Archive for April, 2007

ようやく掲載『VISUAL ARTS』

 バンドン工科大学(ITB)美術学部で講師をしている友人ササンと一緒に、インドネシアの若手作家を日本で紹介すべく企画した「Passing on Distance」展が実現したのはもう2年前になる。名古屋在住の現代美術家久野利博さんのサポートによって名古屋のNAFギャラリーで2005年6月に開催されたこの展覧会は、次に福岡アジア美術館の元学芸課長(現九州大学教授)後小路雅弘さんのサポートにより、東京は萱場町のBASE GALLERYで2006年3月に開催された。
 NAFギャラリーでの開催と時を同じくして、愛知県美術館では大規模な企画展『アジアの潜在力』展が開かれていた。偶然にもこの展覧会にもインドネシアのアーティストが二名選ばれており、さらに偶然にもその二人ともが私の親しくしているジョグジャのアーティストだった。この二人は普段ほとんどインターネットを使わない生活をしている人たちだったために、私はこの二人と愛知県美術館学芸員、高橋秀治さんとの間で橋渡し的仕事もさせていただいた。

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 インドネシアには『VISUAL ARTS』という、唯一の美術誌(フルカラーの高価な隔月誌)がある。過去に私は日本の美術について数回テキストを頼まれたことがある。「Passing On Distance」展が東京へ巡回した際に、私とササンは同じことを考えていた。せっかくインドネシアの美術を日本で紹介したのだから、日本の専門家から見たインドネシア現代美術の印象を、インドネシアの美術関係者に知らせたかった。そこで多忙な高橋さんに無理を言って「Passing On Distance」の展評を書いてもらえないかお願いしたのだった。

高橋さんが忙しいスケジュールの合間に書き上げてくださったテキストは、昨年夏に私がインドネシア語訳をし、編集部へ送ってあった。それが毎回編集部に電話するたびに、
「あ、次の号で掲載します~」
なんて返事ばかりが続き、さらに私が親しくしている編集者が知らない間に退職してたりもしてて、余計に話はややこしくなって今に至る。

「ミドリ、タカハシ氏のテキスト、載ってるぞ」
とササンから数日前に携帯のショートメッセージが入った。ジャカルタ発行の『VUSUAL ARTS』がジョグジャのディストリビューターに届くのに時間がかかるために、私が最新号を手に入れたのは昨日のこと。

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 確認してみると、あったあった、全4ページに高橋さんのテキストがまるまる載っている。さらに、編集部からの言葉として
「本来、展評といえば展覧会開催から間もなく掲載されるものである。がしかし、愛知県美術館学芸員である高橋氏から見たインドネシア現代美術というものは、我々にとって非常に貴重な見解であると本誌は考えた・・・云々」
 ここまででっかく作品の写真も掲載されているので、5人の参加作家、きっと嬉しいだろう。私もようやくホッとした。あれだけ多忙な方に書いていただいたテキストなだけに、掲載されなかったら私は愛知県美術館に足向けて寝られないところだった。

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 さらに、新しくなった編集者に頼まれて書いた私のテキスト、昨年10月に見に行った韓国での2つのビエンナーレ(光州と釜山)のレポートもちゃんと載っていた。

 話は変わり、フィリピンはキブガン村で行われる「国際環境デー」(4月5日付『キブガン村の修行系プロジェクト・イン・フィリピン』参照)のポスターのラフが出来上がった。主催のNGO代表Mさんから
「ミドリさんの飼ってる猿使って、自然環境保護とアートが一緒になったイメージで、おもしろくできないかしら」
と希望を伝えられて作ったのがコレ。

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 最初はインドネシアのつもりで椰子の木を配したのだけれど、かなり標高の高いキブガン村周辺には椰子はないらしい。そこで松に変更。ちなみにこの猿は私の愛猿スギトの相棒、ソチョ(男)の方を使った。

 さらに話は遠く大阪へ飛ぶ。
 私のヨーヨーの師匠TAKAさんがGWの今日は大阪でパフォーマンスをしていることを彼のブログで知ったので、私の友達Sさんにメールして、
「一度でいいから、あの技を生で見てきて!」
と連絡したら、本当にSさん、ダンナさまと一緒に見に行ってくれたのだ。さらに写真まで送ってきてくれた。
 お~、懐かしのTAKA師匠とSさん!

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 さらに嬉しいことに、このSさん夫妻もヨーヨー道に入った。すでにマイ・ヨーヨーもってるもん、Sさん。ダンナさんのブログには、なんで私がここまでヨーヨーにハマれるのかわからなかったらしいけど、今日の師匠のパフォーマンス見て買ってるし、マイ・ヨーヨー。

 夜になって、Sさんから
「今となりの部屋からHさん(ダンナさん)がコロコロ・・と犬の散歩技やってる音が聞こえます」
ってメールが来て、私まで嬉しくなってしまった。仲間ができた~~~。
 Sさん夫妻に先越されないように、私も日々練習に励まねばっ。
 

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デリバリー:独楽のオッチャンの愛

 国際交流基金の企画で、日本から慰問団がジャワ中部沖地震の被災地へやってきたのは3月中旬のことだった。「こどもプロジェクト」のメンバーでもあった基金本部のKさんの熱いプッシュにより、我々が建てた「第3こどもバンブー幼稚園」にも慰問団が来てくれることになり、手品のおじさん、独楽のオッチャンとオバチャン、そして世界チャンピオンのヨーヨーマスターTAKAさんが、それぞれの素晴らしい技を披露してくれたのは3月21日(『スケバン刑事の先生、地震被災地を訪問』参照)。私の最近のヨーヨー・ブームはここに端を発している。
 バンブー幼稚園の後にもまだ公演場所が残っていたために、独楽のオッチャンはすべての事業が終了して帰国する日に、被災地の子供たちにプレゼントしてほしいと、日本からもってきた独楽のいくつかを私に託してくれた。

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(私も一個もらった。子供たちにはもっと軽いカラフルなブリキの独楽と、木製の独楽をプレゼント)

 オッチャン、ごめんなさ~い。今の今まで、被災地へもってく時間がありませんでした~。いや、時間はあった。でも、せっかくなら「こどもプロジェクト」の縁の下の力持ちで、フットワーク軽く走り回ってくれた東にも、オッチャンのくれた独楽を見せたかったし、彼もここんとこずっと3つのバンブー幼稚園や、被災地の復興の様子を見てないので、デリバリーは一緒に行こうと約束していたのだ。彼がここしばらく、本業のドラマ撮影ロケでジョグジャにいなかったので、なかなか二人の予定が合わずに1ヶ月が過ぎてしまった。そしてようやく今朝は二人の予定が合ったので、頑張って早起きしたのだった。

