Archive for March, 2007

フィリピン・バギオでの猿の森プロジェクト

 昨年8月フィリピン大学美術学部に招聘され、大学でアーティスト・トークを、GREEN PAPAYAというギャラリーで個展をした。大学でのスケジュールの空きをみて、バギオを訪ねたときに知り合ったのがキドラ親子。キドラ・タシミッ(Kidlat Tasimik)は山形ドキュメンタリー映画祭でずいぶん昔から高い評価を得ている映像作家。三人の息子は全員美術関係に進んでいる。お母さんはバギオ市で最初の女性市長となった人で、キドラ自身は海外で教育を受け(確か法律関係を学んだと聞いた)、ドイツ女性と結婚している。よそから来た男性がフィリピーノを嫁にするパターンが大半な中で、この逆カップルは珍しいらしい。
 いきさつを話していると長くなるのではしょるけど、このときに出会ったバギオの皆さんとの縁が今まで続き、今年6月にバギオで開催される「世界環境デー」というでっかいイベントの中で、私の個展と、バギオのアーティストたちとのワークショップが実現することになったのだった。

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(バギオで出会ったキドラとマリコさん。キドラの運営する店VOCASにて)

 今回のバギオで私の関わるイベントは2つ。
 一つは昨年の個展のファイナル。1,080体のヒト型オブジェをすべてフィリピンの人々と交換しつくす。そして1,080個の交換物をバギオの会場で展示する。去年の個展では、街中にある小洒落た画廊スペースに来てくれたお客さんとの交換だったけれど、今度は違う。私が村にヒトを担いでもって入り、農家の爺ちゃん婆ちゃんに交換をお願いするのだ。

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(昨年の個展の様子。Green Papayaにて)

 そして、そのプロジェクトの様子をドキュメントしてくれるのが、キドラ親父。私はまだ彼の作品を見たことがないのだけれど、知ってる人の話によれば、とても温かみのある人間臭いドキュメントを撮る人らしい。私が今回のプロジェクトの内容を伝えたら、彼は快く撮影を引き受けてくれた。だから彼には、私がなぜこの交換をしたいのかという裏の話ももっとしっかり説明しようと思う。日本軍がフィリピンでやらかした「デス・マーチ」のことを・・・。

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(交換したものは私が準備した8センチ四方の座布団に載せて展示される)

 そしてもう一つは、三人のアーティストとのコラボレーション。
 今回の「世界環境デー」を主催するのは、バギオ市にあるコーディリエラ・グリーン・ネットワーク(環境NGO)、その代表がバギオでミュージシャンのアーネル・バナサン(CDは日本でも出ている)と結婚をして暮らしている日本人女性マリコさん。去年のバギオ訪問の際に彼女と知り合い、いつか一緒にバギオで何かやらかそう!と企んでいたところ、思ったよりも早くこんなチャンスが来たというわけだ。

 最初に私が思い浮かべたのが竹ちゃん。本名はカワヤン、キドラ親父の次男だ。昨年バギオを訪ねたとき、キドラの息子の中では一番私が親しくしていた青年。キドラは日本通なので、日本の竹寺にちなみ、自分の息子に「竹」を意味する「カワヤン」とつけたという。だから日本語で「竹ちゃん」と呼ぶとけっこう喜ぶ。

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(昨年竹ちゃんのスタジオを訪ねたときの写真)

 マリコさんの提案で、せっかくならバギオ市から山岳地帯に入り込もうということになり、そしたらキブガン村にアメリカ人の陶芸作家レイ君がいるから、彼も巻き込もう・・・と話は進み、さらに
「せっかく緑さんはインドネシアから来るんだし、インドネシアのアーティストも誘ったら?」
ってところまで進み、そこへ運良くマリコさんと作ったプロポーザルが認められて日本の財団から助成もついたので、予算的にもここまでの夢が実現することになった。
 レイ君というのは、アメリカ人のお母さん、フィリピーノのお父さんをもつ。バギオから車で3時間ほど奥へ入ったキブガンという村で焼き物をしているそうだ。私は去年の訪問で彼に会うことはできなかったのだけれど、マリコさんのコーディネートで彼とは今、チャットしながら企画を相談している。

 キブガンといってもなかなか日本語のガイドブックには掲載がないのだが、ルソン島北部の山岳地帯の中でも特に美しい景色が有名で、「フィリピンのスイス」と言われているらしい。さらに昨晩わかったのだが、キブガンとは現地の言葉で「猿」の意味! 昔は猿がたくさん棲む深い森があったのだそうだ。今も猿の顔をした岩のある山がそびえていて、キブガンの象徴となっているという。あ~~~。これはやっぱり縁だ。
 主催のマリコさんからの提案もあり、レイ君とのワークショップでは「猿のすむ森 ~Have you seen monkeys in the forest?~」ってテーマで村の子供たちと一緒に猿面を作ることに決定。

 今回は展示会場も魅力的。キドラ親父はバギオではクレイジーで通っていて、本当にかなりクレイジーな空間を運営している。VOCASという名のその店はバギオの中心セッションロードにあり、ビルの最上階であるにもかかわらず、中には水車が回り、酔っ払った息子たちは火を焚いて踊る。彼が尊敬する黒澤明の『夢』の1シーンを彷彿させる装置から、ジョニーディップが出てきそうな『カリブの海賊』チックな一角があったり、三次元空間が四次元にも五次元にもなっちゃったような異質な、けれどなぜか居心地のいい空間。

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 普段はここで展覧会、コンサート、パフォーマンスなども開催されていて、私が初めてバギオを訪れた去年8月には、ここで私のアーティスト・トークも行われた。突然のアイデアでそうなったというのに、50人近くのアーティストがさっと集まったのを見て、キドラと息子竹ちゃんの人脈がいかなるものかがよくわかったもんだ。
 
 しかし、ADSL効果はすごい。これのおかげで今ではボイスチャットも可能になった。フィリピンの田舎に住んでる彼らと、リアルタイムで打ち合わせできちゃうのは本当にありがたい。「世界環境デー」は今年、6月5日にルソン島バギオ市で始まる。

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ジャワ中部沖地震の置き土産

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 インドネシアの有名紙「コンパス」の今日付新聞に、昨年5月27日に起きたジョグジャカルタの大地震がもたらした現象の話が掲載されていた。激災地となったのは、バントゥル県、私が住んでいるジョグジャカルタ市からパラントゥリティス海岸の方へ南下したエリア。こどもプロジェクトで建てた3つの幼稚園も、このエリアにある。

