Archive for July, 2007

ジャパニーズ・アーティスト視察最終日

 27日の夜にジョグジャカルタ入りし、毎日の猛暑の中で現地リサーチをしてきたジャパニーズ・アーティストの皆さんも、今日が最終日となった。わずかな日数で駆け足しているので、私も全員のアーティストをケアはできなかったけれど、やはりこの5日間に、皆さんなにげに風邪引いたり、お腹こわしたりしてたみたいだ。
 私は基本的にはキュレーター組について、ほぼ確定した会場との細かい打ち合わせに立ち会ったり、時間のあるときにDEEPな情報をアーティストに伝えたりしていた。ある参加アーティストの希望があって、一般家屋などを会場にする案もあったために、数件の空き家を当たったりもした。

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これは空き家のひとつで、私がよく使ってるお店の隣にあったもの。

 とりあえずジョグジャにある空間はすべて見ておきたいという若いキュレーター二人の希望もあったので、私の友人のフォトグラファーたちが集まっているMES56という空間へもたずねてみた。王宮エリア内にあるここでは、かなり自由な展示が可能なので、高橋さんも豊嶋さんも結構お気に召したようだった。

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 最終日の午後からは、私は「工具・電気関係チェック組」のガイドになった。工具が必要なのは、昨日川見学した淀テク、サウンドインスタレーションのSONTON。私も昔から電動工具とは馴染みが深いので、こうしたツアーは大好き。電気屋やオーディオ店、建材屋などをいくつかチェック。

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 日本は110V、ここは220Vなので、彼らにとっては変圧器を使って普段もってるものを使うか、こっちで思い切って買ってしまうか、その辺が大事なポイントとなる。SONTONの場合は電球やらオーディオの接続関係など、互換可能か判断の難しいものもたくさん使用するので、真剣に一つ一つの出力状況や規定サイズのチェックをしていた。

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 淀テクの制作場となる可能性が高くなったチョデ川のスゴさは、参加者の中でも話題となり、けっきょく今回の視察中に、豊嶋さん以外みんなが行ったことになる。なのでやっぱり豊嶋さんも見ておいたほうがいいだろうと、電気屋に向かう途中で寄ってみた。
「今回ジョグジャカルタを見てきた中でここが一番ええなぁ~」
と豊嶋さんに言わしめたほど、やっぱりこのカンプン(集落)は魅力がある。
 淀テクのゴミ製船がここで作られて川に浮かぶかと思うと、私もかなり楽しみだ。

 最終の打ち合わせをホテルでした後、ご一行様は空港へ向かった。
 数日とはいえ、密に時間をともにした人たちが一気に去ってしまう瞬間は寂しい。だから空港までは送らず、私はホテルでみんなとお別れした。
 ジャパニーズ・アーティストの展覧会は来年4月18日、ジョグジャカルタではじまる。

≪出品作家≫
浅井裕介(ドローイング)、大石暁規(メディアアート)、小鷹拓郎(映像)、近藤聡乃(漫画・映像)、志賀理恵子(写真)、シアタープロダクツ(ファッション)、しりあがり寿(漫画・映像)、SONTON(サウンドインスタレーション)、高木正勝(映像)、チャンチキトルネイド(音楽)、chim↑pom(インスタレーション)、都築響一(写真)、トーチカ(映像)、生意気(デザイン)、奈良美智+graf(インスタレーション)、南風食堂(フードプロデュース)、西尾康之(立体)、西島大介(漫画)、八谷和彦(メディアアート)、松本力(映像)、珍しいキノコ舞踊団(パフォーマンス)、淀川テクニック(立体)

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Japanese Artists Meet Indonesia

 昨日27日の夜、15人の日本人ご一行様がジョグジャカルタに着いた。このご一行様は来年4月に開催される『ジャパニーズ・アーティスト・ミート・インドネシア(仮称)』展の関係者。プロデューサーである国際交流基金本部の古市さん、今展のキュレーターである水戸芸術館学芸員の高橋瑞木さん&graf豊嶋秀樹さん、基金ジャカルタ事務所のTさん。その他は選考アーティストの中から10数名が参加。
 私は先回の一時帰国の際、東京でこの準備ミーティングに参加し、イベントのメイン会場となるジョグジャカルタの現地コーディネーターとしての任務をおおせつかったのだった。