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 ロロン村の第3バンブー幼稚園、今日も子供たちは元気にお勉強中。お迎えのお母さんたちも、この前の慰問団のことがあるから、今日はこの日本人何もって来た?って顔で迎えてくれた。

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 先生に独楽と、それから東京本部のKさんが託してくれた子供たちへのアメを手渡す。
「あ~、これなら私から子供たちに教えられるわ~、この前ちゃんと教わったもの」
「ヨーヨーは難しそうだったからねー。もらってもできないわよ・・・」
と二人の先生。一人は慰問団のワークショップで、独楽のオッチャンから始動を受けている。
いや先生、ヨーヨーだってできると思うよ、ただ私たちが見たTAKAさんの技があまりにヨーヨーからかけ離れていたために先生たち引いちゃったみたいだ。

 せっかくなので第1バンブー幼稚園のあるタンキル村にも寄ってみた。以前から被災地の話をここで読んでる人は、なぜ私がここへ寄りたいかをご存知のはず。
 そう、村長さんの奥さんの料理~。本当に偶然にも、連絡なしで行った日には必ずといっていいほど私の好物が出来上がっている。奥さんも不思議がって笑っている。今日もココナツミルクい~っぱいのスープがほかほか。幸せ~・・・。

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 タンキル村では政府の復興支援金の第3弾が下りたそうで(今までかかって3回に分け、一家に1500万ルピアが支援されている)、私らが子供たちの栄養補助パックを支給してたときにはただのテントだった村長さんちの入り口も、それなりに家っぽい建物が出来ていた。
ハッキリいって1500万ルピア(日本円で20万円弱)ではもとの家と同じものはまず建たない。でも、ちゃっちぃ青色のペラペラビニール製テントが村いっぱいに並んでた頃を思えば、随分復興したな~と思う。

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 考えてみたら、東と会うのは久しぶり。結局彼は慰問団が来たときも撮影ロケで参加することができなかったので、私が彼と会ったのはそれのずっと前ってことになる。彼はこの前のスマトラ地震のときもサッと現場に駆けつけてるし、本当~~にフットワークが軽い。彼いわく、3年前のアチェ地震も、この前のスマトラ地震も、ジョグジャに比べたら全然復興が遅れているという。
 これだけ広いインドネシア共和国で、国として大切じゃない場所で被害があろうと、国も気合入れてサポートしないってことらしい。

 帰り道で東がいう。
「そういえばウラン(彼の妻)がこの前すげー美味いレレを買ってきたんだよ。この近くなんだけど・・・」
レレってのはインドネシアのウナギといおうかドジョウといおうか。ずーずーしい平ぺったい顔で長いヒゲを生やしている。身は白身でまーまー美味しい。新鮮な海産物がないジョグジャでは、レレの消費量がとても多いらしい。
 このレレを串に刺して椰子の殻を燃やしたものの上で炙り、それにココナツミルクと香辛料いっぱいのスープをかけて食べる・・・なんて説明を聞いてたら、もう食べるしかない。

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 東も初めて行く場所なので迷って迷ってようやくたどり着いた。田舎の村のフツーの家だもの。簡単には見つからんわ。今日は幼稚園訪問があったために、行動開始が早かった。ここについた時でまだ午前10時。レレの香ばしい匂いはするものの、ご飯も焚けて食べられる状態になるのは11時半だといわれ、泣く泣く匂いだけ嗅いで帰ることにした。

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スラバヤ市長からのラブ・コール

 私は2003年からジョグジャカルタで日本語のフリーマガジンを発行している。ネット上で多くの情報を得るという「ネットサーフィン」という言葉から、ジョグジャをくまなく回るための味方『Jogja Surfing』と名づけ、1人で取材、撮影、記事書きから版下作りまでやってきたので、自分では結構このマガジンがいとおしい。
 二年ほど前から、ジョグジャカルタ市観光局もこれがどれだけジョグジャのPRに役立ってるかを理解し始めてきたので、今までは自腹だったりもした印刷費用も、今ではジョグジャカルタ市がサポートしてくれている。毎年10月に東京で開催される国際ツーリズム・フォーラムにジョグジャが出かけるときに作る立派な冊子も、私が編集・デザインして作っている。
 
 ジャワ島は東西に長い。西ジャワ、中部ジャワ、東ジャワで文化も地方語も違う。インドネシアの首都ジャカルタがあるのは西側。ジョグジャや古都ソロがあるのが中部。そしてインドネシア第2の都市スラバヤがあるのが東ジャワ。
 今日はこのスラバヤ市観光局ご一行がジョグジャに来て、スラバヤのPRをするというイベントに招待された。以前からスラバヤ観光局は、私が出してるジャワPRの冊子を知っていて、スラバヤ・バージョンを作ってほしいと言っていた。ただ私がずっと別の用で忙しくしてて、返事するのもすっかり忘れていたところ、今回は本人たちがジョグジャに来たので、とりあえずは会って話を聞きましょうってことにして会場へ出向いたというわけ。

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 ジョグジャ側で招待されていたのは、ツアーエージェントや新聞・ラジオなどの報道関係者。どーせ時間通りに始まらないと思って、ゆっくり行ったらすでにホテルのホールでは舞踊披露が始まっていた。ジョグジャの宮廷舞踊のとろ~~んと眠りを誘うタイプとは随分違い、かなりダイナミックな動き。かといって、バリのリズムとも違うし、ガムラン音楽にもインドっぽい笛の音が混じっている。こういうのを観ると、インドネシアの芸能は本当にバリエーションに富んでるなぁ~と思う。

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スラバヤがいかにポテンシャルな都市であるかを力説しているこのオッサンがスラバヤ市観光局長さん。

 スラバヤというと、ただフツーの都会って印象しかなく、日本で出てるインドネシアのガイドブックにもほとんどインフォメーションがない。今日の話を聞いていたら、結構気になる歴史的サイトや、資料としても貴重な種を多く保育している動物園などがあるらしい(猿の種類も多いらしい!気になる・・・)。私はやらないのでわからないけれど、ゴルフ・コースもかなり本格的なものがいくつかあるという。
 スラバヤ、PRの仕方もお洒落だわ。今日は招待客への土産に、こんなTシャツとピンバッジ、スラバヤ紹介のVCDを用意していた。これならもらっても着るよ、私。

