Archive for January, 2008

ジョグジャ・ビエンナーレ終幕ライブ

今回ジョグジャに戻ってきて、ギリギリ「ジョグジャカルタ・ビエンナーレ」に間に合った。今回で9回目となるジョグジャのビエンナーレは、毎回必ずいろんな問題が起こって、企画したキュレーターもアーティストもどこかしこで友達をなくすというイベントになっている。
 今年のビエンナーレは、ちょうど私の帰国に重なっていたので、内情をリアルタイムで知ることはできなかったけれど、噂好きの私のところには、黙っていてもいろんな話が入ってくるからおもしろい。今年の一番の問題は、お金欲しさにキュレーターが「売れる」作品を作っているアーティストばかりを選考し、挙句の果てにはビエンナーレ出品作品をオークションにかけてコレクターに売り、何パーセントかを自分たちで分けようって話にまで発展してたそうで、結局そのアイデアは参加作家サイドからも大ブーイングだったために流れたらしい。

 そんなお騒がせビエンナーレも今日で幕を閉じた。
 最近のジョグジャ・アート・シーンは音楽と抱き合わせのイベントが多い。アーティスト自身がバンドを持っているというケースも若手にはたくさんあって、自分の展覧会のオープニングに自分のバンドが演奏することもよくある。中には、作品の質の悪さを無理やり音楽で隠してるんじゃないかと思われるような場合すらある。
 
 そして今日の閉幕式。3会場を使ったビエンナーレの幕を閉じるライブは、ジョグジャの国立芸術院(ISI)の旧校舎、今は改装してジョグジャ・ナショナル・ミュージアムとなったその場所の広場で行われた。ここは今年4月、日イ国交樹立50周年記念の事業として、国際交流基金が開催する『KITA!』展の会場にもなる場所だ。私はその事業に現地スタッフとして関わっているので、そっちの視点からも、今日の閉幕式には興味があった。

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 始まりは午後3時とあったけれど、私が着いたのは午後8時過ぎ。てっきり、もう来てる人の大半が泥酔状態かと想像してたけれど、意外にもまだあまり盛り上がってない様子。敷地中央にある大きな菩提樹の木の下に3つのテント型ステージが設置され、バンドの演奏が始まっている。

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 日本でもそうかもしれないが、ジョグジャの展覧会というのは、日ごろ会えない友達に一気にまとめて会える機会、そして噂収集できる場でもある。特に私は今回3ヶ月のブランクを空けての公の場だったので、懐かしい人がたくさん。中でもかなり久しぶりにあったのがリカ。こうしてみると日本人にもみえる彼女は中華系インドネシア人。数年前には私の家に半年ほど居候していたテキスタイル系の作家。

 そうこうしているうちに、ジョグジャの芸術院出身者(現役もいる)で作っているバンドの登場。インドネシアの大衆音楽ダンドゥットを彼らなりにアレンジしたオリジナルの曲は、芸大生ほかジョグジャのアーティストに絶大な人気。このあたりになると、ようやくステージ前に出て踊り出す輩も出てきた。私は久しぶりのジョグジャの空気に触れ、すでにビール大瓶3本目に突入。

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 どんどんライブは佳境にはいり、カメラを持つ私の手もブレる。
 踊りながら、ふと気づけば、今日はスハルトのお葬式。今頃、インドネシアを思うがままに操ってきたあの独裁者の亡骸は、ジョグジャの隣町ソロへ運ばれているだろう。そんなことお構いなしに、私の目の前ではジョグジャの若きアーティストたちが、群れになって踊り興じている。すごいコントラスト。そういえば、ほんのちょっと前には秋篠宮夫妻がジョグジャを訪問していたんだっけ。秋篠宮夫妻が帰国したと同時にスハルト昇天ってことか。これも不思議なタイミング。

 12時もとっくに回っているのに、ジョグジャ・ミュージアムの広場にはまだたくさんの酔っ払いが残って、今日びジョグジャで流行のDJの回す音にあわせて身体を動かしている。老体は明日が怖いので、ここらで引き上げることにした。

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 駐車場に向かう途中、敷地内の集会所を使ったティタルビー(Titarubi、インドネシアの有名なアーティストAgus Swageの妻。シンガポールビエンナーレには夫婦で共同作品を出品)の作品を見た。3日前、昼間に見たときには照明がOFFだったのでわからなかったけれど、なるほど、夜はキレイだった。これらも明日にはすべて撤去される。