 初日28日は、参加者全員でジョグジャカルタのメイン会場巡り。3台のレンタカーに5人ずつ乗り込み、ジョグジャカルタ市内を巡る。昨日まで嶋田美子さんの個展が開かれていたCemeti Art Houseや、私も過去に個展をしたことがあるKKF(Kedai Kebun Forum)、今回のイベントのオープニング会場に予定されているジョグジャカルタ国立芸術大学旧校舎、そして会場候補のタマン・ブダヤなど。

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 そして翌29日はアーティストの希望に応じて海を見るグループ、ジョグジャのアーティスト訪問のグループ、川を見るグループに分かれた。私は川組のガイド。
 というのも今回の参加アーティストの中に、淀川のゴミから作品を作り始めて注目された大阪の若者二人組、淀川テクニックがいて、彼らの作品制作に適した川を見つける必要があったからだ。
私は彼らの作品を昨年末の釜山ビエンナーレで実際に見て、なかなか好きだったので、今回ジョグジャの川であーしたおもしろい作品を作ったら、きっとここの人たちも喜ぶだろうと楽しみにしている。

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 今回はユニットの一人、柴田君が代表で視察に来ていた。私が事前リサーチしておいたジョグジャの3本の川の中でも、川沿いにユニークなコミュニティを作っているエリアに案内。
 ここでは川のことを「カリ」という。だからチョデ川は「カリ・チョデ」。このチョデ川はジョグジャのちょうど真ん中を南北に走っている。今回はこの川の上・中・下流でポイントを見つけ、彼に紹介した。中でも彼が一番気に入ったのが中流にあるエリア。
 このエリアは私も昔から気になっていながらも、なかなか川沿いまで降りることができずにいた場所。上から眺めたことは何度でもあったけれど、下まで降りたのは今回が初めて。柴田君のおかけでいい体験ができた。

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 淀川テクニックは基本、川のゴミで作品を作っているのだけれど、私が昨年5月の地震のことを話したら、「ガレキ」にも興味をもったらしく、ガレキの内容も知りたいという。そこでこっちも私が気になってても、中まで入って行けずにいた、ガレキの捨て場(元のバスターミナル)へも行ってみた。
 さすがに1年以上経った今では、山のように積まれていたガレキもすっかり整理され、金属ゴミ、レンガ、ブロック・・・などと分別されてあった。以前の荒涼とした景色とは随分変わっていて驚いた。

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 淀テク(淀川テクニック)の柴田君なんか見てると、アーティストというよりは、体育会系の好青年といった感じ。川を見てはしゃぐ姿などは初々しさすらある。あ~、それと今回思ったのは、今の日本の若者って、私が想像してたよりもずっとずっと礼儀正しいんだなー。今回参加のアーティストは、年長でも私と同じか下くらい(奈良美智さんとしりあがり寿さんは除いて)で、後は20代前半から30歳くらい。渋谷でウンコ座りしててもいいような感じの子すらいたけれど、話してみるとすごくしっかりしてるし礼儀正しいので驚くとともに日本の未来にちょっと光を見た気がした。

 陽も暮れたので、柴田君と古市さんとでホテルに戻り、豊嶋さんとchim↑pom(チンポム)のメンバーを誘って夕飯を食べにガジャ・ウォンへ。ジョグジャの中ではちょっと贅沢系のレストランではあるけれど、ジョグジャ3川の一つ、ガジャ・ウォン川の真横にあるレストランなので、今日はぜひとも「川づくし」として柴田君を連れてきてあげたかった。
 チンポムは6人組のプロジェクト系アーティスト、今回は岡田君とエリちゃんの2人が視察に参加していた。彼らはジャカルタのゴミ山を見たいという希望があり、他のアーティストに先立って、今晩の夜行電車でジャカルタへ向かうことになっている。