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 プレゼン後のランチタイムに、この局長と話し合う時間をもった。とにかく、向こうはとっとと私をスラバヤに呼んで、日本人観光客にウケそうな場所を見せ、本にしたいらしい。もちろん、ジョグジャからスラバヤへの旅費も、向こうでの滞在も、飯も、み~んなスラバヤ市もち。私はスラバヤの資料をもらって予習しながら、どのホテルに泊まりたい、どこでSPAを試したい、何を食べたい、何を見たいってことをリストアップすればいい。う~ん、なかなかの大名旅行、おいしいぞ・・・。

 実はここしばらく、右手首を傷めるまでヨーヨー練習したり、13時間半かけてバンドンへ行って、フィリピンでの展覧会にもってく作品選考したりしてる間に、私は翻訳の仕事をしていた。最近日本ではこうした旅行者のための会話集が流行ってるらしいのだが、私が今回請けたのもそんなシリーズもの。すでにタイや韓国バージョンが出ているらしい。

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 会話のインドネシア語訳に加え、インドネシアに関するエッセイ、さらにイラストまでを引き受けたものだから、結構忙しい。私はもともと、どんな仕事でも締め切りより2~3日前に仕上げるのをモットーにしているので(気が小さいからギリギリまでかけると自分の心臓に悪い)、実はかなり時間に迫られている。
 でも・・・。昔からそうなんだけど、展覧会の前とか、旅行の前とか、やらなくちゃいけないことがたまりまくってる状態の時に限って、
「これが終わったらアレがしたい、コレがしたい・・・」
って次の想像ばっかりしちゃうのが私のクセ。

 スラバヤ市長も早く来てくれって待ってるそうだし、5月はスラバヤ市で大きな祭もあるっていう。なので翻訳の仕事を終えてフィリピンへ発つ前に、5泊6日ほどの予定でスラバヤへ行くことに決めた。スラバヤからなら水牛レースで有名なマドゥーラ島へもフェリーで30分だし、避暑地になってる高原地帯もある。無理すればジャワ島の聖なる山、標高2382mのブロモ山まで行くこともできる(ちょっとキツイかなぁ)。スラバヤの中心地には華僑が多いから、美味しい食べ物もたくさんありそう・・・。 新たな楽しみが目の前に出来て、かなり楽しみになってきた。早くに仕事を片付けるぞ~。

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ムチャくちゃ気になるお誘い

 今晩23:40発の夜行電車で西ジャワのバンドンへ向かう。明日の到着は07:33。ほとんど、デンパサール⇔名古屋間と同じ所要時間。乗り物が飛行機だったら日本まで着いてるってことになる。たかが2日留守にするだけでも二匹の犬たちを残すのでそれなりに準備がいる。洗濯もしたいのに、今日は朝からずーっと曇り空で、夜になったら雨まで降ってきた。
 
 今回のバンドン行きの目的は、フィリピンのギャラリーで開催を予定している「インドネシア若手アーティスト展」の作家選考。さらに、一緒にバギオ(ルソン島北部の街)に行く陶芸作家のササンと、キブガン村でのワークショップの打ち合わせもしなければならない(『キブガン村の修行系プロジェクト・イン・フィリピン』4月5日付参照)。

 バンドンにだってもちろんヨーヨー持参。ササンはビリヤードがプロ並みの腕らしい。さてヨーヨーの腕はいかに? 今日も練習しようと思ったのに、昨日からついに右手首がケンショウ炎みたくなって、コーヒーカップもってもギクッと痛い。手首傷めるまでヨーヨーやってる40女なんてもの、世の中にそうはいまい。でも、ここで挫けないのが体育会系。これはきっと、今のうちに左でも練習しておけってことだと思い、普段どうしても練習がおろそかになりがちな左手でのトリックにトライ。世界一周の技も左手でできるようになった。

 夕方になって電話が鳴った。
 ここ数ヶ月会っていないティタからだった。ティタはインドネシアでは数少ないバンドン出身の女性アーティスト。だんなさんのアグス・スワゲもこれまた有名なアーティストで、去年開催されたシンガポール・ビエンナーレにはインドネシア代表として夫婦揃って出品している。

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(一番右がアグス。後ろは彼の作品)

 アグス夫婦とはジョグジャに来てすぐに知り合い、アーティストどうしというよりは、音楽仲間として付き合っている。絵も、ヨーヨーも、国境を越えられるけど、音楽もしかり。呑んでからじゃないと眠れないアグスの家に夜遊びに行けば、必ず泡の出る飲み物が待っていて、さらにほろ酔いのアグスと一緒にギターでぼろろん演れるのが楽しくて私はアグス宅の常連客となっている。

 けれど去年5月のジャワ中部沖地震でジョグジャが被災して以来、ティタはローカルのアーティストを巻き込んだ大規模な救援活動に忙しくなり、私は私で「こどもプロジェクト」にかかりきりになり、ほぼ1年の間、彼らの家でボロロンやることはできなくなっていた。
 そして今晩の電話。
「ヘィ、ミドリ! 今どこよ? 明日、アグスの誕生パーティだから、あんた歌うのよ!」
「え~~~~!!! 今晩からバンドンだってばぁ~~~」
「そんなのキャンセル、キャンセル~~!ダイエット中のあんたのために、ヘルシーサラダも準備してるのに~」
ってさ~、もっと早くに言ってよーーーー・・・。

 アグスは国内外で高い評価を得ているアーティストだけれど、若い頃にミュージシャンになろうか、アーティストになろうか悩んだくらいのギターの腕前。好きが高じて、彼の家には彼のアトリエの他に、ミュージック・スタジオもあり、本格的に録音も出来る。私もここで酔っ払いながら録音をして1枚のCDにしたことがある。

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(バンドンのアーティストの友人が大事にしているギターと)

だから彼らが本気でパーティするって言うことは、サウンドシステムもかなり本気な準備をしていることになる。これに参加できないとは・・・。もっと早くに聞いてれば、バンドン行きはいくらでも変更できたのに~~~。本当に泣けそうに悔しいけれど、バンドンではすでに何人ものアーティストとアポイント入れちゃってるし、いまさらチケット変更するのも億劫。う~~~、今回はやむをえない、バンドンを取るしかない。

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 近頃のマイ・ブームはヨーヨーだけれど、私の昔からのブーム(ここまできたらもうブームというより日常なんだけど)はギター。中学校に入ってすぐにつくったバンドは女3人の「ういろうず」(私は生粋の名古屋人)。中学高校と女子高だったので、バンドやってて私のような風体だと男役のイメージがあるみたいで、バレンタインには後輩からかなりチョコレートをもらった。