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大阪~バリ島~ジョグジャ

 長かった日本滞在も終わり、ミゾレ降る中朝6時26分の新幹線で名古屋を出発、関西空港へ向かう。お願いだから今度帰る時までに、名古屋直行便再開しててほしい。ホントに頼みます。

 夕方にはバリ島のングラ・ライ空港に到着。到着のちょい前には機長から案内が入る。
「今、皆様の左手に見えますのが、バリ島の聖なる山、アグン山です」
天気もよく、雲からちょこんと頂上を出したアグン山を拝むことが出来た。

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最近私のバリの家族は、子供たちも大きくなったので運転できる人材が増えた。昔は兄貴であるマデ・サナしか運転できなかったのに、娘も、甥っ子も今じゃ立派なドライバー。今日は甥っ子の運転に兄貴の息子フォギーがくっついてきてた。
 測らずも今日はバリの祝日ガルンガン、甥っ子とフォギーはバリ男児のしゃきっと清楚な正装で迎えてくれた。なんだかカクさん・スケさん従えた黄門様の気分で嬉しい。
 
 ちょうどバリの家族の家のある町では、町内に祀る神様の祠が御開帳。家族のみんなで夜の10時からお寺に行くことになった。こんなこともあろうかと、今回はちゃんとクバヤ(バリ女性の正装)も用意してきたから大丈夫。日本で着物習ってからクバヤを着てみると、キレイに見せるためのツボみたいなものは同じような気がした。新たな発見。

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 翌24日夕方の便でジョグジャへ。バリでゆっくりもしたいけれど、ここまで来ちゃうとジョグジャに残してきた2匹の犬たちに早く会いたい。3ヶ月ぶりに犬たちに会ったら、30分ほど興奮と感動で泣きおさまらなくて大変だった。でも元気に待っててくれて嬉しいなぁ。留守を守っててくれた犬守のオバチャンにもしっかりお礼を言わなくちゃ。

 そして25日はいきなりのアルバイト。
 東京のとある美術館が主催する展覧会で、インドネシアから2名のアーティストが選ばれたのだ。チーフキュレーターである若い男性Hさんが、作品だけではなく作家本人にも会っておきたいということで、今回日本に帰ったときにアテンドを頼まれた。
 運良く選ばれた2名は私もよく知っている人だったし、28日まで開催している「ジョグジャカルタ・ビエンナーレ」にもお連れできる。通訳や翻訳の仕事でも、内容が美術関係だと本当に楽しい。

 選考したアーティストのスタジオ訪問は午後にして、まずはビエンナーレの3会場を回った。
 最初に行ったのはジョグジャカルタ芸術院(ISI)の旧校舎を改装して作ったジョグジャ・ナショナル・ミュージアム。まだ100%完成ではないけれど、ここだけでも50余の作品が展示されていた。
 私が帰国する前にはまだガランとしたボロ廃校だったのに、こんな立派に改装されたとは驚き。

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 今年のビエンナーレは3会場で同時開催、中でも私のバリ人の友人リヨンが自費で作ったスペース、サンクリンの立派なのには驚いた。2フロアあって採光もいい感じ。30台半ばにしてこんな展示スペースを個人で持っちゃえるからインドネシアはスゴイ。

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 そしてようやくHさんのご希望だったアーティストにご対面。
 私はどっちとも同じくらいに親しく、彼ら2人は同い年のくせに親分・子分のような関係なので、インタビューは終始ほのぼのモード。東京からいらしたHさんが32歳、選ばれた2人は38歳、冗談のツボもほぼ重なってるようだ。

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 熱心に2人のドローイングに目を通していたので、仕事が終わったのは7時を回っていた。一仕事終えてホッとしたHさんに、少しはジャワらしいものを見せようと、オススメのジャワ音楽ライブを聴きながら食事のできる場所へお誘いした。ここで乾杯~。お疲れ様です。

 ジョグジャの家を半日かけて掃除して、さっきメールをチェックしたら、名古屋のアートライター田中由紀子さんから、お知らせがあった。彼女が執筆に関わっている美術情報サイト『PEELER(ピーラー)』に先日の個展レビューが掲載されたとのこと。
 興味ある方は『PEELER』をご覧頂きたい。