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左からジョグジャ最後の夜に、ジョグジャの名物オポールを食べてご機嫌なチンポムのエリちゃん、今日1日動きまくりの淀テクの柴田君、キュレーターの豊嶋さん、プロデューサーの古市さん、私、現代版鬼太郎みたいなチンポムの岡田君。今思えば、ウェンツじゃなくて、この岡田君が演った方が、鬼太郎には向いてたような気がするなぁ・・・

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タンキル村栄養補助パック・パート2

 フットワーク超軽で、さらに責任感の思い切り強い「東(あずま)」のおかげで、国際交流基金のMさんから預かった義捐金の使い道が早速決定。1回の栄養補助パックを以下のとおりにした。

1)オートミール
2)シリアル
3)粉ミルク
4)小豆煮汁
5)ビスケット 
これでタンキル村の0~5歳児60人をサポートできる。
1回のパックで約55万ルピアかかるので、今回の義捐金で8回のサポートを続けられる。

 正直なところ、8回のサポートのために、我々8週続けて被災地に行くのはキツい。我々が第1バンブー幼稚園を建設して以来、3つの幼稚園の中でも一番親しくつきあっているこのタンキル村の村長さん夫婦なら、何かをチョコまかすなんてことはしない。もともと我々は今までの活動すべての内容において、関係者がチョコまかしできないよう、信用できる人へフェイスtoフェイスで物資を渡すようにしてきた。なので今回も物資で支援することにした。

 それでも、念には念を入れて、買い出した品物を転売されないようにするには?
 私も東も、村長さん夫婦がそんなことするとは思えないんだけど、少なくとも我々の活動を信用して義捐金を託してくれた人のことを思うと、できるだけ安全な策を考えたい。そこで今回我々がやったのがコレ!

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 買ったものをすべてケースから出し、バラしてビニール袋に詰めたのだ。
 内容はこんなビスケットや、シリアルなどなど。
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 そして今日、東と一緒に16袋をタンキル村に運んだ。村長さんちの猫も出てきて内容チェック。そして村長さんの奥さんに、東が内容の説明。我々としては、週に1度60人の子供たちにこれを作り、その場で食べていくようにするのがベストだと伝えた。もともとの「こどもプロジェクト」栄養補助パックのときに購入した100名分のプラスティック皿とカップはそのままここに寄付してあるので、充分に役立つ。

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 すでに老人や乳幼児に対するNGOや政府のサポートがなくなってしまっている今、我々の栄養補助は随分みんなのために役立つと、村長さんの奥さんも大喜び。彼女は以前も私にこそっとつぶやいたことがあった。
「私ね、本当に嬉しいのよ。こうやって仕事与えてもらうとさ、みんなで頑張ろう!って気になるからね」
 彼女になら安心してこの栄養補助パックも預けられる。

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 東はこのパック配達の後、午後から東ジャワの撮影の仕事に出発した。私は27日から国際交流金のご一行様ジョグジャ視察に31日まで同行する。村長さんの奥さんは、栄養補助パックの配給日程が決まったら教えてくれると言ってたので、あいてる時間を見つけ、義捐金をくださった皆さんへの報告も兼ねて、いつかまたタンキル村へ行くつもりだ。

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バンブー幼稚園・ふたたび

 2006年5月27日のジャワ中部沖地震は、もうすっかり過去のことになりつつある。
 ちょうど私が日本を去ろうとしていたそのとき、新潟でほぼ同じ規模の地震が起こり、1年前のジョグジャ地震を思い出した。

 今回の一時帰国で東京に行ったとき、国際交流基金のMさんと再会した。
 彼女は以前基金ジャカルタ事務所に勤務していて、私の展覧会や私が企画して招聘した日本人アーティストのサポートなど、様々に助けてくださった方。彼女と会ってランチしているときに、彼女から手渡されたのは、国際交流基金スタッフ有志から集めた「ジャワ中部沖地震被災地への義捐金」だった。
 ひょんなことから私が被災地への救助に入るようになり、日本の皆さんから義捐金を預かって動き始めるのだが、その活動も最後には「こどもプロジェクト」の名で被災地3箇所に「こどもバンブー幼稚園」を開設することで終了した。

