年寄りライブと映画

 一週間前の停電事件(『災難2連発~停電と歯痛~』参照)に始まり、先週一週間は「日々是災難」の毎日だった。日本でも、昔は一つ電化製品が壊れると、次々に壊れるなんてことがあったけれど、まさに我が家は今そんな感じ。うちでは裏の井戸水をいったん屋根の上のタンクに汲み上げ、そこからそれぞれの蛇口に水がいくようになっている。タンクの水が減ったら自動的に井戸のポンプが作動して汲み上げる仕組み。この自動装置が壊れた。だから気づいたら水がなかった。とはいえ、これは簡単に直せる。自動装置は買い換えないともうダメだけど、当面はマニュアル、タンクいっぱいになったらポンプを切ればイイ。
 次に自動車のACが壊れた。最近は国際交流基金の大型展覧会『KITA!!』の準備で毎日走り回っている。ここんとこジョグジャの天気は昼間にムチャクチャに暑くなり、次にジメジメに湿気が出てきて夕方からドバ~~~っと豪雨というフルコース。そんな中、街中を移動するのにACなしは蒸し風呂状態。さらに雨となったらもうフロントガラスは視界ゼロとなる。でも豪雨だから窓も開けられない。ほとんど決死のドライブ。この前も、熱風しか出ない車内で脱水状態寸前のところで、車を降りたら外の方が全然涼しかったなんてことがあった。
 さらに歯茎の痛いのはまだまだ続いている。せめて、せめて、豪雨の後の冷えた夜に、温水シャワーで身体を温めたい・・・と思った私のささやかな望みも、連続する災難によって阻まれた。今度は温水器が壊れてお湯が出なくなってしまった・・・。

 運の悪いことに、インドネシアでは20日がイスラム今日の祝日、21日がキリスト教の祝日、そして22~23日は終末と、ほとんどが4連休になっている。店は開いていない。だから湯沸かし器を買った店も、明日まで営業していないのだ。
 もう、こうなったらじたばたしても始まらない。お湯がなくても死なん!歯茎が痛くても死なん!そう腹をくくることにした。もともと数年前までは湯沸し器も持ってなくて、寒い日にだけ大きな鍋にお湯を沸かして、それを水で薄めて使ってたんだから、そこへ戻ったと思えばいいだけ。でも人間ってどんどん快適さに慣れると、それが当然になっちゃうからいかんな・・・。

 少し前向き思考になった金曜の夕方、ティアスから久しぶりに電話があった。ティアスは過去にジョグジャやジャカルタで一世風靡したロックバンドのギタリスト。今は当時のバンドを解散し、ジョグジャ北部に小さな飲食店を建て、そこで週末ライブなどをしている。互いにローリングストーンズ大好きということもあり、機会があれば一緒にライブをしている仲間だ。私にとってはギターの師匠でもある。
「ミドリ~、今日はボーカルいないからさ~、来てよ。ギター持って」
と久しぶりにお声がかかったからには、歯茎が痛くても行くしかない。お湯を沸かして水で薄めて行水してから出かけた。

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 彼が今やってるバンドのメンバーは知らない人たちばかりだった。見た目かなりのオッサン(右のギターがティアス)ばかりだけど、こういう世代の方が渋い音が出せるから私の好みだ。
「ミドリから適当に始めたらついてくからさ・・・」
ストーンズのナンバーから20曲ほど演れば、皆さんちゃんとついてきてくれる。さすがストーンズ世代、すべての歌が頭に入ってるんだな・・・と嬉しくなる。せっかくのライブなのに歯茎のせいでアルコールが飲めないのが残念ではあった。だってティアスは酒作りもうまくて、オリジナルカクテルはなかなか美味いのだ。次回はぜひ、歯茎も完璧な状態で美味しい酒と一緒にライブしたいものだ。

 連休中に街中に出るのは好きじゃない。ジョグジャってのはとかくローカル客に人気の街だから、連休の人ごみと交通渋滞ったら半端じゃない。多分日本の京都みたいなものなんだろう。だから姉妹都市提携してるんだろか? またもやDVDを借りてきた。
23.jpg◆Number 23(2007)
珍しくジム・キャリーがサスペンス・ホラーに主演。ブラピの『SEVEN』を思い出させる雰囲気もあったりしたけど、なかなか面白かった。こういう結末だったとは。

rogue.jpg◆ROGUE(2007)
ジェットリーと「トランスポーター」のジェイソン・ステイサム主演。日本のヤクザがいっぱい登場。こういうのに、松田優作が生きていたら・・・とつくづく思う。石橋凌じゃ~悪いけど役不足な気がする。それと、日本人だって見るんだから、ちゃんとした日本語喋って欲しいよな。いい加減すぎじゃん、日本語のセリフもセットも・・・。

flawless.jpg◆FLAWLESS(2007)
同タイトルでロバートデニーロの映画もあったみたいだけど、こっちはデミ・ムーアの宝石泥棒モノ。昔のロンドンの町の雰囲気や衣装が楽しめた。内容は最後の種明かし部分がちょっとおもしろいけど、間は今ひとつ力入らず。

holluwood.jpg◆Hollywood Land (2006)
1950年代にアメリカで大人気だったTV番組『SUPERMAN』の主役、ジョージ=リーヴスという俳優の謎の死(実話)を題材にした映画。『JACKET』や『PIANO』のエイドリアン・ブロディが演じる探偵は実在ではないらしいけど、映画の中では一番目立ってたような・・・。この役者もかなり個性的でいいなぁ。
こういう解決してない実話のミステリー系では、『BLACK DAHLIA』が私は好きだったな。