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 芸大でつくったバンド「やきとりどうしよう」は同じ科の女5人。別にお笑いバンド目指してたわけじゃないけど、いい加減なバンド名。毎年の芸祭でR&Rをやっていた。今思えば、我々のバンドで盛り上がって踊ってくれてたのが、先輩の奈良美智さんや小林孝亘さんだったんだから、スゴイ。

 バリ時代には1人でボロロンするだけだった。そしてジョグジャに来てから今のバンマス、ティアスさんと知り合った。彼はジョグジャのインディーズ・バンドの中では伝説の人みたくなっている。今でもインディーズの若者たちからは兄貴として慕われている。確かに、彼のスライド・ギターは泣ける。

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 そしてそうそう、この人と伝説のバンドをしていたのが、この前バリでN翁の誕生会に来ていたアリフさん(『大成功のヨーヨー伝道と大歌謡会』4月8日付参照)なのだ。

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 本当はこの前のN翁の誕生会でぶっ通し弾き語りして以来、好きの虫が起きてきて、まだ歌いたいとうずうずしていたところ(あ~、今思えば、この右手首のけんしょう炎はヨーヨーだけじゃなくてギターもあるかも・・・)。バンドン行きがなかったら、明日の今頃はアグスの誕生会でまた歌いまくり弾きまくりだったのに・・・。けど、いかんいかん、まずは自分のやることしないと。
 ティタには私が来週明けに戻るまで、最上のワインは残しておくようにお願いした。バンドンから戻ったら、アグスのお誕生を祝いに、約1年ぶりに彼らの家を訪ねようと思う。

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ヨーヨーづくし

 中部ジャワ沖地震の被災地に、こどもプロジェクトが建てた第3こどもバンブー幼稚園。ここに日本から慰問団が来てくれたのが3月21日なので、私のヨーヨー・ブームもかれこれ1ヶ月になる。慰問に来てくれた一人は世界チャンピオンのタイトルを過去に2回も取り、日本人で初めてヨーヨーマスターの称号を得たというTAKAさん。彼の神業ヨーヨーを見、さらにヨーヨーをもらって直接指導してもらって以来、小学校時代のコカコーラヨーヨー・フィーバーを思い出していまだに毎日ヨーヨーを握る日々が続いている。

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 TAKAさんが店長している通販のサイトでマイ・ヨーヨーを購入したときに、師匠が一緒に送ってくれたのがこのFAST201。コカコーラヨーヨーと比べると全然重い。これがプロの重みというものなのか。キャッチしても痛い。サイトで調べてみたら
「FulluActiveStarburstTechnologyの頭文字をとってF.A.S.T.と呼ばれる新しいスターバーストの仕組みを使用して登場してきたヨーヨーファクトリーのスタンダード機種です。グラフィックデザインやヨーヨーのフィーリングが成熟しているのはプロヨーでおなじみだったYo-Hans氏がこのメーカーのオーナーだからです。ザンナビのスター形状と近い構造ですが、アクティブスターバーストの名の通り、スターを押し込むとへこむ動きをします。これにより独特の回転音が生じます。

ボディーが完全分解できるため、ウエイトを取り外したり、スターシステムを交換することができるようになっています。今後のラインナップとしてパーツ販売も予定されているため、カスタマイズの幅の広い機種としてお勧めです。アメリカのアリゾナの工場で作られているため精度は高いです」
理解のできないカタカナがいっぱい登場でまったく意味不明、でもスゴいヨーヨーだってことだけはわかる。

 気になってその他のヨーヨーもいろいろ見てみると、やっぱ奥が深い。(以下は師匠TAKAさんが店長しているスピンギアのサイトから了解を得て転載)
アクセサリー関係もやっぱりいろんなものが出ていた。
ヨーヨーを収納できるボックスとか、

box

case

 腰につけておけるこんなケースもある。これかなり気になる。
 七五三におもちゃの刀を差して行った私は、どうもこういう関係のモノにいまだに惹かれる。もっともっと上手くなったら、常にこんなケースでヨーヨーを携帯したいもんだ。左右につけて二刀流してみたい~

present

 中身がいったいどんなもんかはよくわからないけれど、こんなかわいいプレゼント・ボックスに収納されたヨーヨーもあった。BCチャンピオントップセット(スピントップ&ヨーヨー)ってものだけど、半分何が入ってるのか私にはわかっていない。けどかわいいから気になる。

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 さらに、遊びの道具としてではなく、木工作品としてかなりレベル高い、こんなのも見つけた。自分の好みで組み立てられるものらしいけれど、私の芸大時代の友達の中にもきっと欲しい人がいるだろうな~。寄木の一品はかなりそそられる。この域に来ると、たとえばギター好きが高じてギター作りの方へいっちゃう人とか、そんなのに近いんだろうなぁ。このトム・クーンのシリーズはいつか実物を触ってみたいと思ってしまった。

 このサイトを見ていて納得したけれど、ヨーヨーってのは「スキル・トーイ」と分類されるらしい。確かに遊び道具なのに、遊ぶ人のレベルで随分とイメージが違う道具ではある。この分類の中に、こんな懐かしいものまで発見!!! 

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 アメリカン・クラッカー!!! 
流行ったよなぁ~~~昔。で、たいていみんな持ってたような気がする。当然、私も持っていた。夕飯終わってみんなのテレビ鑑賞タイムにやっては母に
「やかましぃ!」
と叱られた。
 それがなんと、今日びは光るらしい。これ、田舎に行って夜にやったらかなりキレイだろうなー。

 いろいろ巡ってヨーヨーの奥深さを楽しんでいると、こんなヨーヨーを見つけた。

2005JN

 「JN」というのは、日本ヨーヨー連盟が開催する全日本大会のことで、フリースタイル競技で各地の予選本選を勝ち抜いた人たちがファイナルで一同に集まり、日本一を決めるというもの、らしい。私がこの連盟の存在を知ったのは、師匠TAKAさんのブログからで、ちょうど今年の大会のロゴ募集~ってお知らせがあったので、そのURLを覗いてみたのがきっかけ。

 私のヨーヨー熱絶好調のときだったので、このロゴ募集要項を見て、
「◆採用特典:採用者には、製作予定の限定系ヨーヨーのプレゼントを予定しております」
ここがムッチャ気になった。自分のデザインしたロゴ入りヨーヨーが欲しい~!と思って一晩で作ったロゴで応募したら、なんとこれが採用決定。やっぱり今はヨーヨー風がこっちに向かって吹いてるってことか。