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 ミゾレに送られて日本を去ったら、私を待ってたのは摂氏30度のインドネシアだった。Hさんの調査アテンドでは、夕方からド派手なスコールにあい、今日もまた午前中のてとつもない(名古屋では「どれだけない」という)蒸し暑さの後でドラム缶ひっくり返したような雨が降った。そうしてると足首周辺を蚊に狙われている。
 急な30度の温度差、日本じゃ今回見なかった蚊、冬から一気に真夏状態で、老体は少々戸惑い気味だけれど、またこの島での日常が始まるんだなぁ・・・。

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馬子にも衣裳3連発

 90年にインドネシアのバリ島で暮らし始めてこのかた、日本に3ヶ月もいたのは、おそらく今回が初めてだったんじゃなかろうか。最初はこの3ヶ月、どうやって過ごしたらいいだろうと思っていたけれど、今思えば本当にあっという間だった。

 この3ヶ月の帰国で一番嬉しかった新しい体験が一つある。
それは「着物の着付け教室」。私の母はもともと着物の好きな人ではあったけれど、ここ10年ほどは近くの着物教室へ通い、他人も着せられるようになり、着付けを教える先生の免許までとった。そして数年前からは近所の人や母の友人知人が、うちへ着付けを習いに来ている。
 私も着物には昔から興味があった。今回の個展の作品を見てもらってもわかるように、着物の生地やインドネシアの伝統布地を使っている。着物の文様などは昔から好きで、過去の平面作品の中にもその影響が結構出ている。
 でも着るのは別の話。だいたい私はちっちゃな頃からスカートとは無縁で、足癖が悪くて外股、着物美人とはほど遠いキャラ。

 がしかし先回の帰国で、なにげにTVを見ていて渡辺謙が
「せっかく着物の国に生まれてきたのに、自分で着れないなんて・・・もったいないな・・・」
って言うようなCMを見つけた。アレに私はハマった。別にそんなに渡辺謙が好きなわけではないけれど、最近かなりイイ役者になってきた彼のその言葉はやけに説得力があった。
 そうして今回の一時帰国ではわずか2ヶ月弱ではあったけれど、母の教室に紛れてちょっとながら着物を着る勉強ができたのだ。母にしてみれば、自分がもってきた嫁入り道具の着物を着てくれる人間が現れて嬉しいのもあったようだ(姉は背が高すぎて、母の着物は一つも着られない)。

 せっかく習い始めたんだから、今年の正月には着物!と張り切っていたのに、あの新年早々の恐ろしい冷え込みに、私はいとも簡単に着物を断念。そうしてインドネシアへ戻る日が近づくにつれ、コレじゃヤバイ、コレじゃヤバイ・・・と思い始め、ホントに終盤もいいとこで三回、着物を着る機会を得た(というか、別に普段着のようにして毎日でも着物を着るのに慣れたいと思っていたのだけれど、いつもレッグウォーマーして腹巻してる私にとって、着物は寒すぎた)。

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 最初のチャンスは、芸大時代の後輩Yちゃんとのランチ。蝶柄が大好きな母の着物の中でも、どっちかといったらアブストラクトな蝶の柄で気に入った。真面目で写実的な蝶柄は、私は好きじゃないので、これくらいがイイ。なんと帯は母の名が「か ず こ」と変体かなで刺繍されている。本人が筆書きしたものを、職人さんが刺繍した一品。他人の名前しょって歩いてるみたいで最初は抵抗あったけれど、変体かなではいまどき読める人もそんなにいない。色はキレイだったのでコレで決めた。

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 着物に合わせられるバッグなんて持っていないので困っていたら、母が出してきてくれたのがこのバッグ。なんでも、亡くなった父が愛用していた袴の地を使って、我々三人(母・姉・私)に一つずつ作ったバッグだという。こんなふうに着物屋さんに作ってもらえるんだな~。

 2度目のチャンスはその翌日。高校時代の同級生二人と、担任の先生との食事会。名駅には詳しい母に、食事するのにいい場所を聞いて教えてもらったのがアソシア20階にある車屋だった。ホテル内の和食料理屋なんて、私とは無縁なのでまったく知らなかったけれど、行ってみて感動。フツーのレストランくらいの予算でちゃんとした和食が食べられて、さらに景色がいい。名古屋城もほらこのとおり。

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先生と並んでパチ。

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出席者全員でパチ。

そして今日が3度目のチャンス。23日の出発を前に、家族で栄ランチに行くため、私一人が着物に。母の嫁入り道具中、本人いわく一度も袖を通さないうちに、着られる年齢を越してしまった一枚。