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災難2連発~停電と歯痛~

 インドネシアでは停電は当たり前。ましてや毎日暴風雨がやってくる今の時期はフツーに停電する。
昨日の日曜もそうだった。寝室に掃除機をかけていたら突然切れた。うちは使用電気量が1300Wしかないので、冷房と掃除機を同時に使うとブレーカーが上がる。家の外にあるブレーカーをチェックしたけれど、どうもいつもの過負荷ではないらしく、ブレーカーの位置はいつものまま。ということはこの地域一帯が停電ということか・・・。
 昼間は別にさほど気にならない。パソコン仕事はできないけれど、こういうときは最初から諦めて、読書に徹することにしている。たまにゆっくり読書に時間をとるのもいい。がしかし、夕方になり、外が暗くなるにつれ、気づけばお隣さんちには電気がついている。裏庭から裏を覗けば、こっちの家にも電気が・・・。「なぜうちだけ???」
 早速ジョグジャ市の電気局サービスセンターに電話してみた。なんだかパッとしない対応にむかつくも、こっちはもう自分じゃどうしようもないからすがるしかない。
「はぃはぃ。何時に行けるかはわからないけどね~~。絶対行くから。うちは24時間だから」
とのオッちゃんの返事を信じる以外に方法はないのだ。
 自然光では読書もままならない時間になり、ロウソクを灯して助けを待つ。いつもは世の中の皆さん全員が停電だから・・・という団体意識があるけど、今回は違う。
「なぜうちだけが???」
と悶々とした気持ちで電気局を待つ。そして午後5時過ぎにようやく2人の職員登場。

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 なんと、玄関横についた電源ボックスの中で、電柱から配線されたケーブルに問題があったらしい。職員がチェックすると同時に箱から火花が散って煙が出、家の向かいにある電柱の上からも火の粉がパラパラ降ってきたからビックリした。近所の人まで慌てて走り出てきて、こっぱずかしい・・・。
 直ってホッとした以上に、インドネシアの電気局がちゃんと日曜の夕方にもかかわらず来てくれたことに感動した。オマケにタダだし。我が家は1935年築らしいので、いろんなところに傷みもくるんだろう。

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 にしても、忙しくなってくるといろいろ問題が起きるのはなぜなんだろう?そんなにたくさんバチが当たるほど、悪いことしてないつもりなんだけど・・・。昨日は停電、そして今日は歯痛。疲れると歯が浮いたみたいになってもう何年にもなる。でも特別悪化しないから、ずっとそのままにしている左上の奥歯。
この歯茎が腫れた。初めて歯茎が腫れた。なんだか大きなニキビのような感じがした(舌で触って感じるには)ので、つぶせばいいのかと思って針を消毒し、火で炙って突っ付いてみた。それでも変化がなかったのが3週間ほど前。
 その後しばらくなんともなかったけれど、また腫れるようになってきた。考えてみれば、あの突っ付きがよくなかったのか?多分そうだろう。人に話すと、このムチャな処置にインドネシア人ですら呆れる。どうも私はバリ在住の頃から、プリミティブな治療法が好きらしい。日本の医者で何度切っても治らなかったウオノメがバリの伝統治療で治ったこともあり(『バリタイムズ』参照)、荒療治が癖になっているのだろうか。

 とまれ、今回はかなり後悔している。その突っ付いた部分が、ずーーーっと腫れの原因になっているのだから。そこまで荒治療が平気なくせに、今まで歯だけはインドネシアで医者にかかりたくないと思ってきた。けれど今回はやむをえない。来週からはどんどん日本人アーティストがジョグジャにやってくる。そして私は彼らのケアという重要な任務があるのだ。ここで自分の突っ付いた歯茎を腫らしたのが原因で休んでたらオオマヌケだ。

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 雑用の合間をぬって今朝、知人に勧められたクリニックに行ってきた。中には一人も患者がいない。クリニックの中は意外と小奇麗だ。受付に出てきた丁寧な姉ちゃんと面談して診療室に入ると、想像以上に最新の設備なのでビックリした。さらにさらに、出てきたドクターは若いお姉ちゃん。お姉ちゃん、キレイなのはいいけど、これがドクターとなるとちょい不安でもある。
 診察椅子を倒され、なんで腫れちゃったのか事情を話したら、ここでも呆れ顔。でも、もともと腫れていたということは、そこには私が作った原因以外の原因があるわけで・・・
「あ~・・、これは開かなくちゃダメですね・・・」
これ、インドネシア語で言われると怖い。「開く」という意味に「Bongkar(ボンカール)」というインドネシア語を使うのだけれど、「ボンカール」には「取り壊す」とか「解体する」といった意味もあるから自分の歯茎がそうされるかと思うと、言葉にゾッとした。

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 がしかし今、この時期に歯茎を「解体」してもらってる場合じゃないような気がして、なんとか薬でこの腫れを抑えてあと1ヶ月もたせることができないか相談したところ、口膣の洗浄薬と抗生物質をくれた。後は疲れをためずに、ビタミンもちゃんと摂取して日々規則正しい生活をしなさいとのこと。
(赤い矢印が若いドクター。腕を信じていいのか???)