JN

 連盟のサイトでも4月18日付でロゴ決定の告知が出てたので、私も今日ここで報告することにした。だからさっきのヨーヨー、「JN2005」のロゴ入り限定ヨーヨーを見たときにも、
「今度はここに私のロゴが入る」
と思ってウキウキ。
 5月12、13日が大会ってことは、その前にはオフィシャル・ヨーヨーが出来るってことだろうから、フィリピン行く前にはマイ・ヨーヨーwithマイ・デザインが手に入るかも・・・。今からかなり楽しみだ。

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印刷屋さんでヨーヨー対決

 フィリピンの国立美術館でキュレイターをしている友人パトリックと企てている展覧会は、インドネシアの若手作家の紹介。昨日はジョグジャの若手2人と会って作品を見せてもらった。よく展覧会のオープニングで顔を見る子たちだった。そのうちの1人がちょうど今、二人展をやっているというので、まずはそれを見に行くことにした。

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 会場はうちから近いKKFという、レストランと多目的ホール、展示スペースを備えた場所。レストランには私のお気に入り、テンペ(インドネシアの納豆)ステーキってメニューもある。私が行ってたジョグジャの芸大を卒業したばかりのWedhar Riyadiが同期の作家もう1人と開催していたのがこの展覧会。最近の若手作家はこういった手の作品傾向が多い。ミューラル(壁画)かTシャツデザイン。

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 でもこのWedharの方はいろんな技法を試したりしていて、私は個人的にわりと好きな作品をつくっている。昨日会ったときの第一印象は「ダサいヤツ」だったので作品と本人があまり結びつかない。日本のアニメなどの影響も多々ありそうな彼の作品の中で、『ゲゲゲの鬼太郎』が好きな私が惹かれたのは、でっかい目玉に乗った女の子。目の下のクマもいいし、頭で結んだリボンの真ん中には髑髏が座している。

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 パトリックへの報告も兼ねて会場撮影した後、ついついこのキャラのTシャツを購入~。若手アーティスト支援にもなるんだからいいさね。

 私は2003年から、ジョグジャカルタで『JOGJA SURIFNG』というジョグジャ周辺のガイドブックを発行している。なんとなく思いついて、アイデアをジョグジャの王様にプロポーザルで見せたら、是非作ってみて欲しいってことになったのがきっかけ。

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 山アリ谷アリの末、今はジョグジャカルタ市観光局がスポンサーとなり、印刷費だけはサポートしてくれている。後はまったく私の勝手。何を書こうがどこを紹介しようが、すべて自分の好きにしていられるので、2ヶ月に一度の趣味の雑誌って感じだ。
 ちなみに、観光局に頼まれて、過去からの内容をまとめたサイトもあり(www.jogjasurfing.com)。すべて1人で動かしているために、なかなか完璧にはいかないけれど、それなりの情報を掲載しているつもりなので、ジョグジャ観光など考えている人には見て欲しい。日本で出てるガイドブックよりはジョグジャについてのインフォが多いはず。

今日はこの『ジョグジャ・サーフィン』5~6月号の原稿を印刷屋に出してきた。
 ここが仕事場。いつも自分ちで版下を作り、最終稿を持って印刷屋に行く。ここのパソコンに入れてみて、日本語の文字がすべて表示されるか確認、色の出方のチェックなどなどをサラっとして引き渡す、というのが隔月の私の行事。

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(手前がいつも手伝ってくれるヨノさん。後ろの若い青年は印刷屋の若くして有能なスタッフ。私のフォトショップの先生でもある)

 ここのスタッフとは私がジョグジャに来たての頃からの付き合い。私が展覧会をやるときの案内状も、名刺も、日本へもっていった展覧会のカタログも、すべてここで印刷されている。まだまだ日本と比べたら低いレベルの印刷技術しかないインドネシアで、ここのスタッフは向上心のある人たちばかり。私が何冊も日本の雑誌などを見せたりして、かなりいいレベルの仕事ができるようになってきたので安心して任せられる。

 原稿を入れたところで、私が取り出したのは、もちろんヨーヨー。
 いきなり顔が子供に戻ってしまって、デスクを離れてヨーヨー振り回す印刷屋のナンバー1とナンバー2。ナンバー1のヨノさんがいうに、子供の時はヨーヨーが欲しかったら自分で木を彫って作ったものらしい。それも、丸い板と板を合わせるんじゃなくて、糸巻きのあの溝を彫ったっていうんだから気合が違う。

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 狭い印刷屋のオフィスではやりきれないと、外まで出ちゃったヨノさん。
 私もつられて外に出て、一緒になって汗かくまでヨーヨーを回した。いや~、にしても本当にヨーヨーは国境なしだなぁー・・・。今日の入稿でちょっと問題があったため、明日の朝にもちょっとこの印刷屋に寄ることになった。そしたらヨノさんからいきなり挑戦状。

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「ミドリ、このトリックは一回だけ回せたってダメなんだよ~・・・」
と彼が言うのは、私の師匠世界チャンピオンのTAKAさんに教わった世界一周(被災地訪問の時には「マタハリ(太陽)」と名づけて紹介してくれた)のトリック。
 これは大~~~きくヨーヨーを一周させて手元にシュルッと戻すというテクなんだけど(多分小学生レベル)、ヨノさんはこう言うのだ。
「これはさ~僕らが小さい頃は、5回回してもまだヨーヨーが戻ってきたら、スゲ~!!!って言われてたんだ」
とのこと。

 私が1回っきり回したって感動してくれんってことかい。なんだか宿題出された気分・・・
 明日の朝までにせめて3回回しくらいは成功させたい。ちょっと早起きして頑張ってみるか。

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フィリピン行き準備開始

考えてみたら、フィリピンへ発つ日まであと約1ヶ月に迫っていた。まだチケットは取っていないのだけれど、5月22日までにはケソン島北部のバギオに着いていたい。私のフィリピンで3度目になる個展は6月5日にバギオ市内のギャラリーVOCASで始まるのだ。今回は私がバギオの奥地に入り込み、村の人と接した結果そのものが作品となるので、今ジョグジャで準備するものはそれほどない。展覧会の2週間ほど前に現地入りすれば大丈夫だろう。その後は6月13日頃にバギオから首都マニラに移動し、今度はこっちでも展覧会の準備がある。

今回のフィリピン行き、私には3つのミッションがある。
メインである個展がまず1つ。同じくバギオで開催される『国際環境デー』のイベントの一つであるワークショップが2つめ。このワークショップはフィリピーノ&アメリカンの陶芸家レイ君、フィリピーノ&西洋(どこの国か忘れた)の竹ちゃん、インドネシア人のササン、そして私という4人の国籍もバラバラなアーティストのコラボレーション(詳細は4月5日付『キブガン村の修行系プロジェクト・イン・フィリピン』を参照されたし)。

