は芸大時代に学芸員の資格を取ったのだけれど、そのときに必須だった「博物館実習」の単位はここリトルワールドで取った。バリにいる頃からだからかれこれ10年近くなるだろうか、リトルワールドの野外展示の一つ「バリ島貴族の家」のコーディネートの仕事を1年に一度させてもらっている。 
 バリ島の家屋はヒンドゥー教の儀礼があると、金色の装飾模様をあしらった飾り布で飾る。リトルワールドでは一年中野外展示なので、日差しや雨風ですぐに布が傷む。だから私が1年に一度バリの工房で新しいものを発注して日本へ送っているのだ。毎年夏休みの取替えの時期に合わせて飾り布をオーダーしている。今回はその発注時期に合わせてバリに来たのだった。

 私の家族がいるUBUDから工房のあるデンパサールまではバイクで約45分。今日はマデ兄貴に乗せてもらって朝一番で出かけた。日中では暑くてたまらない。毎年のことなのでオーダーはスムーズ。布の色合わせや、モチーフになるヒンドゥーの神さんを去年とは違うものに変更し、仕事を済ませてすぐに帰宅。

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(今月末には初出産予定の私の娘エリパニがニッコリ笑ってケーキをもつ図)

今日は娘エリパニ(正確にはマデサナ兄貴の娘だけれど、幼稚園の時からずっと一緒に暮らしてたようなものなので、我が娘くらいかわいい)の誕生日なのだ。といっても西暦の誕生日ではない。
  バリでは210日で1年になるサカ暦というものを使っている。寺院祭やついこの前あったバリ・ヒンドゥーの新年ニュピはこのサカ暦で数えるから210日毎に記念日がやってくることになる。これで年齢まで計算されたら、私なんかもう60歳くらいになっちゃってるかもしれない。

エリパニのリクエストで誕生日祝いはケーキにした。せっかくなら街に出たついでにちょっと美味しいケーキを買ってやろうと、仕事の帰りにスポンジ・ケーキとブラウニーを購入。家に戻ってから近所のスーパーでアイスクリームを買い、トッピング。こっちの誕生ケーキはクリームがまずいし、見るからに食紅使ってて気持ち悪い。そんなんよりはアイスをのせたほうがずっと美味しい。

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最初にこのケーキを口にしたのはわがバリ人家族の家長である父ちゃん。歯の抜けた父ちゃんでもアイス付きケーキは食べられる。美味い~と喜ぶ図。

そうそう、我が家というのは日本から比べたら大家族で、この歯のない父ちゃんを家長として、同じ敷地内に長男夫婦とその長男(23歳)、次男夫婦(これがマデ兄貴)とその長男(ヨーヨーの上手いフォギーは中学1年生。今日誕生日のエリパニはここの夫婦の長女だけど去年の10月に嫁いだ)、三男夫婦とその長男(5歳)、そして四男夫婦とその娘二人(4歳と1歳)。計13人が一緒に暮らしている。

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私はこの家に戻ったら次男であるマデ夫婦の家のエリパニの部屋を使うのだけれど、ちっちゃな子供たちは私がいるとアイスクリームを買ってもらえるので、
「日本のママが来た~!!!」
と盛り上がって私の部屋までやってくる。もちろん、今日のエリパニの誕生ケーキだって、みんながしっかり分け前をGET。

 ところで。
 今このマデ兄貴の家は、オチンチンが山になっている。我が家では次男と三男が木彫り師。マデ兄貴は人がよすぎてあまり商売上手とはいえないけれど、嫁さんのムプがとっても商売上手で、家計も切り盛りしている。今回木彫りのオチンチンに栓抜きのついたもの3000個のオーダーが入ったために、家族中でオチンチン・ビジネスに忙しい。

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父ちゃんが彫ったオチンチンに栓抜きを挿すための穴をドリルで開け、

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嫁のムプが栓抜きを差しこみ、その穴をおがくずで埋め、

それを娘のエリパニが磨き、数を数えて100個ずつ袋につめる。

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 これが栓抜きをつける前のオチンチン。そしてオチンチンにはなぜかクライアントの要望で、チョコレート色のワックスを塗ったものと、木の白地をそのまま生かして透明のワックスを塗ったもの。そしてオチンチンのみのものと、玉付きのものとがある。

 ここまで大量にオチンチンが山積みされていると、その景色はなんとも壮観。
 にしても、こんなオチンチン栓抜きを3000個も注文する人の気持ちが知れん。だいたいデザイン的にも、立てて置くことができないので、寝させておくことになる。洒落でもつには今ひとつパンチが足りないし、かといって真面目にもってもらってもちょっと困るシロモノ。いったいどんな国へ送られ、どんな人が使うのだろうか・・・と想像しているとキリがない。

 さっき挙げた本当の家族メンバーに加え、この家には何人かの遠い親戚が便乗して暮らしていたりする。中の一人は田舎から出てきてUBUDの中学校にいってる女の子なんだけど、こんな年端もいかない娘が、オチンチンを握って一生懸命ブラシで磨いている姿を見ると、なんとも奇妙。彼女にとってこのオチンチンはいったいなんなんだろう?彼女はいったい、何を思って今日もこのオチンチンを磨いているのだろう?と一人でいろいろ考えてしまう。

 N翁とのDEEPな旅行でマデ兄貴を二日間も使ってしまったので、ムプはまだオチンチン3000個達成できずに今日も忙しかった。私も責任を感じて、夜からはオチンチン・ビジネスのお手伝いにいそしんだ。

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