 それ以降もメール等で義捐金をまだ受け付けているのかと問い合わせがあるのだけれど、私自身がもう自分の生活に戻りたいということと、一人二人からの義捐金を預かっても、有効的に被災地で使うことが難しいことなどから、お断りをしてきた。
 ただ、今回Mさんから義捐金を受け取ったのは、ずっと前からこのお金があることを聞いていて、私が被災地で使うと約束していたことと、有志の皆さんからそれなりにまとまった額が集まっていたので、形になって被災地で利用することができると考えたからだ。

 さっそく「こどもプロジェクト」の立役者、東(ホントの名はチャハヨという。詳しくはず~っと遡って2006年5月27日以降のブログ記事を参照されたし)と再会。ちょっと太った感アリだけど、基本相変わらず元気。日本からメールで事情は伝えてあったので話は早い。
「ところでミドリ、今日は今から時間あるの?」
「なんで?」
「一番いいのは実際に被災地に入ってみて、今何が必要とされているのか見ることだろ」
 さすがは東。彼は本当にフットワークがいい。

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 早速私の車で第3バンブー幼稚園へ。ここは私がヨーヨー道に入信するきっかけとなった、国際交流基金の慰問団が訪ねてくれた幼稚園でもある。今回預かった義捐金は65,059円、先日の換金でこれが4,830,600ルピアになった。
 現場を見る前の段階では、私と東は第3幼稚園に電気を引けないかと考えていた。が、今回行ってみてわかったのは、ようやく今になって政府からの援助金が幼稚園単位で入り、建物を直したりできることになったというのだ。
 念のため、第1バンブー幼稚園のあるタンキル村へも行ってみた。ここは村長さんの奥さんの手料理が美味しいから、どうしても寄りたくなる村なのだ。ここでもやはり、村長さんいわく幼稚園には援助金が入るという。それよりサポートが行き届かないのは、赤ん坊や年寄りらしい。つまり、公共施設(学校など)に所属していればサポートは受けやすく、単独(乳児や家にこもっている老人)の者にはサポートは届きにくいことがわかった。

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 そこで、東と相談した結果、Mさんからの義捐金は以前も「こどもプロジェクト」で遂行してきたような、乳児への栄養補助パックのサポートに使うことに決定。早速1度のサポートで何が必要か、いくら必要か、我々に負担のない程度で、週何回、それを何度続けることができるのかを話し合うことに。明日までにはこの義捐金の使い道がハッキリすることだろう。
 遠い被災地からの帰り道、東と同じことを思った。
「今になって被災地に行ってみると・・・
遠~~~~~いよねぇ~~~~・・・・」

 明日には補助食品の買出しに行きたいと思っている。

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死の寺院&父チャンのお出かけ

明け方になってトゥガララン村から戻り、しっかり朝寝坊して起きると、マデ兄貴の嫁のムプが台所でお供え物を作っていた。この3日間、プリアタン村トゥンガー町のご神体がトゥガラランへお出かけしていたのだけれど、今晩をもってお帰りになるので、最終日用に供え物をもって近所にあるプラ・ダラム(死の寺院)へお参りに行くのだ。
「ミドリ、あんたも夕方行くんだからね」
と言われたので、またもや娘エリパニのクバヤ(正装)を借りる。