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 なんだか災難続きの今日この頃。これがやがてくるムチャクチャにラッキーな出来事のまえぶれだったらいいんだけれど・・・

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ニュピとオゴオゴin BALI

 私が10年間過ごしたバリ島の島民は、ヒンドゥー教を信仰し、西暦の他にサカ暦(1年354日)やウク暦(1年210日)でも時間を測る。このサカ暦の新年が今年は西暦の3月7日に当たるので、久しぶりにバリで正月を迎えるべく、2日前の5日夜、バリへ向かった。
 バリの新年は「ニュピ」と呼ばれ、1年の始まりに音を出すことも火を使うことも許されない。つまり元日24時間は道路に一台も通行者、車がなく、台所で調理する者もいない。夕方日が暮れても誰も家に火は灯さず、真っ暗な中で元日の夜を過ごすのだ。
 その代わりといってはなんだけれど、大晦日はスゴイ。聖なるバリ島が新年を迎えるためには、島中の悪霊を追い出して浄化しなければならない。だから村の子供たちは爆竹のようなものを鳴らしたり、鍋を叩いたり、どこそこでドンドン、カンカン、ガチャガチャと音がする。

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 もう一つ面白いのはオゴオゴ。日本の「ねぶた祭」の山車にも似たオゴオゴは、バリの悪霊をかたどった張りぼて。町内の若い衆がそれぞれに趣向を凝らし、様々なオゴオゴを作り、大晦日の夜に練り歩くのだ。そしてこのオゴオゴ(悪霊)は、場所によって海岸沿いで焼かれたり、墓地で破壊される。つまりこれでバリ島から悪霊は消え、キレイな状態で新年を迎えられるというわけ。

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 久しぶりにバリでニュピ(サカ暦の新年)を迎えることになった私は、5日の夜空港に着いて村に戻ると、早速迎えに来てくれたマデサナ兄貴と一緒にUBUDの周辺を回った。まだ制作中のオゴオゴをチェックするためだ。
 長くバリに暮らしていると、いやな面も見えてくる。最初にツーリストとして感動したバリとは違う「生の暮らし」としてのバリはイイところばかりじゃない。でも、バリを出て、今度は7年もジョグジャに暮らしていると、久しぶりに戻ったときのバリの印象はやっぱりイイものに変わっていたりする。今回も「やっぱりバリはスゴイ!」と思ったのがオゴオゴだった。

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 だって、こんな立派なハリボテが、フツーーーの村のガキたちによって作られているって、スゴくないか? 特にUBUD周辺は、観光客相手のレストランやホテルも多いから、多額の寄付金が出る。明日の大晦日の出番を待っているオゴオゴの横には、町内の誰さんがいくら寄付をくれた・・・と表がある。UBUD中心のオゴオゴには1体作るのに1300万ルピアの寄付金が集まっていた。もうすぐ3年目になる、あの中部ジャワ地震では、家を全壊で失った家族一件に着き1500万ルピアの復興義捐金が政府から出た。家一件建てろという額と、大晦日一晩の命で捨てられるハリボテ1体の制作費がほぼ同じというのも、う~ん・・・、なんとも考えさせられる。

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 そして翌6日、つまりは大晦日。
昨年はバリ島内で3110体のオゴオゴが作られ、今年は4035体が練り歩くことになっているらしい。いっときはこのオゴオゴ行列が酔っ払った若者のケンカ御輿みたくなって危険だとういうことで、警察から規制があったりもしたけれど、今年はどうやら盛大にできるらしい。
 今日ここで掲載しているのは、私のバリの家族の住んでいる周辺のオゴオゴ。これがフツーに、芸大生でもなんでもない、村のガキ達によって、大人の手も借りずにできているってのは、う~~~ん、やっぱりバリはすごい・・・。それとも、ねぶた祭のあるかの地でも、村の子がこういうものを作れるっていうのは、フツーのことなんだろうか?

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 バリの人たちに便乗して、私も自分の心の中のマイナス思考(それこそがバリ人のいう悪霊なのかもしれないな・・・)を大晦日の夜と一緒に吹き飛ばしてしまおうと思っている。皆さん、新年おめでとうございます!(バリ式に「SELAMAT HARI RAYA NYEPI!!!」)
 

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2冊のガイドブックとカリ・チョデ

 あっという間にもう3月。日本もそろそろ春の気配が訪れはじめている頃だろうか。
 先月、最終原稿完成のためにスラバヤを訪れ、ジョグジャに戻ってすべてを編集し終わり、ようやく印刷に回すことができた。フルカラー70ページの豪華ガイドブックが3月中旬には完成する。きっと担当したスラバヤ市観光局のユサクおじさん感動するだろうなぁ・・・

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 何を思って「スパークリング・スラバヤ」というのか知らんが、このハジける感じに合った写真がスラバヤの夜景だったので、これをカバーにすることにした。