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 で、いったいどんな現象が起きているかというと、一つは「娘をとっとと嫁に出す」現象。つまりは口減らし。すでにデータとしても明らかで、20歳未満で最初の子をはらんだケースは2005年の567人から19%増え、06年には675人になっている。
 そしてもう一つの現象は「妊婦増加」。バントゥル県の妊産婦は、年平均が6,600人だったのに、2006年は13,000人とほぼ倍増。
 新聞では、「避妊具が入手できなかったり、ほかに娯楽がないのが理由か。今後、妊婦、乳幼児のケアが深刻な問題」と言っている。口減らしする気があるのに、子供増やしてるっていうのもなんだか矛盾だと思うんだけど・・・。

 話は変わり、先週の被災地の子供慰問団ご一行様にかわり、昨日からジョグジャに来たのは、ある出版社の編集者。最近ではよく本屋で見かける「旅の会話集」とか「指さしコミュニケーション」みたいなシリーズを、アジア諸国からシリーズ化している出版社で、そのインドネシア版の翻訳とコラム執筆に私が当たった。
 翻訳ったって、「わたしはXXから来ました」とか「これはいくらですか」のレベルだから、美大あがりの私でも全然問題ない。この編集者は、インドネシアに詳しくて、DEEPネタをもってそうな人間をネットで探していて、私がジョグジャで発行している日本語情報誌『Jogja Surfing』に関する書き込みなどから最終的に私にたどり着いたらしい。

 ジョグジャ地震のとき、ネットとミクシィから500人近い方が義捐金を送ってくださり、ネットの世界の速度と広さにびっくりしたけれど、今じゃ本当にどこでどうやって人との縁ができるか、わからないもんだなぁ~と今回も感じた。

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 ここ最近、翻訳の仕事が続いた。この話の前から手をつけ始めたのは、今度バリにやってくる高野山の僧侶に関する翻訳。密教真言宗のお坊さんたちが御詠歌と和讃を詠いにバリにやってくるらしく、そこまでのいきさつなどを坊さんのリーダーが書いたもの、それから密教の袈裟や法具についての解説、この2本を訳すことになった。

mandala

 最初に日本語で原稿をもらったときには、日本語の意味すらもわからないくらい専門用語だらけで参ったけれど、偶然にも私はこの前までに仏像に関する本を2冊読んでいたので、曼陀羅についても、仏が手にもつ宝物についても、むちゃくちゃ馴染みのないことには思えなかったので幸いだった。
 さらに、密教となるとヒンドゥー教の神々をたくさん取り入れている。10年間バリで暮らしていたときには、大尊敬するヒンドゥーの高僧んちへ行っては、サンスクリット語やバリ文字の勉強したりしていた私にとっては、密教の神さんたちは結構親しみがある。ヒンドゥーではXX神さんだね~ってことがわかるから、トランプの神経衰弱してるみたいな感じでおもしろい。

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 ちなみに、この御詠歌はバリのガムラン音楽とコラボレーションするという話になってるらしい。密教だからこそヒンドゥー教とのコラボもアリってことなんだろうなぁ。煌びやかな法具や袈裟が見られるから、予定があったら私もバリまで行ってこの御詠歌をその場で見てみたいと思っている。あと、密教ならではの護摩供もやっちゃうらしいし。
 興味のある方もおられるだろうから、詳細わかったらこのブログでもお知らせしようと思う。

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30年ぶりのヨーヨー・フィーバー

 ここ数日かなりヤバいことになっている。
 18~23日の予定でジョグジャの被災地を訪ねてくださった日本の慰問団の話はすでに報告したけれど、それで見たヨーヨー世界チャンピオンの妙技に触発され、過去のマイブームが蘇ってしまった。もしもここまでだったら、
「あ~、懐かしい~。またヨーヨーやりたいなぁ~~」
で終わったのだけれど、この日本初のヨーヨーマスターTAKAさんから、ヨーヨーをプレゼントされちゃったもんだから、毎日やっちゃう。パソコン仕事して休憩にヨーヨー、絵の具の乾くの待ってヨーヨー、お風呂のお湯入れたらヨーヨー、ご飯のスイッチ入れたらまずヨーヨー。ついに今日は紐が絡まりすぎて、使えなくなってしまった。

 やっているうちに、どんどん30年ちかく前の記憶が蘇ってきた。コカコーラヨーヨーは自分で欲しくて買ってもらったこと。学校で競い合った中には、一人として女友達はいなかったこと。武器を持ったみたいで嬉しくて仕方なかったこと・・・(私は七五三の宮参りにも、「着物を着たなら刀をつけなきゃ『赤影』にはならん!」と我儘を言い、おもちゃの刀をさしてお宮に行ってた子供だった)。
 今回TAKAさんにもらったヨーヨーが透明なプラスチックに赤いロゴと、30年前を彷彿させるデザインだったことも、私のヨーヨー・フィーバーに火をつけたのかもしれない。

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 ネットで調べてみたら、このTAKAさんの世界1の技がYouTubeでも見れるもんだから、夜中まで見入ってしまった。がしかし、彼の技はもう、ヨーヨーじゃないわ。アクロバットというか、独楽というか、とにかく私が狙えるレベルじゃないことは確か。いいの、いいの、私は過去のマイブームに浸りながら、あの頃できなかった技がちょっと出来るようになればまずはイイ。

 宣伝するつもりはまったくないのだけれど、このTAKAさんが店長しているネットショップがあるので、そこでいろんなヨーヨーをチェックしてみた。私のような素人には、説明書きのいってることすらわからないので、どうしてもデザインから入ってしまう。そしたらまた、私のそそられる「オシャル(猿)系」がたくさんあって、ますますヤバいことになってきた。

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 今度日本に帰ったときに、今まで教わった初級技をTAKA師匠に見てもらい、OKが出たらステップアップで買おうと決めたのがこのモデル。フォルムもちょっと「通」な感じがしてカッコいくない?私は猿さえいてくれたらそれでいいのだ・・・。色違いも何種かあるけど、私のお気に入りは黄色のコレ(写真上)。6月の帰国までちゃんと残ってたらいいんだけどなぁ・・・

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 初心者でもOKなものの中にもシンプルでクールなオシャルのヨーヨー発見。これもなかか気になったが、残念なことに今は品切れだった。

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 さらに気になるのがこのシリーズ。いったい、このフィギュアは何なんだ?
 まだTAKAさんに聞いてないけど、これって多分「握り」部分ってことなんだろうな~。ここに猿を発見!これもかな~~~り気になる。猿を握ってヨーヨーなんて、私にとっては至福の世界。