ここまではバギオ、そして3つめはマニラでの企み。
もともとここまで私がフィリピンと縁が深くなったのも、もともとはマニラ・ミュージアムの学芸課長であるパトリックのおかげ。彼が2005年に助成金を得てタイとインドネシアのアート・シーン調査をしていたときにジョグジャで知り合って以来、なぜか気が合ってちょくちょくコンタクトをとっている。

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(これがパトリックの仕事場、マニラのナショナル・ミュージアム。考古学、人類学、植物学から古代の出土品、芸術作品と国立博物館の名にふさわしい収集品の質と量。彼は美術館の偉いさん)

 最初にフィリピンへ行こうと決めたのも、彼がフィリピンのアート・シーンについていろいろ話してくれたことに惹かれたからだった。当時彼はフィリピン唯一の国立大学UP(The University of the Philippines)の教授でもあったので、美術学部の他の教授を紹介してくれて、それがきっかけで去年はこの大学に招聘され、アーティスト・トークをしたり、一部の授業でワークショップしたり、ついでに個展したり・・・と展開することにもなったのだった。

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(パトリックのオフィス。な~~んにも置いてない広~~~い部屋に彼一人)

 そして今回の私の3つめのミッションは、このパトリックとの企てで、マニラの美術館でインドネシアの若手アーティストの展覧会をするというもの。場所は由緒正しいCCP(Culture Center of the Philippines)。この芸術の殿堂といわれるカルチャー・センターはあのイメルダ夫人が1969年にとてつもない費用をかけて建てたもの。

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 4階建てのモダンな建物の中には、かなりレベルの高いシアターや、小劇場、アジア諸国の伝統楽器を集めた小博物館の他に、大小いくつかの企画展示室(ギャラリー)も併設している。パトリックは以前からこのカルチャー・センターのギャラリーを使っていろんな展覧会をキュレーションしてきていたのだった。
 昨年の8月に私が個展を終え、インドネシアへ戻る前に彼と最後の食事をしたとき、我々は冗談半分で約束したのだった。
「パトリック、もしまた私が何かの縁でフィリピンに戻ってくることが出来たら、そのときにはインドネシア・アーティストの展覧会をやろう。パトリックの調査した成果にもなるんだし、私が来るときに作品も運んじゃえば大丈夫だからさ~」

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(パトリックとの企ての会場)

 こんなテキトーな約束だったのだけれど、運とは不思議なもので、今年になってまたフィリピンを訪れることになり、こりゃあの約束も果たしちゃおう!ってことで一気に盛り上がった。ここしばらくパトリックとはメールでコンタクトを取り合い、二人で相談した結果、展覧会で紹介する若手作家がだいぶ絞られてきた。となると、後は私が実際に作家に会って作品を見ながら、どの作家のどの作品をもっていくのかを決めていく段階になってきた。

 ジョグジャからだけではインドネシアのアートを紹介したことにはならないので、今週末にはバンドンへ行く。若手作家が活発に制作しているのはジョグジャ、バンドン、ジャカルタ。今回はパトリックのインドネシアでの調査結果から彼の意見を最大に生かして作家選考することにしたので、作家探しはこの二都市に限ることにした。

ticket

 今朝さっそくジョグジャのトゥグ駅に行ってチケット購入。バンドンってのは中途半端な位置にあって、ジョグジャ⇔バンドンの飛行機は週に2本ほどしかないし、バンドンは盆地で着陸でフラフラしてかなりビビるらしい。結局私はジョグジャ23:30発、バンドン翌07:33着の夜行電車に決めた。むこうからは20:00発でジョグジャに翌朝04:35着という、これまた夜行。金曜の夜行に乗り、日曜の夜行で帰るということになる。

 老体には夜行電車はけっこうツライけれど、久しぶりの電車の旅もまぁいいか・・・。これも楽しんじゃえばいいさな・・・。こうやってどこかに行くことが決まったとたん、すでにご当地の美味しいもののことばっかり考えてしまう。ダイエットはどうなることやら・・・。

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サラスワティ女神とライブハウス

 ジョグジャへ戻る飛行機は午前8時発。バリの我が家からデンパサールのングラ・ライ空港までが車でタラタラ1時間なので、午前5時半に起きて6時に家を出発。今日はヒンドゥー教のサラスワティ女神の日でフォギーは午前9時から学校なので、マデ兄貴について私を空港まで送ってくれることになった。
 水浴びするためにエリパニの部屋を出ると、まだ薄暗いテラスにムプ(マデ兄貴の妻)が座って、私に朝のコーヒーを入れてくれていた。私はいつもこのときが一番苦手。必ずムプが寂しそうな顔をして今度いつ戻るかと聞くからだ。こんなとき私は、いつも一時帰国を終えてインドネシアへ戻るとき、実家の母が私に向ける目を思い出して涙が出そうになる。

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「ミドリ、今日はサラスワティだから、これジョグジャに持っていくんだよ。あんたは勉強する道具がいっぱいあるんだから、コンピューターにも本棚にも供えなさい」
とヒンドゥーの小さな供え物を持たせてくれた。

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 家に戻ってもう一度水浴びしてさっぱりしたところで、今回のバリDEEPな旅で買ったトゥンガナン村のアタ・トレイに供え物(チャナン)を載せ、仕事部屋の本棚や勉強道具、ギターなどにお供えをした。

 ジョグジャには親しい友人のF君が来ていた。彼とは6年前、彼がジョグジャの大学に留学しているときに知り合った。その後わずか31歳にしてジャカルタへ移住して起業したため、今はなかなか会うことができない。それでも彼の家は私のジャカルタの定宿の一つでもあり、インターネットやPC係で困ったら彼のヘルプでたいてい解決するという、非常にありがたい友だ(私が舎弟だというと怒る)。
 今日のランチは以前から私が彼に話していた、新しい中華料理の店でとることにした。ついでに私はジョグジャで発行している日本語ガイドブック『JOGJA SURFING』の取材も兼ねて、料理を撮影。このロミー・スペシャルは太い卵麺にシーフードふんだんの、かなり当たりな一品だった。ちなみに、お値段は17900ルピア(約230円)。

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 この中華料理屋が入っているのはジョグジャで最大のショッピング・モールの最上階。ここから降りてみたら、1階でなにやらイベントをやっている。

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 見慣れたバントゥールの被災地の写真があるので、引き寄せられるように行ってみると、インドネシア赤十字のイベントだった。我らが「こどもプロジェクト」が作成して被災地の子供に配布したような「地震読本」の大人用、地震に耐えられる家屋の構造説明などを記した本の無料配布をしながら、赤十字の活動を報告するものらしい。