 内容はスラバヤへのアクセスにはじまり、歴史、文化、自然、考古遺跡、ショッピング、食事、ホテルなどのコンテンツに分けた。思い切り私の好みがページ割りに現れていて、食事のページが多い、多い・・・。

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 今回はこの原稿と一緒に、もともと私が数年来つくっているジョグジャの日本語ガイドブック『JOGJA SURFING』の3~4月号も仕上げた。これは2年前からジョジャカルタ市観光局公認となり、印刷費もジョグジャから出て、インドネシア国内にある15の日本人会や日本企業への配布もジョグジャ政府もちで計らってくれていたのに、今年からは予算ゼロ。国交樹立50周年で秋篠宮殿下まで訪問しているっていう記念すべき年に、なんで予算がない?!
 確かにもとはといえば、私が自腹で刊行していたものを、ジョグジャが認めてサポートしてくれてたわけで、振り出しに戻ったといえばそうなんだけれど、私も昔のように若くない。予算がないならもうやめればいいや・・・と思っていたときに、国際交流基金主催の友好年記念事業、ジャパニーズ・アーティスト・ミート・インドネシア『KITA!!』展に関わることになった。そしてディレクターである東京本部のFさんから、この展覧会をどうやってジョグジャでPRしていったらいいのか相談を受けたのだった。

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 そこで今回、『KITA!!』展のPRを掲載する、つまりジョグジャ・サーフィン側からすれば広告掲載料が入ることにより、3~4月号発行が実現した。こっちはあさってには刷り上ってくるんだった。
 日本でジョグジャ・サーフィン希望の方は、五反田の在日インドネシア大使館でどうぞ。

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 昨日はカリ・チョデを回ってきた。「カリ」はインドネシア語の川。つまりチョデ川。
 上述の『KITA!!』展には日本人アーティスト20組57名が参加する。数組は展覧会開催の1ヶ月前にジョグジャに入り、現地制作をすることになっている。中の一組が淀川テクニック。男性二人組のユニットで、川のゴミを集めて巨大オブジェを作ったりしている。2年前の釜山ビエンナーレで彼らの作品を生で見て、ゴミがここまでのものになるのかと感動したことを覚えている。
 そんな彼らが、ジョグジャの川でも制作することになったのだ。ユニットの一人柴田君はすでに一度ジョグジャに視察に来ている。そのときに紹介したチョデ川上流に、彼の気に入る場所があったのだけれど、今度彼が制作のためにやってくる前に、もっといい場所があるかも・・・と思って、チョデ川の下流を探索してみた。

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 結構あるある。
 彼らのプランの詳細を知らないので、どの場所が最適なのか、私にはわからないけれど、単純に川を含むその場所の空気として、気持ちのイイ場所があった。
 にしても、この雨季、本当にいつ降り出すかわからないから困る。チョデ川の下流で2ポイント見つけて撮影していたら、2ポイント目でいきなりの雨。やむをえず撮影を中止して帰宅した。

 昔はもっと雨季は雨季、乾季は乾季ってはっきりしてたような・・・。これも温暖化なのか・・・

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スラバヤ名物料理3品

 20日の夜、無事にジョグジャに帰る。4日間のスラバヤは寒かった・・・。私はやっぱり田舎者、ず~っとエアコンの入ってる状態だと喉がやられる。毎日ユサクおじさんのツケで、ホテルの喫茶店でジンジャーミルクティーを作ってもらってたけれど、やっぱり完治せず。戻ってみればジョグジャも雨でじっとじと。これだと長引くかも・・・。

 ところで、今回も記事にしなければならないという理由で、新たな料理を3品いただくことができた。すべてスラバヤの名物料理、確かにバリでもジョグジャでも見たことのないものだ。東ジャワにはプテスという海老ペーストがある。いってみれば腐らせてエキスを抽出したようなもので、黒いジャムみたいになっている。たいていの料理にこれが入っている。

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 最初の一品は「タフ・テクテク」。ムチャふざけたネーミング。「テクテクの豆腐」という意味。このスナックを売りに来る屋台が、声を出す代わりに屋台に下げた金属を叩くその音が「テクテク」と聞こえるから「タフ・テクテク」らしい。
 中身はモヤシ、揚げ豆腐、タマゴ、ロントン(インドネシアのちまき)、ジャガイモなど。これにプテス・ぺースト、ピーナッツ、唐辛子などを混ぜたソースをかけて食べる。ソースはピリ辛甘い。インドネシアのどの地方にもある温野菜ガドガドのソースにも似ているけれど、プテスが入ってる分、味に深みがある。

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 次に試したのが「ロントン・クパン」。
 さっきもあったけど、「ロントン」ってのはインドネシアのチマキ。特に東ジャワの人たちは、フツーにご飯を食べるより、チマキにしたロントンが好きらしい。私はもともと五平餅とか好きじゃないので、ロントンは悪いけどそんなに美味しいと思えない(これが切ったロントン)。

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 こっちが「クパン」、小さな貝のスープだ。これは美味。貝の大きさといったら、シジミ以下。「シジミの味噌汁で、中身を食べるとせこい」と名古屋では言うけれど、だったらこの貝は食べれんに・・・ってくらい小さい。これをいちいち殻から出してる人がいるんだと思うと、「ご苦労様」と言いたくなる。そのくらい小さい。