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しかし、冬場の着物がこんなに寒いものとは知らなかった。当然のことながら超ぶ厚いパッチをはいてるんだけれど、まだまだ寒い。だって袖なんかスゥ~スゥ~だし。でも、日本の伝統をちょっと齧ったみたいで満足感は大アリ。母先生からは、ジョグジャでも学べるように着物のマメ知識みたいな本をいただいたので、暑い国でも着物の勉強はちゃんとして、機会さえあればまた浴衣(何かのために一枚は持っている)くらいは着てみようかと思っている。
これでちょっとは渡辺謙にも顔向けできるかなーと、わずかに安心して今回は日本を発つことができそうだ。

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霞ヶ関官庁ランチ

 話は遡り、年明けに駆け足で東京へ行ったときのこと。
 ランチを一緒する約束をしたのはSさん。彼女とはインドネシアで知り合った。在インドネシア大使館の非常にやり手な若手であるSさんは、ひょんなことからインドネシアで大人気のロックスターへの結婚プレゼントに、私の作品を買ってくださったことがある。それ以来、彼女(大使館)が企画する美術展を私が2度担当したこともあり、ずっとお付き合いさせてもらっている。
 そんなインドネシア通な彼女も長年のジャカルタ勤務を終え、昨年からは日本に戻っていたのだった。だから今回は、彼女の冬服姿を初めて見ることになる(お互いにだけど)。

 超ハードスケジュールをこなす彼女が自由に時間を取れるのは昼休みだけなので、私が彼女の仕事場である霞が関まで行くことにし、Sさんからオススメの場所を聞いた。
 第1のオススメは「馬車道」というレストラン。合同庁舎第5号館(厚生労働省)の26階にあるという。ネットでチェックしてみても、なかなかいい感じ。一般ピープルでも入れるらしい。
「眺めがよさそうなのと、霞ヶ関にこられるのなら省庁の中のレストランにもみどりさんは関心あるかと思いました」
さすがに、Sさんは私の性格を良く知っている。地図で確認しても、きっとこの庁舎を見つけるのに苦労するだろうと思い、早めに行って正解だった。なんたって、庁舎ときたら、目立つ看板もないからわかりにくい、わかりにくい。私のような一般ピープルまんまの形相したヤツもほとんどうろついていない。

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ようやく着いた合同庁舎第5号館(厚生労働省)に入るには、入口で身分証明書の提示が必要だったけれど、これはSさんから聞いていたので免許証でクリア。他の国家公務員の皆々さんはIDカードを首からかけて出入りしていらっしゃる。
ちょっと約束まで時間があったので、中を探索。地下にはコンビニ、本屋などもあった。以前防衛省へ遊びに行ったときみたいに、ご当地グッズのようなものがあるか気になったのだけれど、コンビにはいたってフツーのコンビニだった。ま~ちょっと普通じゃないとしたら、レジのところに老眼鏡が売ってたことくらいか。

26階へ向かうEVも皆さんスーツ族。そしてフロア案内の表示の左右には絵&ひらがなで「こっかい」「こうえん」とある。こっちが「国会」方面、こっちは「公園」方面ってことだけど、これをEVにつける意味がわからん。そっちに足を向けるなってことか?Sさんに後から聞いても理由は不明。写真が取りたかったけれど、昼休みでEV満員、ここでカメラを出す勇気はなかった。

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そして着いた馬車道。なぜかウエイトレスは矢絣の着物に袴。でもメニューはハンバーグ系。さすが霞ヶ関のド真ん中、それも今話題の人が大臣してる厚生労働省の26階、このビルのどこかのあの大臣の部屋もあるんだな~。。。そして窓から外の景色を見ると、こんな感じ。

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なんだっけか、なんとか公会堂の野外ステージもこんなふうに見える。

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「ふ~ん、日本の政治がここで動いているのか~~~」
と、素人的に感動しながら、ランチに私が選んだのはきのこおろし和風ハンバーグ定食。スープとライスがついてなんと490円。学食より安くないか?