 ヨーヨー本体の話は置いといて、私自身がどこまで出来るようになったかというと、「(犬の)散歩」「戻ってこいよ(犬)」「アラウンド・ザ・ワールド」に「ゆりかご」まで。まだあと数種類TAKA師匠から教わった技があるのだけれど、完璧にできてないので数には入れてない。おそらく小学生のガキの初級と同じレベル。

がしかし。ヨーヨー、あなどるべからず。
 ハマり出すとなかなか奥深い。特に日本は「あやとり」文化も持ってるから、どうやらこれをヨーヨー技とミックスさせたものも多いらしい。私はそっち系の「手芸技」よりも、スピードやバランス重視の技に興味があるけど。そっちに行くにはまだまだ修行が足りないってことだろう。あるかどうかは知らないけれど、もしも中年オバちゃんのヨーヨー大会でもTAKAさんが主催してくれた日には、参加してみたいもんだ。

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※今日の写真はすべて師匠、ヨーヨーマスターTAKAが店長をしている「ヨーヨーショップ・スピンギア」のサイト(http://www.rakuten.ne.jp/gold/yo-yo/)から転載させていただいた。

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西スマトラ地震レポートby東

今月6日午前10時49分、スマトラ島中西部パダンの近郊でマグニチュード6・3の地震が起き、80人以上が死亡している。負傷者は数百人にも達している。約2時間後にもほぼ同じ大きさ(M6.0 )の地震があった。震源地は西スマトラ州の州都パダンの北東約50キロの地点で、震源の深さは約30キロ。夜にはパダン近郊のタラン山の火山活動が活発化したために、火口から3キロ以内に近づかないよう勧告も出された。

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 去年5月27日にジョグジャを大地震が襲い、ひょんなことからこの私が救援活動を始めることになったとき、半年にも及ぶ活動を一緒に支えてくれたのがチャハヨだった。長身で東幹久に似ているので、ブログでは私がいつも「東(あずま)」と呼んでいたのが彼。

(写真:ジョグジャでの救援活動、「こどもプロジェクト」の解散パーティで)

 先日、国際交流基金慰問団がジョグジャを訪問、4つの学校で慰問公演をすることになったときも、東は一緒に関わった第3バンブー幼稚園での公演を見るのを楽しみにしていたのだけれど、前日まで中部ジャワの田舎で仕事があり、結局は幼稚園に来ることができなかった。
 そしたら昨日、なんとパダンからメールが届いた。彼は私のブログに訪れる方に、「こどもプロジェクト」メンバーも多く含まれていることを知っているので、今度のスマトラ地震についても、自分がその目で見てきたことを、読者に知らせたいらしい。せっかくなので、彼のメールの内容を直訳してここにお伝えする。

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「ハロー、ミドリ。
この前は幼稚園の公演に行けなくてごめん。結局撮影が伸びちゃったから朝までかかったんだ。
イベントはどうだった?うまくいったんだろうね。
僕は今、パダンからメダンに寄って、ネットカフェからメールしてるんだ。

先週の木曜(22日)にメダンから西スマトラに向かったんだよ。一番の目的はバトゥサンカールのバティプへ行くためだったんだ。ここが今回の地震の激災地なんだ。ここでは、今もまだ頻繁に大きな余震が続いていて、非難した住民たちも家には戻れずにいたよ。自分たちで、家よりも緊急テントを選んでいるんだ。メールと一緒に、僕の友達のボランティアが現場で撮影した何枚かの写真を送るよ。救援物資が少しずつ届けられているよ、食料や医療品がね。

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でも、今もいくつかの村が、アクセスするにも道路がふさがれていて、トランスポートが大変らしい。こんな状況を見ていると、僕らがバントゥル(こどもプロジェクトで活動したジャワ地震の時の激災地)で活動してたときのことを思い出すよ。本当に、非難生活は大変だったもんね。まったく、すべてが大変だよ・・・。このくらいしか今は書けないけれど、ミドリのブログででも話しておいてくれよ。ジョグジャに戻ったらまた会おう。
チャハヨ」

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 去年起きたジャワ中部地震は、ジョグジャカルタという教育都市、そして世界的にも有名な観光地を襲った天災として、国内外で長い間ニュースになったけれど、今回の西スマトラ地震は国内のニュースでもあまり報道がされない。ジョグジャではこの翌日にGARUDA国内線が空港で着陸失敗して死者を出したから、完璧にこっちに人の意識が向いちゃった感あるし。

 事情を知ってる方々にはよくわかってると思うけれど、別に私は地震とあったら救援にかけつける「救援ボランティア」でもないし、幼稚園を建てるのが好きな「教育NGO」してるわけでもない。この前はたまたま住んでる場所が被災して、心配してくれる知人がたくさんいたから活動が起きただけのこと。
 だから東のように、ボランティア・ネットワークでどこにでも飛んでいくことはできないけれど、少なくとも「インドネシア」というキーワードで私のブログまで達した方のために、入った情報があればこの場で公開したいと思う。それが東の希望でもあるし。

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 今日は地震ネタになったので、ここジョグジャの被災地の近況も少しお話しておこう。相変わらず完全な復興、復建からはほど遠いけれど、さすがにテントの数も減った。政府が出すと約束した再建費用は、1世帯1,500万ルピアと決められ、それを小出しにもらうことになっている。村によってはすでに半額くらい受け取ってたりもしているけれど、ともかくまだ全額は再建費用を受け取る対象者に渡っていない。

 大体、3年前のアチェ津波の復興がまだなんだから、ここだっていつまでかかることやら・・・。今回の慰問団ご一行様、独楽のおっちゃんから預かった子供用の独楽を近々バンブー幼稚園へ届けないといけないので、その時には久しぶりにタンキルの村長さんちにも寄って、被災地の最新事情を仕入れてこようと思う。おいしい奥さんの手料理いただきながら。

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慰問団から学んだこと

 国際交流基金の事業として、2006年5月27日のジャワ中部沖地震被災地の子供たちのために慰問に来てくれたパフォーマーのご一行様は、18日にジョグジャ入りし、19日現地下見(この日は別事業として映画『スウィング・ガールズ』を2箇所で上映)、20日と21日でこどもプロジェクトの第3バンブー幼稚園(2006年11月22日記事参照)を含む4つの学校で公演とワークショップをし、今日23日ジョグジャカルタ→ジャカルタ経由で日本に向けて出発した。
  今回の慰問団ご一行様は4人。手品師MAX渡辺、日本独楽博物館のこまのおっちゃん&おばちゃん(藤田夫妻)、そして日本初のヨーヨーマスター長谷川さん(ヨーヨーマスターTAKA)。皆様海外での公演を過去にたくさんこなしてきた人たち。確かに、どの芸も言葉がなくとも通じる芸だ。