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 ジョグジャに似て、甘い味付けの多いスラバヤの食べ物らしく、こいつもどことなく甘い。で、スラバヤっ子の食べ方は、このスープの中に切ったロントンをざぶっと漬け、食べるらしい。そしてつまみにはもうちょいでかい(こっちがあさりくらいか)貝の甘煮。これはまるまる日本人にぴったりの味。
 貝のだしが効いてて、なかなか美味しいのだけれど、ついつい日本人だと醤油でスープ作りたくなるなぁ・・・

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 今回の中で私の大ヒットはこれ。「タフ・チャンプル」。
 いまさらここで説明する必要もないとは思うけれど、沖縄料理の「ちゃんぷる」もインドネシアの「チャンプル」も同じ語源。「混ぜる」という意味だ。名前にはタフ(豆腐)が主役で入ってるけれど、実際には、揚げ豆腐、タマゴ麺、もやし、シンコンという根菜(ジャガイモに似ている)のフライ、レタスなどが主役脇役なく入っている。
 で、そこにかけるスープが大事!これが美味い!具は牛肉、それも脂身の多い部分を使って肉がくたくたになるまで煮込む。スープはこの肉のエキスいっぱいな透明のスープ。これをさっきの具が入った器にかける。

 つまりは、野菜の多い牛肉ラーメンって感じか。美味い!これは本当に美味い!
 今回のタフ・チャンプルは、ユサクおじさんがGM(ゼネラルマネージャー)している4つ星ホテルのコック長が作ってくれたから、そりゃ美味しいに決まってるかもな。多分屋台で食べるタフ・チャンプルには、ここまでしっかりと牛肉は使われていないだろう。いや~、やられた。最初に覚えた味がみんな甘ったるかったために、ちょっとスラバヤ料理をなめていた。そしたら最後にこれかぃ。

 スラバヤ=タフ・チャンプルになりそうな、そのくらい美味しいめをした旅だった。

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ひょんなことからスラバヤ1日ツアー

 17日からスラバヤのホテルに缶詰。昨年作ったスラバヤの日本語ガイドブックが好評で、今度は全カラー、60ページの完全保存版を発行することになった。4日間しっかり缶詰するつもりで来たのだけれど、スラバヤに来る前に仕上げてきたドラフトを担当者であるユサクおじさんに見せると、
「あ~、まだXXXミュージアムがあったなぁ・・・、あ、ゴルフ場もXXXが入ってないな・・・」
など、入れて欲しいインフォメーションがまだあるという。
「だったら、私はいつでも時間あるから、ユサクおじさんの運転手つけてくださいよ。そしたら私、自分で取材してくるから」
といったら、早速1日ドライバーをつけてくれた。
 丸々ホテルに篭もる予定は変更、今日はまだ見ぬスラバヤツアーをすることになった。

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 最初に行ったのがンプタントゥラール博物館。インドネシア国籍を取得したドイツ人コレクターが昔から集めていたものを、東ジャワ政府が譲り受けて保存・展示してるミュージアム。とはいっても、2年前にスラバヤ市内からシドアルジョという町に移ってるので、行くのにも一苦労。車に乗っけてもらってるだけだから、本当は苦労はしてないけど、時間がかかる。コレクションはまぁまぁだけど、展示方法が今日一つだからなぁ、どこのミュージアムも。もう少し、昔のものの大切さもわかって、ちゃんと保存しようって気になったらいいのに。
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 次はロカジャラスラナ博物館。車は港に向かって進み、「海軍なんたら」って書いた大きな看板をくぐりぬける。これってもうアーミーの敷地じゃないの?
「そうみたいですねー、どうやら海軍アカデミーの中にあるミュージアムのようです」
とドライバー。そしたら中にあった、あった。庭には軍用飛行機と大砲、そして小さな建物、これがミュージアムだった。入り口のステンドグラスがちゃんとインドネシア国軍の兵器をモチーフにしている。なんかかわいいぞ。

 展示室に誰もいないので、こそっと裏庭へ抜けて探索してたら人に見つかった。
「あの、日本から来て、ミュージアム見学に来たんですが・・・。ところでお兄ちゃんは用務員さんかなんか?」
と聞いたら、実は海軍アカデミーのコマンドーだった。今日は3時で閉館しちゃってるんだよ~と説明してる彼の背後におもしろいもの発見、インドネシア海軍カレンダー!今月は泥につかって敬礼してる海軍の皆さん。

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 その次に行ったのは中国寺院。私がもらったデータには「バラトゥ・ミュージアム」となってたのだけれど、行ってみたら寺院しかなくてミュージアムらしきものはどこにもない。真っ赤なでかい蝋燭がたくさん灯るお堂の中に、チャイニーズなオバちゃんがいたので聞いてみたら、昔はミュージアムらしきものがあったけれど、すでに移転してるという。
「でもねー、ここはツーリストにも有名なのよ。みんな見に来るのよ、あんたも宣伝したらいいわよ~」
とのこと。なんか、バリのヒンドゥー寺院みたいだな、異教徒が興味半分に見に来ても問題ないらしい。