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 このエリパニは19歳の若さでバリ・ヒンドゥー教の儀礼を司る僧侶の青年に嫁いだ。自動的に彼女も「聖職者」となる。だから最近では儀礼のあるたびに、聖職者の証として、全身を白で包む。まだほんの少し洒落っ気も残ってる彼女は、飾りナシの真っ白のクバヤはイヤらしく、ちょっぴりお飾りのあるクバヤを選んだようだ。なぜかその一着が実家においてあったので、今日は私がそれを借りた。
 聖職者は白しか着ちゃダメで、一般ピープルは白を着てもイイ。といっても、まったくの一般ピープルが全身白尽くめってことはまずない。私のような凡人が、エリパニの白いクバヤを借りたとしても、下半身は色つきのバティック巻いてるし、全然問題ない。
 それより、身長は私より15センチほど高く、横にも相当に広いエリパニのクバヤは超デカく、タイトに着こなすべくクバヤがぶよんぶよんだったのでちと恥ずかしかった。でも初めて着た白は、気持ちが引き締まってなかなかよかった。今度自分用に白を1枚新調しようかなぁ・・・

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 そして翌朝21日。私がジョグジャへ発つ日。
 以前、空港までの道のりに父ちゃんを連れて行ったら、初めて見るデンパサールの街や、エスカレーターに大興奮してくれた。私がバリへ戻るたびに、
「今回はミドリ、街へは寄らんのか?」
と聞いていたので、今日はまた父ちゃん連れて街へ行った。
 ちょっと早めに家を出れば、私が空港へ着く前に、デンパサールの街でランチが食べられる。10年以上もお世話になってきたこのバリの家族に恩返しできることといったら、このくらいしかない。

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 今日のメンバーはマデ兄貴、嫁のムプ、息子のフォギー。そして四男(うちの父ちゃんには4人の息子がいて、全員同じ敷地で暮らしている。私の兄貴分であるマデは次男)の娘のメリー。そして父ちゃん。
 一人ずつメニューを選んでいたら遅くなるので、私とムプでささっとメインディッシュをオーダー。今日選んだのは空港に近いマタ・ハリ・デパートのフード・コート。午前11時と、お昼タイムより早かったために、思い切り空いてて気持ちがいい。
「ふ~~む。この前のデパートよりきれいでええのぉ~~~」
ともう都会慣れした気分の父ちゃんを見て孫たちが笑う。

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 歯の抜けた父ちゃんでも食べられるメニューにしたので、父ちゃんご満悦。みんなでワイワイ食べていると、突然父ちゃんが真面目な顔して、私の左腕をつかんだ。
「ミドリがこうやってたまにバリに来てくれるからよぉ。わしも街に来てこんな美味いものが食える。父ちゃんなぁ、ホントにホントにありがとうよ。ミドリぃ~、ありがとうよぉ~」
左手痛いってば、父ちゃん。
 インドネシアの物価で暮らしている私にとっては、これだけの人数にランチを振舞うのはそれなりに大変なことではある。でも、ここまで喜んでくれる父ちゃんを見ると、
「今度戻ったら、またつれてきてあげなくちゃなぁ~~」
と思ってしまう。
 親孝行したくても20年も前に逝ってしまった本当の我が父も、きっとこんな私を見て一緒に喜んでくれてるんじゃないかと思う。だからバリの父ちゃんよ、今度もまた一緒にデパートでご飯食べようね。

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チーズと黒ビールと寺院祭

 今回の帰国で、ヨーヨーの師匠TAKAさんから新たなトリックを伝授された私は、バリで一番のヨーヨー仲間、マデ兄貴の息子のフォギーに朝っぱらから早速で技を披露。私が要した時間の半分くらいでそれを把握するフォギー。う~、年齢の差か・・・。

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いつもバリに戻ると、会う人は大体決まっている。昔お隣さんだったN翁、そして私がバリで暮らすと決めたときにバリ太鼓を習得するために留学中だったTさん。彼女はその後、太鼓の師匠と結婚し、今では娘さんも大きくなった。今となってはツーリストのようにバリを眺めることのできる私は、毎回彼女に新しくできたレストランに連れてってもらうことにしている。

今回は、大好物のインディアンを食べよう!ってことで店に行ったのだけれど、なんと今年2月から閉店。仕方ないので以前も試して美味しかったチーズとソーセージのレストランへ。整備されたサッカー場で戯れる若者を見ながら、ビールとチーズでクィッといく。