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(ご一行様の最年長、75歳の手品師MAX渡辺)

 21日付『スケバン刑事の先生、ジャワ地震被災地を訪問』でも報告したので、バンブー幼稚園での話はおいといて、今回数日彼らと行動を共にしてわかった日本の芸能の素晴らしさをちょっと話しておきたい。

 まずはなんといっても「独楽のおっちゃん&おばちゃん」。同じ趣味と芸をもって海外を回れるなんて、ステキな夫婦だなぁ~とフツーに感動した後、おっちゃんのガレた声と芸風のファンになった私。「イイ意味で」猿を彷彿させるおっちゃんの顔と声と動作は、文化も言葉も違うインドネシアの子供にもかなりウケていた。衣装は『必殺仕事人』のヒデさん(当時私が大好きだった三田村国彦が演ってたカンザシ屋)みたいな井出達。そしておばちゃんもいかにも「南京玉簾」やります風の衣装。顔から体形からすべてがバッチリ。

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(2つの玉すだれで家を作るおばちゃん)

 今回は舞台も、フツーの時も、彼らと一緒にいたのでよ~くわかったけれど、おっちゃんの独楽に対する真剣で真面目な情熱が常に感じられて、私一人で感動していた。どこの国に行っても、とにかくその国の独楽や遊び道具を探そうと一生懸命なおっちゃん。今回は自由時間もほとんどなかったので、結局本当のインドネシア伝統遊具は見つけることができなかったけれど、いつか私がふらふらインドネシアの田舎へでも遊びに行ったときに、おっちゃんの喜ぶような昔ながらの独楽が見つかったらいいなぁ・・・。

 そして今回私がハマってしまったのはヨーヨー。今日は運転するときにハンドルもっても右手の平、中指の付け根のぷくっと盛り上がった部分が痛くて仕方なかった。これは勢いつけて投げたヨーヨーが戻ってくるのをキャッチして、同じ場所に何度も当たってたから。素人だからこうなる。うまく衝撃をゆるめて受ければ、こんなことにはならないらしい。さらに、今朝シャワーを浴びていて気づいたら、足にも青あざが・・・。必死で練習してるときに、そういえばぶつけてたわ・・・。

 このTAKAさん、フツーに爽やかな青年なのに、ヨーヨー持たせるとムチャかっこいい。世界レベルのパフォーマーの顔になっている。独楽の夫婦と合わせて3人は、回す手わざという意味でも近いものがあるし、以前海外公演で一緒だったこともあり、食事中いつも真剣に技の話をしていた。
 おっちゃんが魅力的なのは、真のエンターテイナーで、単に技を見せるだけじゃなくて、どうやって観客(子供を想定してるようだ)を喜ばせるかを考えているところ。南京玉簾も、単純な形が子供に自由に発想を誘うから好きだと言う。チョウチョに見えようが、旗に見えようが、それを子供の勝手にさせてやってる。
 どの世界でも、プロ意識のある人はカッコイイ。特に彼らのやってることには、「創造」の部分が多いから私にも通じるものがある。そうそう、TAKAさんなんかは、世界で初めて2つのヨーヨーを一度に回すという技を生み出して、それに名前までついている。

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(おっちゃんの芸で私が一番感動した扇子に乗って回る独楽)

今日、ご一行様が帰ってしまう前に、どうしても2日前に教わった技を自分のものにしたかったので、お別れをいうついでにホテルまで行って、ヨーヨーマスターから最後の指導を受けることができた。旅の疲れもあるだろうに、こんな大人の素人につきあってくれるマスターTAKAは本当にやさしい青年だけど、
「ヨーヨーのことだったら、僕は楽しいからいいんです」
と言った彼の言葉も本心なんだと思う。
彼のこの言葉は私に響いた。だって、私のいる世界でも同じだと思うから。「好き」ってことが一番大切、だから続けられるんだと、当たり前だけど思った。

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(写真は師匠TAKAさん。ヨーヨーと一緒に撮影するときのポーズまで指導を受けた)

TAKAさんは子供の頃、南野陽子の「スケバン刑事」を見てヨーヨーを始めた。そして世界チャンピオンの座に2度も付き、昨年公開された「スケバン刑事」では演技指導や技作りなどに関わっている。子供のときに見た夢が、ここまで来てるんだからスゴイ。ちょっと違うかもしれないけれど、郷ひろみが好きで好きで、会いたいからって頑張って芸能界に入って、結婚までいきそうになった松田聖子みたいじゃん。これもすべて「好き」だからできることなんだろうなぁ~。。。

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(最後の夜、食事会したレストランでジャワの宮廷ガムランに合わせてパフォーマンスを始めたTAKAさん)

今回はご一行様といて、「追及心」、「向上心」って言葉を久しぶりに思い出した。私が選んだ世界でもすごく大事なことだと思う。被災地の子供たちのためにジョグジャに来た慰問団に、私は個人的にかなり癒されたし励まされた。まっ、私んちも被災してて私だって被災者なんだからいいよな。これからもヨーヨーの技を磨くぞ~。

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スケバン刑事の先生、ジャワ地震被災地に来る

 今日は「こどもプロジェクト」第3バンブー幼稚園に、日本からの慰問団が来てくれた。久しぶりに早起きし、午前7時半、会場になるロロン村へ。ジャワ中部沖地震で全壊したロロン村の幼稚園を再建したバンブー幼稚園では、現在35人の園児が元気に学んでいる。
 今回、国際交流基金からバンブー幼稚園にも慰問団を派遣したいとお話をいただき、幼稚園の先生に連絡したところ、
「そんな珍しいものを見せてもらえるなら、ぜひ、他の幼稚園児にも呼びたい」
との希望で、今日の公演には周辺の7つの幼稚園から合計200人の園児が集まった。私が現場についたときにはすでにバンブー幼稚園の中は満員。

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 今回慰問に来てくれたのは、蒲郡(愛知県)の手品師MAX渡辺、名古屋で独楽博物館をもつ藤田夫妻(独楽のおっちゃんとおばちゃん)、そして2度もヨーヨー世界チャンピオンになったヨーヨーマスターTAKA。彼は『スケバン刑事』で主役の松浦亜弥に演技指導もした人。
 インドネシアの片田舎、ジョグジャカルタまで来てくれた慰問団の4人のうち、3人が愛知県出身(私は名古屋出身)というのも意外でおもしろかった。