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 もともとスラバヤのガイドブックを作る話が来た時に、ちゃんとスラバヤを見たいからという理由で、市内の5つ星ホテルというホテルを泊まり歩かせてもらった。それ以降は、仕事でスラバヤに来ると、担当者であるユサクおじさんがGM(ゼネラルマネージャー)をしている4つ星ホテルに好きなだけ泊まらせてもらっている。
 ところが、今回リストアップしてみたら、まだちゃんと訪ねていないホテルが2つあった。5つ星のハイアットと、4つ星のメルキュール。ユサクおじさんがこの2件も私が気持ちよく訪問できるように、GMに連絡をつけといてくれたから、メルキュールのGMも
「今度スラバヤにいらっしゃるときには、わがホテルでお部屋を空けておきますから」
と言ってもらえた。わ~ぃ。そして最後にハイアットへ。

 ハイアット・リージェンシー、スラバヤの5つ星。ここで私を待っててくれたのはGMのグントゥールおじさん。実はこの人は4年前までジョグジャのハイアットでGMをしていた。私はジョグジャのホテル組合とは7年のつき合いになるので、グントゥールおじさんのことは昔から知っている。
「みどりさ~ん!ここに来たからには、うちでランチ食べてってもらいますよ~」
もちろん、そうなることを計算して昼時にハイアットを訪ねたのだった。
 ハイアットにはスラバヤでも一二と言われる日本料理屋が入っている。どうやらグントゥールおじさんは、私にここのメニューを食べさせて、本物の日本人がどう思うか、コメントが欲しいらしい。

「でも、おじさん、私は刺身食べれませんからね」
と最初に断り、おじさんと秘書に呆れられた後、ウエィトレスに進められて松花堂弁当をオーダー。それでもまだおかずに刺身がついていたので、煮魚に変えてもらった。

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 じゃ~ん。これがハイアット、キザハシの弁当です~~~。

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 そしてグントゥールおじさんオススメ、ホームメイドの黒胡麻アイス~~~

 缶詰になるから運動不足解消のために、ビリー体調のミッション2と3をちゃんと持参してきたのに、夜になっても腹がいっぱいで運動もできない。まずい・・・。ましかし、取材はすべて終了して明日から2日間は本当に部屋で仕事だけなんだし、今日はまぁいっか。ブートキャンプは4つ星ホテルの部屋には似合わないってことで、お休みさせてもらうとしよう。

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黒天使のバレンタイン&スラバヤ入り

 14日はバレンタインだった。昔バリに住んでた頃は、バレンタインなんて日は皆さん無関係だったので、日本のように、クリスマスやバレンタイン前になると独り者にとっては街歩きが辛い・・・なんてこともなかった。がしかし、ここ数年はバレンタインが、それも日本式のバレンタインがここにも入ってきたから厄介だ。つまり、女が男にチョコを贈る日になってしまった。これも日本のお菓子会社の陰謀か?
 ってったって、私には何も関係がない。オマケに前夜からジョグジャに国際交流基金のFさんとTさんがいらして、ちょうどバレンタイン当日は、4月に開催の展覧会に関する会場との話し合いに私も同伴することになっていた。

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 今回2日間ジョグジャで使う全会場の担当者と話し合いをし、『KITA!』展もそろそろ本格的に準備で動き出すことになりそうだ。現地コーディネーターの私も、ふんどし締めなおして頑張らねば。14日は夜まで打ち合わせ。基金のお二人をホテルまで送ったら、ホテルのロビーから不思議な立体造形物が見える。近寄ってみたら、なんとチョコでできたキューピットだった。真っ黒のチョコで羽根は綿製。その横にはチョコクッキーやケーキが並んでいる。申し訳ないけど、どう見てもそそられる感じじゃなかったので、撮影だけして家に帰った。

 あっという間にバレンタインも終わり、今朝は朝4時に起きてスラバヤ行きの飛行機に乗った。今はスラバヤのホテルにいる。昨年、スラバヤ市長とスラバヤ観光局に頼まれて、日本語のガイドブックのトライアルを制作したのだけれど、これが結構好評で、今度は60ページ、フルカラーのかなり立派な総合ガイドを作ることになっていたのだ。
 実はスラバヤ側はかなり前から作って欲しがってたのだけれど、私自身、日本での個展が予定されていたので、ずっと延ばし延ばしにしてきた。昨年末から日本でドラフトを作り、今回観光局側に内容を見せて意見をもらい、4日間スラバヤのホテルにこもって最終原稿を仕上げる勢いでやってきた。

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 このガイドブック出版に関わっている観光局長のユサクおじさんは、スラバヤの4つ星ホテル、スラバヤプラザ・ホテルのGM(ゼネラルマネージャー)でもあるので、私がスラバヤに来たら、このホテルは好きなだけ泊まらせてくれるからありがたい。
 チェックインして仮眠を取り、久しぶりにユサクおじさんと再会。60ページの内容を見せて説明するにも、日本語の内容をインドネシア語で説明しなくちゃいけないので結構時間がかかる。ちょうどランチタイムだったので、ユサクさんのホテルのスペシャルメニュー、マドゥーラ島の伝統料理をいただく。