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 久しぶりに会ったSさんとは話したいことがたっくさんあったのだけれど、なにせ忙しい彼女に与えられた時間はチョッキリ1時間。彼女が仕事している外務省まではここの何ブロックか先なので、その往復を考えたら30分強しか一緒にはいられない。
 それでも私は霞ヶ関という、おそらくSさんがいなかったらまったく縁のなかったエリアに来ることができて、さらに一般ピープルも割りと遠慮なく入れる、超安いレストランを知ることができて、かなり満足。Sさんには、これから帰国した時の『霞ヶ関職員食堂巡り』ガイドをしてもらうようにお願いした。かなりレアな東京の楽しみ方が見つかってラッキー。

 そしてインドネシアでバリバリ仕事していた外務省レディーは、霞ヶ関の外務省ビルの中に颯爽と消えていった。Sさん(私より10歳も年下なんですけど)、ご馳走様でしたぁ~~~。再会を楽しみにしております。

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満員御礼:交換プロジェクト~アジアの記憶~終了

 新年を迎えてから、「ロートレック展の会期あとわずか!」といった追い込み宣伝や、名古屋のご当地DJツボイノリオさんが朝のラジオ番組で私の個展を見た感想を話してくださったりしたおかげで、年明けの美術館はかなり盛況だった。成人式の三連休はできるだけ美術館につめて、会場に来てくださった方々に作品の説明をした。そして今日、無事2ヶ月におよんだ個展が幕を閉じた。

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(展覧会場外に作られたロートレックのグッズショップも連日大盛況)

 二日前には視覚障害の男性がボランティアの方と来場された。運良く会場にいた私は、その男性が今の私の展示をイメージできるように、触ることのできる交換物、触っておもしろいと感じられそうな交換物を選んでは手渡しし、何をもらったのかを説明した。
 普段美術館では平面作品が多く、その表面を触ったところで、どんな作品かイメージするのは困難だろうけど、私の作品はその点、目が見えなくても触ってイメージできるからいい。想定外ではあったけれど、こうした方々にも、私の言葉の説明があれば、作品を「感じて」もらうことはできるんだな~と新しい発見だった。

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 そうそう、これはこの2ヶ月で、元気に目を出してきたニンニク。会場を守る「お座り嬢」たちに一番心配をかけた交換物だった。

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 この2ヶ月、頻繁に来ては、この入口から来場者の様子を見ていた。キドラット・タヒミックが作ってくれたドキュメントビデオを真剣に見ていってくださる方がいたり、交換物が並んだ床に膝をついて一個ずつゆっくり見てくださる方がいると、とても嬉しかった。

 最終日の今日、なんと芸大時代にお世話になった私の担当教授磯田尚男氏が来てくださった。偶然にも同じ時期に、教授(今では名誉教授)は自分の教え子との11人展を同じ愛知芸術文化センターの12階ギャラリーで開催中だったのだ。

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 おそらく卒業以来の再会なのに、教授はほとんどお変わりなし。驚き。私はこの教授から、
「君たちはデザイン科に入ったわけだが、デザイナーというのは何も商品をデザインするだけが仕事じゃないんだ。人はみんな、自分の人生をデザインするんだ」
といった内容の講義を受けた。その言葉はとても印象に残り、私はザイナーにこそならなかった(なれなかった)けれど、少なくとも自分自身の人生をデザインしてきたつもりだ。
 この教授から今回の作品についてコメントをいただき、お褒めの言葉をいただいたのは本当に嬉しいことだった。

 今回の個展では、フィリピン・バギオでのプロジェクトと、東ジャワ・ブリタル村でのプロジェクトを展示している。フィリピンで私のプロジェクトをサポートしてくださったマリコさんは、お正月で一時帰国していたのだけれど、私より一足先に現在の活動の場、フィリピンへ戻ることになった。今日は彼女とその息子Bちゃんと、日本で最後にデートする約束があった。

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 待ち合わせ場所はルーセンタータワー。名古屋駅前になんかでかいビルが建ったな~と思っていたら、そこだった。オフィスビルかと思ったら、地下~2階までいろんな飲食店が入っていた。ここでマリコさんのお友達と合流して沖縄料理をご馳走になった後、しめにお茶を飲みに行き、セントレア空港近くのホテルへ戻る彼女らを駅まで送った。

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 フィリピンでのプロジェクトが順調に進んだのはすべて彼女のおかげだった。そして貴重な縁を作り出してくれたのも彼女だった。彼女が作ってくれた縁で実現した今回のプロジェクト、個展の最終日に彼女と会えたのは、「終わりよければすべて良し」というか、とってもいい感じの締めくくりになった気分。