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 さて、本日大盛況のバンブー幼稚園、最初の出し物はMAXの手品。私自身、手品を間近で見たのは初めてだったので、真剣に見てしまった。箱からウサギ、新聞紙に水注ぎ、宙からコインなど、思い切りスタンダードなネタではあるけれど、仕掛けのわかりにくいものがあったりで感動。幼稚園児には難しいかと思いきや、かなりウケてたのでMAXも大張り切り。
 これ以降の芸は場所を幼稚園の外に移して行った。長身のヨーヨーマスターTAKAが、インドネシア語を使いながらヨーヨー芸を披露してくれる。実は私は小学校のときに「光るコカコーラYOYO」を持っていて、いっときヨーヨーにハマった時期があったので、今回一番楽しみにしていたお題目。さらにTAKAさん、インドネシアへ来る前にこのブログにも寄ってコメントくれたこともあったから、会うのが楽しみだった。

yoyo

 さすがに世界の舞台に何度も立ってきただけあって、完璧なエンターテイメント。技は正直いってあまりに高度すぎて、何してるのかわからないくらいのスピード。しかし見せ方が上手い。若いのに、技だけでなく芸として人に見せることを極めてるな~と関心して見とれてしまった。

 そして締めは独楽のオッチャンとオバちゃん。伝統ネタの独楽、そして南京玉すだれ。これもなんとなくどんなもんかは知ってるけれど、実際に見たのは初めて。独楽はスゴイ!細~~い糸を渡ったり、扇子のあの薄い紙の上で回ったり、素直に感動。
「はい!竹コプターしたい人~!」
といって一人の園児が前に出ると、その子の頭で独楽回しが始まった。ドラえもんネタはインドネシアでも充分にウケる。私もやってほしかった、この竹コプター。
 南京玉すだれも、園児が参加。独楽のオッチャンもうまい。芸人魂を感じる。声のガレ具合がまた味がある。日本人なら誰でも知ってる南京玉すだれででっかいアーチを作り、子供のチンチンとこに持ってって、
「はいっ!おしっこ~~~~」
とか言っちゃってるから、みんなに大ウケ。

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 公演時間としては2時間弱だったけれど、バンブー幼稚園の先生も園児も、それ以外の6つの幼稚園の先生&園児も、みんな喜んで帰っていった。今回慰問団は昨日2つの小学校、そして今日はバンブー幼稚園と、午後に小学校1校、すべてで4つの場所で公演をしてくれた。私が関わったロロン村だけが幼稚園児。慰問団の皆さんに聞いたらバンブーの園児たち、反応としてはよかったみたいだ。ただ、まだちっちゃいから、小学校では人気だったワークショップ(ヨーヨーや独楽回しを練習できる時間)が今ひとつ盛り上がらなかった。ま~3~4歳ではちょっと難しいかもな。それでも先生たちが一生懸命に独楽回しの練習したりしてて、それはそれで和やかな風景だった。今回インドネシアに持ってきた80個ほどの独楽は、今回の慰問先にプレゼントされることになった。アリガトウ、独楽のオッチャンとオバちゃん(←これ、ホントに彼らの芸名)。

 夜は公演スケジュールをすべて終えた皆さんと、一緒に夕食をとる機会を得た。
そして!!! ヨーヨー世界チャンピオンTAKAからもらったのがこの光るヨーヨーっ!!! マジで嬉しい。小学校時代ぶりにヨーヨー握ったけれど、嬉しい~・・・。さらにさらに、スケバン刑事の先生からの直接指導を受けることができて、本気で感動。私のスナップを見て
「あ~、やっぱり子供のときにやったことのある人ですね~~~」
なんて言われて、また調子にのってしまった。夕飯も適当に済ませ、簡単な技にのぞむけれど、なかなか簡単にはいかない。
 明日は慰問団の皆さん最後の1日になる。最後の夕食会までに、宿題を出してもらってので、今日明日はその技を練習せねば・・・。ゆっくりブログ書いてる場合じゃない。

MyYoyo

 さらにさらに、独楽のオッチャンからは独楽と玉すだれをいただいた。日本の伝統玩具スペシャル~!玉すだれも教えてもらうとかなり奥が深い。こちらはちなみに名古屋市港区にオッチャンの独楽博物館があるので、興味ある方はこちらのサイトを参照されたし⇒独楽博物館

 ご一行様は被災地の子供たちの慰問に来てくださっているのだけれど、私個人もかなり癒された1日となった。公演通訳を頼まれていたのに、すっかり忘れて観客となってしまってました。基金のTさん、ゴメンなさい・・・。そして慰問団の皆さんにもこの場を借りてお礼を言いたい。子供たちを見る目がみなさん本当にやさしかった。「見せる」プロの姿勢、子供たちのためにたくさんのインドネシア語を覚えてきてくださったボランティア精神にも頭が下がる。本当にお疲れ様でした~。

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バリの大晦日と年末の緊張

 3月の第3日曜日の今日。日本のカレンダーではフツーの大安の日曜日だが、こっちのカレンダーではニュピの前日。ニュピの前日だからといって、イスラム圏のジャワにいたら、それこそなんでもないただの日曜日、でもきっと今頃バリでは悪霊を島から全部追い出すために、あちこちで子供たちが騒音を出している頃だろう。

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 そう、明日はニュピ、バリ・ヒンドゥー教徒にとってはサカ暦の新年だ。だから今日は大晦日ということになる。新年を迎えるにあたり、この地から悪霊を追い払い、清められた状態をつくるのだ。

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 時間やお金に余裕があるときには、私はこの日に合わせてバリへ帰る。10年間家族のようにしてつき合ってきたUBUD村の木彫りの先生の家で休日を過ごす。それが無理なときには、ジャワ島のヒンドゥー本山ともいえるプランバナン寺院群へ、帰省できなかったバリ人の友人たちとこぞって出かける。ジョグジャで今回のニュピを迎えることになった私は、仲間とプランバナンへ行く予定にしていたのだけれど、今日はそれも叶わなかった。明日の旗日を前に、自分自身が旗日。ヒンドゥーでは血は不浄、旗日の女は寺院に入ることを許されないのだ。