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ここ数回、無意識で決めたバリでの日程がなんらかの宗教行事と重なってることがある。この前、日本に帰る前に寄ったときには、バリ暦で1年に1度の祝日ガルンガンにぴったりあたってたし、今回は我がバリ人家族の暮らしている村の寺院祭に重なっていた。こうなると兄貴と兄貴の嫁は当然のことのように私を連れて行こうとする。

 しばらく寺院祭に出かけたこともないし、嫁に行った娘エリパニが実家に残しているクバヤ(女性の礼装)も借りることができる。さらに、今回の祭は大きなもので、この村の神さま(バロンやランダという聖獣の形態をとった面とその身体からなる)が、縁ある北の村の寺院へ出かけている。
 普段は町内の祠で大事に奉られているこのご神体が、寺院祭にあわせてちょっくら向こうの村まで出かけているということで、私も久しぶりにこのご神体を拝ませてもらうことになる。

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 私のバリ人家族が暮らしているプリアタン村とかかわりの深いトゥガララン村へ向かったのは夜11時。ご神体が我々の前に現れてくださるのはこうした時間から。チャロナランという災い祓いの意味をもつストーリーに合わせて、経験豊富な踊り手と、ご神体が舞台に登場する。
 マデ兄貴のおかげで、かなり遅くから会場に来たにもかかわらず、聖職者が座る一等席をGET。兄貴は背が高いから、こうした人ごみの中でもどこが空いてるか、一目でチェックしてくれるから助かる。

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 ストーリー後半で登場する悪霊の手下の一人が、昔お世話になった宿屋の娘だったので驚いた。まだ小学生くらいで華奢な身体をしていた少女が、今ではこんなセクシーな悪霊を演じられるとは時の流れを感じる。

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 さらに、その悪霊のボスを演じたのは、私のバリ舞踊の師匠スクロ先生だった。私がバリ男性の演目であるバリスを習っていたのはもう10年近く前のことなので、先生を見るのも10年ぶりくらい。バリの細密画描きでもあり、素晴らしい踊り手でもある師匠の迫力ある演技と踊りを久しぶりに見て感動・・・。

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 そして最後には、プリアタン村のご神体、ラトゥ・マスのご登場。こうしたご神体を身につけ、躍らせることができるのはごく限られた人だけ。私の師匠スクロ先生のお父さんは昔からこの役をよく引き受けていたので、今回もそうだったのかもしれない。
 ご神体の登場で、災い祓いのチャロナラン劇が幕を閉じたのはもう朝の3時半。途中むっちゃ眠いながらもなんとか頑張れた。ぞろぞろと寺院を出る人の波に混じり、寺院から随分遠くに停めた車に乗り込み、家に戻ったのはもう空がしらじらと明けかける時間だった。

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関空からバリへ

 今年の正月を日本で迎えるために帰国したときに、ギリギリみつけて名古屋着のガルーダ便に乗った。がしかし、今年に入って名古屋-デンパサール便は欠航となり、名古屋人の私は日本へ帰るのに大阪か成田かを選択せざるをえなくなってしまった。
 帰国の際には時間と交通費のお徳さを取って関空着にしてもらったけれど、戻りは成田発でチケットをおさえた。

 が、結局出発ギリギリの連休に名古屋でやらなければならない仕事を残してしまったので、GARUDA大阪のHさんに無理言ってチケットを変更してもらった。結局は発着ともに関空の世話になった。

 午前11時に予定通り大阪を出た飛行機は、1時間の時差があるバリ島デンパサールのングラ・ライ空港に午後4時50分到着。名古屋便もなくなっちゃって、いまどきインドネシアへの観光客は激減してるのかと思いきや、なんのなんのほぼ満席。

 迎えに来てくれたのは、わが娘のエリパニ、その母(私はイミテーション母なので実母はちゃんといる)、そして弟のフォギ。今日は途中で寄り道せずに、とっととバリ家族の家があるUBUDまで帰らなければならない。旧友であるN翁との待ち合わせがあったからだ。