 まだほっとしてはいられない。明日は朝から作品撤去。明日の肉体労働に備えて今日は早寝しなければ。

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京都フルムーン2日目

 昨晩は怖くて眠れなかった。先斗町で呑んで戻った時には体調もかなり悪くなってた旅の道連れI君が夜中に妙な唸り声を上げ、そのあとは今度は1人で笑い出すという奇怪な現象が起きたのだ。洋間の寝室は電気を消して真っ暗、彼の様子はうかがい知れない。電気を付けて確認もできるけど、もしも一日巡った寺社で、なにかが彼に「憑いちゃった」としたら、怖くて見るのもイヤだ。だから私はそのまま彼の気味悪い笑い声を聞かないふりして必死で朝の来るのを待った。
 
 京都の旅2日目は西北エリア。駅から電車に乗って嵐山へ向かい、ここから化野(あだしの)念仏寺へ。ここは徒然草にも書かれた古来の葬送地、空海がこの地に葬られた多くの死者の菩提を弔うためにこの場を作ったという。8000体もの石塔石仏が並ぶ光景はちょっとスゴイ。40年以上も生きてくると、こういう場を見て自分の死後にも思いをはせてしまう。京都の静かな山間で弔われた数千の霊たちが羨ましく思えたりして。

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 嵐山の中心へ戻る途中で祇王寺(現在は真言宗大覚寺派の尼寺)に寄った。平清盛の寵愛を受けていた祇王が、出家してこもった家は琵琶法師の『平家物語』中屈指の哀話らしい。確かにこのひっそりとした小さな庵にはすべての感情を抑え、余計なものを排除した無常感たっぷりの空気がある。正月用に飾られた鉢前も京都らしい。

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 我々二人ともメジャーな場所よりも人の少ない場所が好きなので、ここからまた奥へ入って滝口寺を目指した。歴史オタクのI君は入り口にある新田義貞の首塚にも興味をそそられたようだ。 

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 ここも『平家物語』に縁のある寺で、滝口入道と横笛の説話に由来している。ひっそりした境内には誰もいない。正月の京都でもこんな場所があるのかとビックリした。シンと冷えた境内には平重盛を祀る堂や平家供養塔もあった。

 ちょっと気になっていたので、ついでによったのは落柿舎。松尾芭蕉の門人、向井去来が晩年過ごした草庵。庭にあった40本の柿の木の実が、嵐で一夜にして落ちてしまったことからついた名だというが、今もまだたくさんの柿の木が生えていた。
 本当に人生の侘びさびがわかってしまって、すべての欲が消え去ったら、こんな嵯峨野のなんにもない草庵で暮らそうって思えるんだろうか?なんて思いながらこの場を後にした。

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 さらに歩き続けてようやく出たのが桂川。さすがにこのエリアまで来ると観光客でいっぱいで食事処には行列が出来ている。空腹に耐えられず、ついついコロッケや豚まんを立ち食いしたけど、これがまた美味しい。桂川のほとりに座って簡易ランチを済ませて、次に目指したのが大徳寺。

 臨済宗大徳寺派の大本山、大徳寺の境内はムチャクチャ広い。全部を見てたらおそらく1日かかるだろう。南禅寺と並んで京都の五山に位されたこの寺も室町には一時衰退、応仁の乱後に一休禅師たちが復興させたり、秀吉が信長の葬儀を行ったりして武将とつながり、千利休ら茶人とも関わりができて現在に至るらしい。
 夕方5時半に名古屋に戻る新幹線を取っちゃってるから、ここからは急ぎモード。

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 瑞峯院、室町時代のキリシタン大名、大友宗麟公が創建。方丈前の枯山水の砂利は他で見たものより大きくてゴツゴツしている。波も豪快で雄雄しい。方丈裏には閑眠庭という、珍しい十字架の庭があった。古いものではなく60年代にキリシタンである大友にちなんで7個の石をクロスに見えるように配置したものらしい。

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 龍源院、畠山義元と大友義長が創建した大徳寺の塔頭で、本堂も表門も当時のものという、大徳寺内で最古の建物。四つの庭園の中でも、方丈東にあるミニ枯山水はキレイだった。「東滴壺」と名づけられたこれは日本で最小サイズ。格調高い石庭と言われているそうだ。小さな空間の中に、これだけ深く上品な庭をミニマムで造れるというのは、本当に日本の庭園技術のレベルの高さがスゴイってことなんだろう。
「あんたも新しいスタジオの横に砂利敷いて、修行だと思って毎日枯山水の波を作ってたらいいんじゃないの」
と建築家のI君。
 そうだねぇ~、人生を悟るために、こういうのは有効な修行になるかもしれないね…。