 考えてみたら、日本にいる時は自分の旗日を公言することなんてまずなかった。けれどバリで長く暮らしていると、それは「今日私、風邪ひいちゃってるの」ってのと同じくらい当たり前に会話に出てくる。隠そうったって、無理だからしかたない。お供え物を家で備えることも、寺院へ参拝することも、旗日の女はできないのだから、どうしたってわかっちゃうのだ。昨晩も何人かのバリ人から
「ミドリ~、明日プランバナン行くだろ?」
と携帯電話のメッセージが入ったけれど、
「残念ながら、今は行けない期間中」
というだけでむこうも納得する。

insidePrambanan

 
 だから写真は以前のニュピ前日にプランバナンへ行ったときのもの。一緒に写ってるのは同じジョグジャの国立芸大に行ってるバリ人の友達たち。ジャワで寺院参拝すると、バリにある寺院ではけして見られないおもしろい光景が見られる。ジャワの正装したヒンドゥー教徒がいたり、祭司さんがインドネシア語でお参りの指示をすること。以前は、バリにまだ行ったことのない、ジャワ生まれの100%バリ人青年が、私に熱心にバリのことを聞いてきたりして笑えた。

 今年はそんな大晦日を過ごすこともできなかった代わりに、夜には楽しいお客様と会うことができた。以前このブログでも話した、日本からの慰問団ご一行様がついにジョグジャに到着したのだ。手品師のオッチャン(そういう芸名)やヨーヨーマスターTAKA(この人はTVチャンピオンでもお馴染み、映画『スケバン刑事』の技術指導もしている)など4名の芸達者。今晩はテクニカルな打ち合わせだったので、国際交流基金のスタッフとだけ会ったのだけれど、21日には、「こどもプロジェクト」で建てた第3バンブー幼稚園で彼らがその妙技を園児たちに見せてくれるというから楽しみ。手品のオッチャンは明日、ウサギ探し(もちろん生きてるウサギ)も市場でしなくちゃいけないらしい。

cover

 話はコロリと変わって名古屋から。
 先日愛知県立美術館の学芸員TさんからEメールが届いた。今年度の美術館スケジュールの印刷が終わったので、私の展覧会のスケジュール部分を写真に撮って送ってくださったのだ。
Tさんから話があったのは、今年の正月を日本で迎えられるかもしれないと思っていた去年末だったか。作品の資料があったらもってきてほしいと連絡を受けていたので、帰国の際に美術館へ持って行った。そこで、Tさんが私の個展を美術館で考えていると聞き、驚くやら嬉しいやらで大興奮したのを覚えている。

exhibition

その時点では、まだ会議にかけていなかったし、最終決定ではなかったのだけれど、今回こうして印刷物として出来上がってきたってことは、もう本当。実現するってことなので、今日このブログでも報告することにした。こうして自分にプレッシャー与えておいた方がいいのだ。
 Tさんも、自分が担当になるわけで、私の作品はもちろんのこと、生存も気にしてくださっている。先日ジャカルタに行って、生きて帰ってきたのでホッとされたようだ。そうだそうだ、年末までは少なくとも無事でいなくては・・・。

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 企画展は今年11月13日~2008年1月14日まで。さすが美術館の展覧会なので会期も長い。同じ時期、メインの企画展は「ロートレック展」。
「テーマ展としてロートレック展と同じときに(年間で一番人が入るとき)やることが表記されてます。体調を整えて、よろしくお願いします」
とは学芸員のTさん。励ましてくださってることはよくわかるけど、ムチャ緊張・・・。

 しかし、1992年に名古屋市文化振興事業団から新進芸術家海外研修助成を受け、初めて海外(バリ島)で腰をすえて制作するチャンスを得て以降、そのままこっちに居座っちゃったような形の私は、今思えばずいぶん長い間日本で発表していない。1998年名古屋の三越で開催した個展が最後だからほぼ10年のブランク。
今後は日本滞在期間を今までより増やしたいと思っていたところに、Tさんからのこのお誘いがあった。本当にベストタイミング。私の中で、今年のメインイベントはこれになるだろう。イイ緊張感をもって後半戦にむけて進みたい。まずは6月にフィリピンを再訪し、昨年のプロジェクトを終わらせるのが先。こっちも順調に準備が進んでいる。このブログ中でも、バギオ(ルソン島北部の山間都市)でのプロジェクトについて少しずつ報告していこうと思う。

 まずは、とりあえず、ニュピの祝日おめでとうございま~す
ちなみに、サカ暦では明日からは1929年になる。

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飛行機事故裏話:運ちゃんの怖い話

話はジャカルタへ出かけた日、3月12日に戻る。
 ジョグジャは空港がわりと近くにあるので、私はいつも家にタクシーを呼んで出かける。所要時間は20分。今回は生々しい炎上事故があったために、一時はビビって予定をキャンセルしたものの、2日前のキャンセルではほぼ全額キャンセル料として支払う必要があるので、往復の50万ルピア(約7,000円)が無駄になる。それも悔しいので結局は利用日を変更することにしたのだった。結局は事故の5日後の出発となった。
 ここからはタクシーの中の会話。

「姉ちゃん、どこまで?」
「空港までお願いしま~す」
「あ・・・  そうかぃ・・・。 んで、今日はどこまで行くんだぃ?」
「ジャカルタまで」
「まさか、ガルーダ使うんじゃないよね?」
「いや~、怖くて・・・。それに私、もともとガルーダは高いから使わないんですよ」
「この前のよ~、うちの婆さん乗ってて、死んじまってよぉ、一緒にいた嫁さんは足折ってまだ入院中だよ。大変だったわなぁ~~~」

「え・・・? 運転手さんの家族が犠牲になったの?」
「お~、婆さんがなーーー。それもよぉ、かなり最初に非常口から出たんだけど、なんせ非常口の高さが3メートル近くもあったもんで、そっから落ちりゃー年寄りゃ死ぬわなぁ」
「じゃあ、焼けたわけじゃないんだ・・・」
「そうそう、早くに降りようとして、高すぎたんだなぁ・・・」

Garuda1

 そんなふうにして亡くなった人もいたことは、運転手さんの話で初めて知った。
 それよりも、今から飛行機に乗るっていうのに、こんな生々しい話聞かされて、私の心臓はバクバク鳴り始める。これは何かのお告げか???