 私とほぼ同じ時期にバリに移住したN翁が最近知り合った日本人が、UBUDから北へ向かったエリアで洒落たカフェを経営している。ちょうど今日はここでライブがあり、おまけに今日は我々共通の知人、アーティストのSさんの誕生日でもあるというので、この店でお祝いも兼ねることに。

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 店の名はAS ONE。外見はこんな感じ。UBUD中心地の騒々しいエリアと違って、周囲は静かでいい感じ。

 ゆっくりお喋りもしたいので、ステージから離れて後ろめに席を確保。

 もともとは週2日、夜にジャズのライブがあって、バリ選りすぐりの奏者が演ってくれるので、かなり聞きごたえがあるそうだけれど、なぜか今晩はジャズじゃなくってシタール演奏。この白人のおじ様も我々同様20年近くバリに在住している考古学者で、シタールの腕はプロ並みってことらしい。

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 聴いててイヤじゃないんだけど、聴き入るぅ~~~ってほどでもなかったので、バックミュージックにしながら久々の再会のSさんとN翁とお喋り。

 こういうとき、バリのインターナショナル感を感じる。バリの田舎で暮らしているだけだったら、それはもう、完璧に現実から遠~~~い所にいるだけなんだけれど(事実私が昔そうだった)、バリも出るとこに出てると、あるいは集まるところに行くと、かなりインターナショナル。下手したら日本よりもインターナショナルかもしれない。しばらくバリを離れていたので、この「インターナショナル感」を久しぶりに見た気がした。

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 そしてもう一つ、3週間を日本で過ごしてきた私には、バリにずっと住んでる人にとっては、こうしたライブ演奏一つが、かなり貴重な娯楽、あるいはエンターテイメントであることを、これまた娯楽に飢えて飢えてたまらなかった私自身のバリ時代を思い出して感慨深かったりした。

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『通じるインドネシア』完成

 日本を発つギリギリに、実家に届いた本は『通じるインドネシア』という。
 なんでも、最近の旅の会話集では、この手の「指で指すだけで通じる」系が流行っているらしい。バリの私の友人で、UBUDで喫茶店を経営しているKちゃんもこの手の本を書いて出している。

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ただ、私は彼のように著作ではなく、単なる翻訳者として仕事でやっただけなので、正直なところ、そんなに思い入れはない。
 ま、しかしフィリピンの個展を控えて大忙しだった頃に、超タイトなスケジュールの中で、翻訳とコラム執筆、オマケにイラストまで引き受けてこなした仕事だけに、印刷が出来上がってきたのを見て、それなりにホッともした。

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 別に私は翻訳のプロとしての基礎もないので、最初はお断りしたのだけれど、単純な会話の翻訳であることと、ネイティブにちゃんと最終チェックを入れてもらうというプロセスを踏むことがわかったので引き受けることにした。そしてネイティブチェックは私のインドネシア一番の親友、ササンにお願いした。

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 彼には、いつも私がインドネシア語の原稿を書くときに最終チェックしてもらっているし、なんといっても日本人並みに仕事に対して時間も守り、責任感ももっている。だから任せても本当に安心。それに今回の仕事のスケジュールからして、私がフィリピン滞在中に最終稿チェックをしなければならず、そんなとき、展覧会で一緒にフィリピンに行ってたササンとならチェックもやりやすいと思ったからだった。思ったとおり、彼はとってもイイ仕事をしてくれた。

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 最初に言ったように、掲載内容にはまったく関わっていないし、専門書ではないし、だからみんなに思い切り勧める気もない。実際、私が関わってない部分では、
「え~~・・・これ、ちょっと・・・」
ってところもあったりするので、単にこんな仕事が終わったという報告にとどめていればいいか・・・って感じ。しいて言えば、かなりの短期間に作ったイラストがそれなりに刷り上ってきたので、そこは嬉しかった。

 いつもどおり、あっという間の日本滞在を終え、明日には関空からインドネシアへ戻る。7月末と8月末には日本の美術関係者がインドネシアへ調査に入るのをお手伝いすることになった。11月の個展の準備もあるし、年内はまだまだ忙しくなりそうだ。