 メインの大徳寺へは行かずに、高桐院をさらっと拝観してそのままバス停へ向かった。京都まで名古屋から新幹線でたったの50分。これからはもっと京都へ行きたいと思う。最近、もっともっと勉強しなくちゃと思っている日本の歴史に触れるためにも、帰国するたびに京都に行けたらいいかもなぁ。

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京都フルムーン旅行

 2年前、韓国で開催された美術展を見に行った大学の同級生I君は建築家。昨年末に私が実家に建てたスタジオの設計者でもある。大学時代から20年以上のクサレ縁、互いに独身という自由な身であることもあって、なぜか一緒に旅することが多い。
 今年の旅行は京都。ついでにお互い「ネットカフェ難民」の初体験もしちゃおうと言ってたけれど、42歳にもなって正月早々難民もないだろうと、ちゃんと宿をとることにした。

 名古屋からはぷらっとこだまで約50分で京都駅に着く。初詣や冬休みの観光客でバス停はものすごい人。格安の宿は三十三間堂のすぐ近くなので、タクシーで宿へ向かい、荷物だけ預けてすぐに寺社巡りを開始した。

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まずは三十三間堂。さすが、京都駅からも近くて有名所だけあって混んでいた。千体の観音像が壇上に並ぶ様子はなんとも荘厳。その手前には国宝になっている観音28部衆像が並ぶ。インド起源の神々が多いから、バリ・ヒンドゥーを学んだ私には馴染み深い神さんたちがたくさんいて嬉しい。リアル表現のため、目に水晶をはめ込む「玉眼」技法が使われている。正月の混雑じゃないときにこれだけの数の像と静かに向かい合ったら、それはそれはすごい感動だろうと思われた。

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 これは大弁功徳天像、吉祥天。ヒンドゥー教でいうところのヴィシュヌ神の妃、ラクシュミ。蓮の花に乗っている富と幸運の女神で、私がサラスワティ(仏教では弁財天)の次にお気に入りの女神さんだ。

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 ここでお昼タイムを入れ、後半は南禅寺から銀閣寺までの哲学の道を歩くことにした。南禅寺も有名だけあって参拝者はたくさんいる。レアな場所が好きな我々としては気が向かない。そこで古都の寺社とはちょっとミスマッチでおもしろい水路をくぐり、南禅寺横の南禅院に行ってみた。こっちにはほとんど人影もないから静かな庭園をゆっくり見ることが出来た。

 哲学の道を北上して、次に寄ったのが大豊神社。ネズミの狛犬がいるというので、気になって行ったのだけれど、なんせ神社だから新年のお願い事をしに来る人で、寺への参拝者の数とは比較にならない混雑ぶり。さらに今年はネズミ年ということもあり、狛ネズミの社へは行列が出来ている。どうしたものかと思ったら、なんと!ここにはそれ以外にも狛犬ならぬ、「狛サル」がいた!!!

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これは予習した中に出てこなかった情報だったので、現地で大感動。狛ネズミのことなんてほっておいて、狛サル様にだけ参ってきた。

1月の京都は寒い。3時を過ぎて、空気はどんどん冷えてきた。旅の相棒I君は京都に着いたときから熱っぽい顔で、風邪薬まで買ってる状態。それでもたった二日の京都旅行で、見ようと言ってたリストの場所を回らないのは気持ちが悪いというので、思い切り早足で最後の目的地、銀閣寺(東山慈照寺)を目指した。普段の拝観は4時までだけれど、正月の時期は30分長く拝観できるようにしてあったので、運良くギリギリの時間で寺内へ入り込むことができた。

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本当の名は慈照寺。足利8代将軍が建てた山荘を、後に臨済宗相国寺派の禅寺としたもの。建築家のI君いわく「銀閣は建築やる人の教科書」らしい。たぶん、小学校の修学旅行で来てるんだと思うけれど、私の記憶は皆無。それに、この渋さはいくらなんでも小学生で理解するのは無理でしょ。

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観音殿(銀閣)のすぐ横にある向月台、そして銀沙灘はあまりに斬新で驚く。どこからこんなフォルムが生まれたのか、不思議でならない。カッコ良すぎ。拝観時間のギリギリだったために、ゆっくりと境内すべてのポイントを見ることができなかったのは少々残念だけれど、それにしてもスゴイ寺だと思った。てか、こういう建造物のよさがわかるようになるには、それなりに年を経ないと無理ってことなんじゃないかとも思う。昔の日本人のこういう「粋さ」に対しては、「参りました」と心から思う。