「姉ちゃんよー、なんでこんな暗くなってから発つんだい?雲もなんだか怪しいしよぉ」
おぃおぃ、運ちゃん、脅かさないでよ。。。

「婆さんは、ジャカルタの孫が見たくてよー、1ヶ月くらいむこうにいたんだわ。向こうの家族がもっといればいいっちゅーのに、年寄りは頑固だから、ジョグジャに戻る戻るってダダこねて、ほんで乗ってみりゃ~あんなことになっちまってよ・・・」
 私はだんだん怖くなって、話をそらそうとした。
「ホント、怖い事故でしたよね~」

Garuda2

「そうそう、あれよー、この前ようやく最後の犠牲者が一人、見つかったんだよ。俺の友達が検視官やってるからよー。話聞いたんだ。この友達が、最後の一人も見つけたんだよ」
 もう、この運ちゃん、ほとんど自慢話として話し始めた。

「最後に見つかった一人は、非常口のすぐ近くだったらしいよ。みんなに押されてそこで倒れて逃げられなかったんかねぇ~・・・。とにかく、機体の中で人間の肉が機体にくっついちまって、大変な状態だったらしい」
って~!!!
だからぁ~~~、私は今から飛行機に乗るっつーーーの!

「運転手さんのお婆様の冥福を祈りますよ。これも何かの縁だから、きっとそのお婆様が、今日の私のフライトの危険も、一緒にもってってくれたんだよね。そう思っといてもいいでしょ?」
「お~、そうだそうだ。あんたは大丈夫だ~」
 こんなときは誰にでもいいから「大丈夫」の一言が欲しい。そんなしてるうちに空港に着いた。
「まだ明るいうちだったら、事故のあった場所が空から見れたのになー、残念だな~」
って、そんなん怖くて見れんってばぁ!

 普段は500ルピアの単位までお釣りを請求する私だけれど、今回はもう端数は犠牲になったオバアチャンへの香典だと思ってそのままタクシーを降りた。

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 こうして過去を振り返ってここで書いてるように、結果私は無事にジャカルタへ行き、生きてジョグジャまで戻ってきている。昨年のジョグジャ大地震にしても、今回のような飛行機事故にしても、本当に、こういったことに巻き込まれるかどうかなんて、人間誰にもわからない。じっと家にいたって、地震がこれば安全とはいえない。そう思うと、ここまで元気に事故にもあわずに生きてこられたことが、すでに奇跡のようにも思える。

「あなたが虚しく過ごした今日という日は、昨日死んでいった者があれほど生きたいと願った明日」
という言葉がある。ついつい忘れがちだけれど、今日も生きて太陽を見ることができたこと、それだけのことに感謝して暮らしたいものだなーと心から思ったのは、タクシーの運ちゃんと、そのオバアチャンのおかげだった。

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画廊巡りと中国寺院

 昨晩は日本人5人で呑んだ後、会社勤めのAさんとKさんと別れた後、自由業である私とSさん、F君でファミリーカラオケに行った。ジャカルタでは、日本でも週刊誌で事件が掲載されたことがあったけれど、色っぽいお姉ちゃんがもれなく付いてくるようなカラオケ屋もたくさんあるらしい。日本から来るヒヒ爺さんたちは、普通そっちに通うらしいけれど、私もSさんもF君も自分たちが歌うことがメインなので、健全な方を選択。特にSさんは、芝居が近くなると、発声練習を兼ねてカラオケを使うこともあるらしい。

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 午前2時まで叫んだ後なので、起床は9時。そこからささっと支度をして、行動を開始。 今日のメインは私がずっと気になっててまだ行ったことのないギャラリー、CPアートスペース。過去にインドネシアで2度も大きな国際展を開催したCP財団の持っているギャラリーだ。注目をあびてきたインドネシア・アーティストの個展を今までにいくつも開催してきた。

 さすが、お金持ちだけあって、エントランスもきれい。会場のスペース自体は6x10メートルほどのこじんまりしたものだけれど、照明など設備はしっかり。アシスタントの対応もちゃきちゃきしていて気持ちよかった。

inside

 残念ながら今は展覧会がなく(写真に写っている作品は過去の展覧会のものが搬出されずに残っているもの)、現在CP財団が企画している中国人アーティストの個展はガンビル駅前のギャラリー・ナショナルで開催中という。近いのでそっちにも寄ることに。

 ギャラリー・ナショナルは国の持っている大きなギャラリーで、CP財団が開催した第1回CPビエンナーレではここが会場になり、私も出品したことがある。CPアートスペースが推してるアーティスト、ヤン・シャオビンの個展がちょうど開催中だった。

Galnas

  会場をさらっと流し、ここからまた、昨日観光したコタ地区へ向かう。今日の目的は「王将」の餃子。日本にたくさんある「あの」チェーンとは無関係だけれど、この店も「王将」という。キャベツのシャキシャキ感がなんともヘルシーで、はじめてSさんに連れてきてもらったときに私は大感動したものだった。今日は水餃子と焼き餃子、両方を試してみた。どっちも美味い~~~。

 大満足で店を出、次に目指したのは金徳院という中国寺院。王将の餃子周辺は、まんま中国というエリアで、私たち3人が歩いていても、誰も日本人とは思わない。特に我々トリオは、皆さん自由業で国籍や年齢不詳系(私は時に性別も不詳)だから余計かもしれないが。    新鮮な果物や野菜を所狭しと並べている長い路地には、怪しい「大人の薬」や、バッタもんの中国映画DVD、お経唱えてクルクル回る観音様、電動でず~っと手招きしてる金の招き猫なども売っている。「蚊力源」って書いた小さな瓶があったので、虫除けの薬かと思って聞いたら、「ちがうよ。ちがうね~、オトコのため~」とオバちゃんが教えてくれた。この辺の人たちはいくらインドネシアに暮らしていても中国人コミュニティで生きてるから、インドネシア語の下手な人もいる。しかし、なんで「蚊」なんだ?

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  そんなチャイナバリバリの通りを行くと、極彩色の屋根が見えてきた。ここが金徳院(Dharma Jaya)。院に入ると、まずは煙で目が痛くなる。皆さん熱心に祈っている。蚊取り線香のグルグルを引っ張って円錐にしたようなでっかい線香が天上からいっぱいぶら下がり、床には私の背ほどの巨大な真っ赤なロウソクが並んでいる。

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  いたるところにいる神さんの祠は、まるで多神教のヒンドゥー寺院のよう。 私が好きなヒンドゥー教の女神サラスワティ。バリ島では「サラスワティの日」もあって、文学、音楽の女神サラスワティのために書物や楽器にもお供え物をする。このサラスワティが日本に伝わって「弁財天」(弁天、弁才天)になった。金徳院にあるたくさんの祠の中にも、弁才天をたくさん集めた祠があったので、ここの弁天さんに挨拶しておいた。

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 あっという間のジャカルタ観光も終わり、ここからタクシーで空港へ向かうことになるので、院を出るところで「飛行機の事故からはどうかお守りください」としっかりお祈りしてからこの場を後にした。