 展示写真を見ていると、特設ステージから音楽が聴こえてきた。なにかと思ってのぞいたら、私の大好きなジョグジャの舞踏家ニニトウォさんの姿が! 彼は海外の舞踊にも詳しく、日本はもちろんいろんな国の伝統舞踊を自分のものにして踊れるインドネシアのカリスマ・ダンサー。彼の踊りはすでに性の区別も超えたところにある。

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 実は彼も中部ジャワ沖地震では救援活動に関わったようで、踊りの後にステージでいろんな体験談をしてくれた。いやぁ、それにしても偶然このタイミングで彼の踊りを生で見ることができてラッキー。

 久しぶりのジョグジャなので、今日はF君の行きたいところへ行き、食べたいものを食べようってことになっていた。彼の希望で、夕飯は私が行ってた芸大近くの店へ。ここは私が学生時代に入って何気なく食べたムナド(スラウェシ北部の街)料理があまりに美味しくて感動した店。F君は今までそれを食べていなかったのだ。
 この店のオーナーはちょっとオカマ系の男性がやっている。彼のセンスがとってもよくて、メニューはどれもかなりのレベルで美味い。店のデコレーションも品があっていい。かなり辛くて酸っぱいムナドのチキンスープと、フライドバナナのデザートまでつけて大満足した後、さらに店をハシゴ。

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 私は前出のガイドブック発行のために、常にジョグジャの新しいスポットをチェックしている。随分前から気になっていて、なかなか行けずにいた場所があったので、F君がいるこの機会に行ってみようということに。このカフェ(日本でいうところのライブハウス)はオープンして2年にもなっていた。普段は昼間にしか通らない道なので、まだオープンしてないと思ったまま2年も経ってたことになる。入るといきなり
「ミドリセンセイ~」
と駆け寄ってくる娘が一人。

 実は3年ほど前にバイトで、短期大学で日本語を教えていた。そのときの教え子が私と、私の前にバイトしていたF君を覚えていたのだった。当時は1クラス30人くらいを3クラスもみてたので、学生の顔も覚えていられなかったけれど、むこうはこうやってちゃ~んと覚えててくれるんだな~~~。かわいいなぁ~、生徒。ホロ酔いなところで記念撮影してみた。

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 私の小ビールとF君の大ビールは、結局この生徒がおごってくれる形になってしまった。こんなちっちゃな娘に申し訳ないんだけれど、どうしようもないので、また今度たくさん知り合い連れて行ってみるか・・・。バリから戻った最初の日は、いつも一人ぼっちになっちゃった気分で小寂しくなるんだけど、今日はF君のおかげで夜まで楽しい1日になった。

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できた娘婿と最後のヨーヨー伝道

 私にはバリの娘がいる。なぜそこまでこの子がかわいいかは『なぜ私はバリに娘をもっているのか』(2006年10月3日付)、そして結婚した彼女の話『新郎との約束』(2006年10月4日付)を参照されたい。
 さてこの娘のエリパニ、今日も朝から実家にやってきた。来るなりニヤニヤ私を見ている。そして本物の母親ムプに内緒話をして、二人して私を見て笑っている。
「何~、なになに~~~???」
と聞くと、私に渡してくれた包み。
 中を開けるとなんとっ!!!

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二つのヨーヨーが出てくるではないか!

 今回私がバリへ戻るなり、みんなにヨーヨー技を見せているのをエリパニが見て、ダンナに話したらしい。そしたらこのダンナの姉の嫁ぎ先がおもちゃ屋さんをしてて、だったらミドリにインドネシアのヨーヨーをあげたら喜ぶだろう・・・ってことになったらしい。
 ところが探してみたら、実はバリの子供の間でのヨーヨー・ブームは2年前に過ぎていて、なかなか見つからず、私がジョグジャへ戻る前になんとしてでも見つけようと、ダンナが一生懸命にわざわざ街まででかけて探して来てくれたシロモノ。
 インドネシア製ではなくて中国製のこの二つはどっちも光る。私が世界チャンピオンTAKAさんからもらったものも光るけど、コイツもなかなかやる。さらに夜行性ゴム輪っかが付属でついてる凝ったもの。

 いやぁ~~~、マイ・ヨーヨーが増えるのはもちろん嬉しいけれど、このダンナの気持ちが嬉しいじゃないか。考えてみたら、本来は私とはなんの関わりもないのに、まるで実の義母にたいするみたいに気をつかってくれる。きっとこれも、エリパニがそうやってダンナに話しているからこそなんだろうけれど。
「うちの娘もホントにええ所に嫁に行ったもんだわぁ~~~」
としみじみ思う(けしてヨーヨーもらったから言ってるんじゃない)。

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 私のマイ・ヨーヨーの多さを見て羨ましがってるエリパニの弟のフォギーに、今日もらったヨーヨーの一つをあげた。そしてTAKAさんから教えてもらったヨーヨー・ポーズで記念写真~。ついに今回はフォギーを抜くことはできなかった。ってか、彼は私がもっていった師匠指導のコカコーラ・ヨーヨー読本を見ながら、すでに難易度5の技に入ろうとしているんだからかなわない。
 しかし今は私には別の夢が出来た。フォギーをインドネシア初のヨーヨー世界チャンピオンにする~っ!こうなったらフォギーの教育ママになって、TAKAさんにバリへ来てもらって、ヨーヨー英才教育か・・・。

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 バリへ戻ったら最後の夜はN翁宅でしみじみするのも恒例行事。今夜のメンバーはホストのN翁はじめ在住組のSさんとTさん、そしてバリ舞踊家のTちゃん。マイ・ヨーヨーも今ではこれだけの人数に貸せるだけになっているのでみなさん子供の顔に戻ってクルクルを始めた。
 師匠に見せたらきっと笑われるくらいに今回の伝道でヨーヨーを使い込んだので、すでにこの時には糸が悲惨な状態になっていた。さらにいただいたヨーヨーの一つはご臨終近いところまできていた。

 舞い男Tちゃんは、最初普通に振り下ろすことも上手くできなかったのに、真剣にやってると思ったら、しばらくしたらさすが踊り子、ヨーヨーを振る手先がなかなか美しくなっていた。Tさんはギブアップ気味。でもけっこう楽しそう。

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 誕生会のときにすでに一緒に遊んだN翁とSさん。Sさんはあの後どこで練習したのか、姿がキマってきてたので、なんとしてもマイ・ヨーヨーを持ってもらわねば。確実に一人はバリのヨーヨー仲間を得た手ごたえアリ。N翁は見てのとおり半分ヤル気なし状態。でも人がやるのを見るのは楽しそう。次回のバリでもN翁をアッといわせる技を見につけておかねば・・・。