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七夕デートは榊原温泉

 カナダで照明デザイナーをしているSさんが、ちょうど帰国中だった。彼女とは演出家の友人を通じて知り合い、なぜか旧知の友のように親しくしている。彼女はカナダ、私はインドネシアと普段の距離は遠いけれど、今の時代、フィジカルな距離もあまり感じなくなってきた。
 彼女の日本での住まいは大阪、私は名古屋なので、今回は中間点になる場所を見つけ、そこで1日デートしようと決めた。近鉄電車で名古屋と大阪のほぼ真ん中に当たる駅を探し、さらにその駅周辺におもしろいものがある場所を探していて、見つけたのが「榊原温泉口」だった。温泉もある、さらにかなり妖しい「ルーブル美術館」もあるという。

 お互いのスケジュールをあわせていたら、偶然にも七夕の日に決定。Sさんが見つけてくれたスポットで「砂利風呂」にも入ることにした。

 当日は現地集合、10分違いで私が先に到着。駅を出てもあまりに何もないので驚き。「温泉口」とは名ばかりで、温泉宿が集まってる場所までは普通送迎バスを使うらしい。まずはネットで調べてかなり気になっていた妖しいルーブル美術館へ。ここへは駅から徒歩5分。遠くからすでにその妖しげな外観が見えてくる。

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 パンフレットには「フランスのルーブル美術館公認」とか「黒川紀章建築監修」とかってあるんだけれど、実際にこの場所まで来ると「ホントなのか?!」と誰かに聞いてみたくなる。どちらかといえば田舎のラブホ的空気が思い切り漂っている。

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 そして「ルーブル美術館」と「大観音寺」が一つになった標識もかなりインパクトがある。小雨降る大観音寺&ルーブル美術館には、私とSさんの傘だけ。

 しかし。
 入場料をとる「寺」ってのも驚き、さらにルーブルを見るならば、寺の入場料は割引。チケット売り場のオバチャンが
「あんたら~、せっかくここまで来たんだから、ちゃんと全部拝んでってちょうだい!」
と売り込むのもスゴイ。この大観音寺の中には純金の恵比寿さんもいて、これを見て触るには別料金がいる。しょっぱなから笑わせてくれるぞ大観音寺。
 私とSさんはこの後で砂利風呂にはいってのんびりする予定があった。しつこいまでに純金恵比寿を売り込むオバチャンをよそに、
「でもさぁ・・・。砂利風呂の方がきっと現実的なご利益あるよね。身体休まるもんね・・・」
と話し合い、フツーの入場料のみで(それでも)大観音を拝ませてもらうことにした。

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 土産物屋(土産といっていいのかわからないが)にあった物の中で、最初に目を引いたのはこの「金運カラオケ地蔵」。石調バージョンと金箔バージョンがあり、高さ60センチほどのカラオケ地蔵(大)はお値段80万円。金運にイイのか、それとも歌が上手くなるのか?

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 広い敷地には、カッパの神さまが奉られていたり、建物の中を一周すれば四国八十八ヶ所巡りができちゃったり、もう、これは寺ではなくて宗教レジャーランド、あるいは宗教テーマパークといった感が大。だからこんなに大きなカラオケ観音も平気でいるし、仲代達也そっくりな「やるき達磨」もいる。そしてスゴイことに、すべての像の前には大きな賽銭箱が設置してあった。

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 話のネタにはもってこいのこの大観音寺とルーブル。名古屋、大阪周辺の人にはオススメ。そしてそこからいったん温泉口の駅へ徒歩で戻り、温泉宿が出してる無料送迎バスに乗って砂利風呂へ。
 岩盤浴に似た、あたためた砂利を敷き詰めた部屋で、30分寝ては10分ほどクールダウン、薬草茶で水分補給ってのを3セット繰り返し、最後にかけ流し湯の温泉に入ってスッキリ。なんでもこの榊原温泉は「枕草子」の中で清少納言が絶賛した名湯らしい。笑って喋って汗かいて、Sさんとの充実した七夕デートを終え、名古屋への岐路についた。

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