I君と旅すると大きな特典がついてくる。彼はなんたって異常に歴史に強い。だから以前韓国を巡ったときも、豊臣が攻めた場所のことや当時の日本の状況など、全部話してくれるからガイドいらず。こっちが知らない歴史の疑問が、本なしでその場で解明されるからイージー&クイック。
さらに建築についての知識もあるから、寺のひとつひとつにも詳しい説明付きとは真にありがたい。京都や奈良に行くならI君は必需。

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 今日巡ろうと思ってた場所はとりあえずすべてクリアできた。いったん宿に戻り、次は夕食のために四条へ向かった。夜の先斗町をふらふらしながら、鴨川を眺めることのできる小さな居酒屋に入り、鍋とビールで腹を満たした。
「京都の楽しみ方はね~、一軒でゆっくりするんじゃなくて、何軒かで少しずつ食べて回るんだよ~」
というI君の言葉を信じ、一軒目で食事をセーブするも、当の本人が食べすぎてもう何も入らないとのたまわれる。嘘でしょ、I君…。人が食べていれば、ダイエット中の私も「やむをえず付き合いで」という自分への言い訳が作れるのに、相手がいないんじゃーそれもできない。結局最初の一軒で鍋と串カツをちょっとつまんでビール2本と焼酎を飲んだところで、京都の1日目は幕を閉じた。

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東からのEメール

 新しい年が来たので、あの中部ジャワ地震は2年前のことになった。あの時、私がふとしたきっかけで始めてしまった救援活動を一番支えてくれたのが、東幹久に似たチャハヨだった。あの時以来、私は彼をこのブログ内で「東(アズマ)」と呼んでいるので、てっきり私が日本人青年と活動していると思っていた人もいた。
 地震がきっかけで、あんなに仕事のできる責任感の強いインドネシア人と知り合えたのは私の最大の収穫だったと今も思っている。現在愛知県美術館展示室6で開催中の私の個展『交換プロジェクト’07~アジアの記憶~』で上映しているドキュメントビデオの日本語字幕も、彼が手伝ってくれたものだ。

 昨日、彼からメールがきた。ボランティア精神の塊のような彼は、今回もやっぱり、大雨で被災しているソロにいた。以下、彼からのメールの内容をそのまま訳して今日の日記とする。写真も彼のメールに添付されたもの。

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「ハロー。新年おめでとう、ミドリ。
この新しい年が、僕たちみんなに成功をもたらしてくれるように…
大晦日の夜、ジョグジャでは雨は降らなかったらしいよ。僕はまだソロにいるから、これは友達の話だけどね。ソロじゃあまだ洪水と土砂崩れの毎日だよ。

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ミドリ、インドネシア人ってのは、本当に恥知らずだと思うよ。大晦日の夜、ソロの街じゃあ若いヤツらでいっぱいでね、でもそのほんの100メートル先の村では、洪水で住む家も食べ物も失った犠牲者たちがいっぱいいて、寝る場所すらないんだよ。考えてごらんよ、そんな人たちを見たら、ドンチャン騒ぎなんてできないはずだよね。

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ミドリ、救援物資もそれなりに入ってきてはいるよ。ただ、君も知ってるように、なんてったってインドネシア政府のやることだから、いまだに災害から何も学んでないな~って思うよ。住居がすべて崩壊して、すべての道具類も壊れてしまっているんだよ、なのにインスタント麺を救援して、いったい何を使って調理するっていうんだよ?おかしいだろ?
だから、今僕らの仲間で、犠牲者には簡単な台所用具と大工道具を救援物資として運ぶようにしているんだ。もしもミドリの日本の友達が、またこの活動を手伝ってくれるっていうなら、それはとても嬉しいよ。でも君のブログを読んだ人が、ここの犠牲者たちのことを想って祈ってくれるだけでも僕らボランティアは元気が出るよ。

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去年の暮れに、ミドリんちの近くを通ったよ。家の前もキレイになってたよ。家の前のワルン(屋台)でお茶してたら、嬉しいことに家の中からティルム(私の飼っている犬)の泣き声も聞こえたよ。元気そうだったから嬉しかったよ、ハハハ…
今日はそんなところかな。日本での展覧会、成功するように祈ってるよ。早くインドネシアに戻っておいで。そうだ、何枚か写真を添付するよ。もしブログでアップしたかったら自由に使ってくれていいよ。
ありがとう。

チャハヨ」

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