 打ち合わせも終わり、後は今日から20日までひたすら最終原稿とレイアウトを仕上げることになる。もう少し取材しておきたい場所があるから、これはユサクおじさんのドライバーの空いてる時間に付き合ってもらうことになりそうだ。
 ホテルの隣には大きなショッピングモールがある。飲み物など買出しに行くと、そっか今日は日曜日、さらに中国の新年から間もないために、やたら人が多い。私はとっとと必要な買い物だけ済ませて部屋に戻った。今日のスタミナ物は、

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ランブータン。雨季の間が旬なこの果物、そういえば今回インドネシアに戻ってからまだ食べてなかった。これで2.5キロ、16,000ルピア(約200円)。

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高麗人参入りコーヒー。

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昔大好きだったグリーンサンズ。しばらく見ないと思ったら、こんなラズベリー風味のものが出てたので気になって購入。

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そしてタンゴ。私の好きなインドネシアのウエハース。ダイエット中の身でこんな甘いものは敵なのだが、大きなスーパーにはタンゴの「シュガーフリー」があるのだ。ジョグジャの田舎のスーパーでは売ってない。罪悪感なく食べられるので、これも一個。

 というわけで、明日から3日はホテル篭もり。昔から、小説家が締め切り前になるとホテルに篭もって原稿を仕上げるって話を聞いて、それがすごくかっこよく思えたもんだ。私のはそんな大層な仕事ではないけれど、でも、集中してこれだけにかかれる環境作って仕事するのは楽しい。
 4つ星ホテルのここでは、普段は見られないNHKも入るし、衛星放送で映画もたっくさんやっている。でもまずは原稿を仕上げて、それからあまった時間でホテルライフも楽しみたいものだ。

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南風食堂のジョグジャ視察

 「南風食堂」、いかにもインドネシアにぴったりな名前。
 実はこれ、もう9年も活動している女性2人のユニット。美術館やギャラリーでの展覧会オープニングのケータリングの活動の他に、おいしい食べ物のレシピ本も出版している。
 先日は怪しいコレクター(本人がじゃなく、コレクションしてるものが「怪しい」)の都築響一さんがいらっしゃり、2日あけて今度は南風食堂の三原寛子さんがやってきた。彼女も今年4月に開催される『KITA!』展(国際交流基金)の参加者だ。
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 まずは打ち合わせのために宿へお出迎えし、最初にただいた本が『スープの本』。
 蜂が旅する物語形式になっていて、蜂が旅する場所でのスープが物語のように現れて、しゃれたレイアウトの中にレシピもちゃんと載っている。毎日一皿ずつ、試してみたい本当に美味しそうなメニューがいっぱい。むっちゃ嬉しい!

 彼女は今度の展覧会で、インドネシアのみんなに南風食堂オリジナル・メニューを振舞いたいとのこと。今日のアテンドでは会場の下見、食材のチェック、さらにインドネシアではどっこにでもある屋台のチェックをすることになった。そしてもちろん、その合間合間には、インドネシアの美味しいものを食べる!これれっきとした仕事。
 
 メイン会場となるジョグジャ・ナショナル・ミュージアムに行く。なかなか立派な建物に三原さんも感動。ここの食堂のジャワ田舎料理もなかなか美味しいので、オバちゃんに頼んでメニューの撮影もさせてもらった。私が
「この人はね~、日本で有名な料理職人なのよ。ジャワ料理も興味あるんだよ」
と説明すると、
「ほらほら、タダだから、つついてってごらん」
と太っ腹な発言。

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 ここからジョグジャ市民の台所、ローカルで最大の市場ブリンハルジョへ。なんせインドネシアはスパイスや漢方の宝庫だから、三原さんも見たことない謎の品々にウキウキし始めている。椰子砂糖を半キロ買ってみたり、ジャムー(ジャワの漢方)をグラス1杯飲んでみたり、私も大好きな食べ歩きはすでに始まった。展覧会になったら彼女は実際に料理を作るわけなので、食材だけではなく、調理道具のチェックも怠らない。こっち風の料理の仕方なんかも、市場に入ればいろいろ見ることができるからいい。

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 彼女が今度オーダーしたいと言ってる屋台。これにはサイズや売っているもの、仕様によって「カキリマ」と呼ばれるものから「グロバッ」と呼ばれるものまである。希望を聞いていると、どうやら大きめで火も使うことのできる「グロバッ」を想像しているようだ。
 こっちには「グロバッ屋さん」というものはなく、大工さんが作る。それほどみんなの頭の中には、カキリマやグロバツの構造が、フツーに入ってるってことだ。私もざっとの構造を描けといわれれば描けるけど、見えない部分でどうなってるのかとか知りたくて、三原さんと一緒に屋台が通ると写真を撮った。後は彼女がいったん日本に帰り、どんな仕様でどんなサイズにしたいかなど、詳細を決めてくることでミッション終了。

 ランチにはジョグジャ名物のグドゥッを、そして夜はスンダ名物のペペス・アヤムを食べた。考えてみたら、ここんとこずっと自炊で、さらにダイエットのため夕飯には野菜スティックしか食べてなかった。昼も夜も美味しいもの食べるなんてこと、ずっとしてなかったので幸せ~~。なんたって「仕事だから」という言い訳もあるし(自分自身に対して)。