  おかげさまでライオン・エアーのジャカルタ発ジョグジャ行きは無事にジョグジャに到着。途中何度か横揺れにあったので、そのたびにヒヤ~~~ッ・・・としたけれど、何事もなくてほっと一息。今回ジャカルタへ行くとき、家からジョグジャの空港まで使ったタクシーの運転手さんが、偶然にもガルーダの犠牲者の家族だった。どんな状況だったかを行く前にリアルに聞かされてビビッたのだけれど、「うちのオバアチャンが事故で死んだことで、あんたのSIAL(不運)ももってってくれたから、あんたは大丈夫だよ」と言ってもくれた。だとしたら、亡くなったオバアチャン、私を守ってくれてどうもありがとう・・・

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バタビアの風に包まれて

 12日から14日までジャカルタに行ってきた。今回は珍しく、何かの打ち合わせとか、見たい展覧会があるとかではなく、ほんの少しジョグジャから脱出したいだけの理由で出かけた。昔はジャカルタというと、まったく知り合いもいない大都会で、行くだけで気合入れすぎて熱が出たものだった。 今では10年以上の仲でバンドンからジャカルタへ移って役者をしているSさん、ジョグジャで数年を過ごしてからジャカルタへ移って起業した若きF君、在インドネシア大使館期待のホープ、やり手のAさんなど、私が行けば相手してくれる友達がたくさんいるので、怖い大都会ジャカルタもずいぶん身近な街になってきた。そうして思うと、「恐怖は知らないから生まれる」っていうのもわかる気がする。何度か行って、道もわかり、どのエリアが危なくて・・・ってのがわかり始めれば、気合熱も出なくなる。 

 普段は目的があるために、逆に観光をすることがなかったので、今回は完璧ツーリストになってジャカルタ観光することにした。F君がつきあってくれたので、彼のバイクで巡ることに。以前Sさんに美味しい餃子を食べに連れてってもらったKOTA(コタ)のエリアにはたくさんの博物館が集中している。1日目はこの周辺を回った。

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 コタ地区は「旧バタビア」、オランダ植民地時代の政治の中心地で港町として栄えた場所。今でもたくさんのコロニアル式建造物が残り、バタ臭くておもしろい。まずは本で読んで気になっていた「跳ね橋」を目指した。まるでゴッホの絵から出てきたみたいな跳ね橋は、今ではもう使われていないけれど、ちゃんと管理者もついて歴史の証人として残されていた。跳ね橋から見れば、川沿いにはたくさんの古い建物が残っていて、インドネシアにいながらオランダ色いっぱいな不思議な空間だった。がしかし、川が臭すぎ・・・

bahari

 ここからさらに北に向かうとスンダ・クラパ港。東インド会社があったころには多くの船が行き来した大きな港だったらしい。港のすぐ横にあるのがバハリ(海洋)博物館。1652~1771年までかかって少しずつ増築されていった東インド会社の香辛料倉庫。1942年には日本軍が物資を保管する倉庫として使っていたこともあるという。その後1977年に、ジャカルタ特別区によって海洋博物館として一般に公開されるようになった。

 正直、展示物はそれほど貴重なものではないし、展示方法も下手。でもこうやって歴史的な建物を保存できるのはいいことだ。ジャカルタともなるとなかなか洒落たことも考えている。2009年までに周囲の環境整備もして、港の景観美化につとめ、海上カフェも作る予定とか。そこまでやったら、このエリアはきっとかなりお洒落になるだろう。ガンバレ、ジャカルタ特別区!

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 ここから南に戻り、コタ駅にあるファタヒラ広場へ。 ここが旧バタビアの中心地。どこもかしこも建物密度が高くてごっちゃゴチャな大都会ジャカルタでは珍しく広場があって木々も多くて気持ちのいい場所だ。ここには旧市庁舎を使った歴史博物館、旧バタビア裁判所を使った陶磁器博物館、旧教会を使ったワヤン(影絵芝居に使う人形)博物館などが並んでいる。  すでにランチタイムだったので、ここでまず休憩。2度来たことのあるバタビア・カフェに入った。これは歴史博物館の正面にあるレストランで、ジャカルタでも人気の場所。ちょっと高級だけれど、確かに雰囲気はイイ。店員に聞きこそしなかったけれど、場所的にも、内装を見ても、おそらく当時のオランダ人、港に着いたヨーロッパ人のダンスホール、あるいは迎賓館のようなものだったんだろう。
 

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 しっかり休んだ後でワヤン博物館を訪ねた。1940年に常駐オランダ兵のために建てられた教会はその後地震で崩壊して再建もされ、1975年に現在の博物館として開館した。これもジャカルタ特別区の管理。今回は海洋博物館とワヤン博物館しか回れなかったけれど、意外だったのは係員の対応。

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  インドネシアの公的機関では、いくら美術館だ博物館だっていっても、専門家をおいていることはなく、スタッフは公務員の制服を着て、新聞読むか、携帯電話でメッセージ送ってるか、コーヒー飲んでるか。来客があろうがなかろうが、自分には関係ないやって人が多い。そんな中で、海洋博物館にいた兄ちゃんなんか、ちゃんとその場所の歴史も説明してくれたし、今後のジャカルタ特別区の計画も教えてくれた。こういう対応があると本当に気持ちいい。  

Wayan 

  これはワヤン博物館で見つけたレアな1品。インドネシアのワヤン(影絵芝居)では、演じられる内容はインドの叙事詩「ラーマヤナ」か「マハバラタ」が中心で、それにそれぞれの地域の民話などが織り込まれる。ところがこのワヤン、よ~く見ると十字架に付けられたイエス・キリストや天使がいる。この他にもアダムとイブのワヤン、悪魔のワヤンもあった。解説によると、これはジョグジャのお隣の古都ソロで、クリスマスを祝うために作られたワヤン。 

 今回はお上りさんなので、予定もいっぱい詰めていた。この後はインドネシアで3つしかないというプラネタリウムへ向かった。ところが行ってみると上映時間の午後4時半だというのに人気がない。入り口の小さな掲示を読んだら、「機械の故障でしばらく休館します。また上映できるようになるまではお休みします」とのこと。いつまで休むかわからないのはインドネシアらしい。ひょっとしたら、国内にテクニシャンがいない可能性もアリだな。この時点では私とF君に、Sさんも合流してくれていたので、近くの喫茶店でお喋りして、仕事の終わったKさんとAさんと5人、日本料理屋で久しぶりの再会を祝った。

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