 明日の朝は飛行機が早いので、早々に翁宅を引き上げた。マデ兄貴の家でも、最後の夜となると、兄貴の妻のムプが私と気がすむまでお喋りしたがるのだ。エリパニのダンナも私に挨拶するために兄貴の家まで来てくれたそうだけれど、翁宅を出るのが遅かったために会うことができなかった。

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 まだチンチンを磨くムプと、チンチン彫りで疲れたマデ兄貴、新しいヨーヨーをGETして嬉しいフォギーとで最後の夜のひとときをすごす。さっきN翁宅で使い過ぎて壊れたヨーヨーをフォギーがメンテナンスしてくれる。

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そうそう、まずは道具を大切にするところからだよねー。にしても、今回は本当にヨーヨー大活躍。フォギーとの共通の楽しみができたのも嬉しい。夜が更けるまでバリの家族と団欒して、私は床に入った。

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家はオチンチンの山

 愛知県犬山市に野外民族博物館リトルワールドがある。私は芸大時代に学芸員の資格を取ったのだけれど、そのときに必須だった「博物館実習」の単位はここリトルワールドで取った。バリにいる頃からだからかれこれ10年近くなるだろうか、リトルワールドの野外展示の一つ「バリ島貴族の家」のコーディネートの仕事を1年に一度させてもらっている。 
 バリ島の家屋はヒンドゥー教の儀礼があると、金色の装飾模様をあしらった飾り布で飾る。リトルワールドでは一年中野外展示なので、日差しや雨風ですぐに布が傷む。だから私が1年に一度バリの工房で新しいものを発注して日本へ送っているのだ。毎年夏休みの取替えの時期に合わせて飾り布をオーダーしている。今回はその発注時期に合わせてバリに来たのだった。

 私の家族がいるUBUDから工房のあるデンパサールまではバイクで約45分。今日はマデ兄貴に乗せてもらって朝一番で出かけた。日中では暑くてたまらない。毎年のことなのでオーダーはスムーズ。布の色合わせや、モチーフになるヒンドゥーの神さんを去年とは違うものに変更し、仕事を済ませてすぐに帰宅。

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(今月末には初出産予定の私の娘エリパニがニッコリ笑ってケーキをもつ図)

今日は娘エリパニ(正確にはマデサナ兄貴の娘だけれど、幼稚園の時からずっと一緒に暮らしてたようなものなので、我が娘くらいかわいい)の誕生日なのだ。といっても西暦の誕生日ではない。
  バリでは210日で1年になるサカ暦というものを使っている。寺院祭やついこの前あったバリ・ヒンドゥーの新年ニュピはこのサカ暦で数えるから210日毎に記念日がやってくることになる。これで年齢まで計算されたら、私なんかもう60歳くらいになっちゃってるかもしれない。

エリパニのリクエストで誕生日祝いはケーキにした。せっかくなら街に出たついでにちょっと美味しいケーキを買ってやろうと、仕事の帰りにスポンジ・ケーキとブラウニーを購入。家に戻ってから近所のスーパーでアイスクリームを買い、トッピング。こっちの誕生ケーキはクリームがまずいし、見るからに食紅使ってて気持ち悪い。そんなんよりはアイスをのせたほうがずっと美味しい。

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最初にこのケーキを口にしたのはわがバリ人家族の家長である父ちゃん。歯の抜けた父ちゃんでもアイス付きケーキは食べられる。美味い~と喜ぶ図。

そうそう、我が家というのは日本から比べたら大家族で、この歯のない父ちゃんを家長として、同じ敷地内に長男夫婦とその長男(23歳)、次男夫婦(これがマデ兄貴)とその長男(ヨーヨーの上手いフォギーは中学1年生。今日誕生日のエリパニはここの夫婦の長女だけど去年の10月に嫁いだ)、三男夫婦とその長男(5歳)、そして四男夫婦とその娘二人(4歳と1歳)。計13人が一緒に暮らしている。

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私はこの家に戻ったら次男であるマデ夫婦の家のエリパニの部屋を使うのだけれど、ちっちゃな子供たちは私がいるとアイスクリームを買ってもらえるので、
「日本のママが来た~!!!」
と盛り上がって私の部屋までやってくる。もちろん、今日のエリパニの誕生ケーキだって、みんながしっかり分け前をGET。

 ところで。
 今このマデ兄貴の家は、オチンチンが山になっている。我が家では次男と三男が木彫り師。マデ兄貴は人がよすぎてあまり商売上手とはいえないけれど、嫁さんのムプがとっても商売上手で、家計も切り盛りしている。今回木彫りのオチンチンに栓抜きのついたもの3000個のオーダーが入ったために、家族中でオチンチン・ビジネスに忙しい。

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父ちゃんが彫ったオチンチンに栓抜きを挿すための穴をドリルで開け、

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嫁のムプが栓抜きを差しこみ、その穴をおがくずで埋め、

それを娘のエリパニが磨き、数を数えて100個ずつ袋につめる。

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 これが栓抜きをつける前のオチンチン。そしてオチンチンにはなぜかクライアントの要望で、チョコレート色のワックスを塗ったものと、木の白地をそのまま生かして透明のワックスを塗ったもの。そしてオチンチンのみのものと、玉付きのものとがある。

 ここまで大量にオチンチンが山積みされていると、その景色はなんとも壮観。
 にしても、こんなオチンチン栓抜きを3000個も注文する人の気持ちが知れん。だいたいデザイン的にも、立てて置くことができないので、寝させておくことになる。洒落でもつには今ひとつパンチが足りないし、かといって真面目にもってもらってもちょっと困るシロモノ。いったいどんな国へ送られ、どんな人が使うのだろうか・・・と想像しているとキリがない。

 さっき挙げた本当の家族メンバーに加え、この家には何人かの遠い親戚が便乗して暮らしていたりする。中の一人は田舎から出てきてUBUDの中学校にいってる女の子なんだけど、こんな年端もいかない娘が、オチンチンを握って一生懸命ブラシで磨いている姿を見ると、なんとも奇妙。彼女にとってこのオチンチンはいったいなんなんだろう?彼女はいったい、何を思って今日もこのオチンチンを磨いているのだろう?と一人でいろいろ考えてしまう。

 N翁とのDEEPな旅行でマデ兄貴を二日間も使ってしまったので、ムプはまだオチンチン3000個達成できずに今日も忙しかった。私も責任を感じて、夜からはオチンチン・ビジネスのお手伝いにいそしんだ。

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