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 これは三原さんも大絶賛のペペス・アヤム。香りのよくなるハーブの刻んだものを鶏肉に添え、バナナの葉っぱで包んで蒸したもの。とにかくジューシーで、鶏は骨まで食べられちゃうくらい柔らかい。これには生野菜できゅうり、キャベツとクマンギというバジルに似た爽やか系ハーブがついてくる。これとペペス、さらにサンバル(唐辛子ペースト)のコンビネーションが絶妙なのだ。
 私は美味しいものを食べたときに、「本当に幸せ~~~」と思う。健康だから食べ物が美味しいんだし、口も腹も満たされる美味しいものを食べれば本当に美味しい。その生き物として基本的にもってる幸福の部分を仕事にしてる南風食堂っていいな~~~。

 短いジョグジャ視察ではあったけれど、できるだけたくさんの美味しいものを紹介したくて、翌日のランチには私の大好きなバリ料理、バビ・グリン屋へお連れした。ジョグジャじゃ~めったに食べられないバリの味だ。しばらく行ってなかったので、私も仲間がいてラッキーだった。ここでも三原さん大喜び。
 こうして2日間のアテンドを終え、三原さんも日本へ帰ってしまった。美味しいもの食べ歩く友達がいなくなって、ちょっと寂しい。でも彼女は4月の展覧会の準備で3月末には再度ジョグジャ入りする。そして3週間くらいは滞在する。またここで美味しいもの巡りできるのが楽しみだ。それまでは、体重増加しないように、しっかりビリー隊長について消費のいい身体つくりして待つとしよう。

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7年ぶりのブラウンシュガー

 チャイニーズ・ニューイヤー元日明けの今日もジョグジャはまだまだ休日モード。このまま10日の日曜までが連休になってる人も多い。
 

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 先日、久しぶりにキャサリンからメールが来た。彼女はドイツ人。私がジョグジャに来て間もない頃、彼女は留学生としてジョグジャに滞在していた。当時、バリからジョグジャに移って、そのライブハウスの多さとインディーズのバンドの多さに大喜びし、毎晩のようにライブハウスを渡り歩いていた私の一番のお気に入りバンドがブラウンシュガーだった。
 ブラウンシュガー。その名からわかるとおり、ローリング・スローンズのコピーバンド。ボーカルは2人いて、一人はまさにミックをコピーしたような兄ちゃんで、もう一人はドレッドロックに割れたハスキーボイスの兄ちゃんだった。
 
 学生時代からの癖で、私はローリングストーンズと見ると、正気を失いステージに駆け上がってしまう。最初にブラウンシュガーのライブを見たときも、こっちは一人でいるにもかかわらず、
「私がホンキートンク・ウーマンを歌う!」
と彼らのマイクを奪ったことから、結果彼らと仲良くなった。
 そしてキャサリンは、ハスキーボイスのドレッドロック、ボーカリストであるデニーのガールフレンドだったのだ。

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 彼らと知り合ったのは2000年になるかならないかの頃なので、もう8年前の話。キャサリンはその後母国に帰り、私はバリとジョグジャ両方を行き来しながら、デニーたちミュージシャン数人が暮らす大きな一軒家で1年ほど同居生活をしていた。
 その後は私が同居生活から出て一人で暮らすようになり、デニーはブラウンシュガーをやめて実家のある西ジャワに帰り、キャサリンからのメールも途絶えた。そんな彼女が数年前にマレーシアのクアラルンプールで職を見つけたとメールをくれたことがあった。そして先日のメールで、
「Mid!(私はインドネシアの知人からはこう呼ばれている)今度ジョグジャへ行くの!8日はあいてる?」
 運良く私はジョグジャにいたし、何も予定がなかったので、8年ぶりにキャサリンに会えることになったのだった。さらに運良く、デニー脱退後もメンバー交代して続いているブラウンシュガーのライブが、ちょうど金曜日の夜にあった。週1回しか演ってないのに、それにぴったりでジョグジャに来られたキャサリンはなんてラッキーなんだろう。

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 そうして、私は5~6年ぶりでライブハウスへ出かけた。キャサリンとは現場で10時に待ち合わせた。
昔ブラウンシュガーが演ってたライブハウスはもうなくなってしまったので、今日の店で彼らを見るのは初めて。音があまりに悪いのでびっくりした。さらに昔のメンバーでいるのはギターのイイス一人で、あとはまったく違うメンバー。ブラウンシュガーと言っときながら、曲はレゲエ。
 それでも私はキャサリンとの待ち合わせがあるので、1ステージ目は一人でビールを飲みながら聞き過ごした。途中で私に気づいたイイスが舞台の合間にテーブルへ来た。なんたって7年ぶりだからお互いに懐かしい。彼にとっても、昔の常連はいなくなってるだろうから、私を見ればブラウンシュガー全盛期を思い出すのだろう。ひとしきり昔の仲間の近況を互いに知ってるだけ教えあってるところへキャサリンがやってきた。こっちも8年ぶり。

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 年をとると、昔の知り合いってものに対する想いが、若いときとは違ってるような気がする。自分の若かりし日の楽しかった時間を共有した仲間って感じなのかな。古いけど、かまやつひろしの『我がよき友よ』的なノスタルジアか。
 なんとキャサリンはマレーシアとインドネシアという距離がありながらも、デニーとはいまも付き合っていた。その年月なんと11年!スゴイ。インドネシア、特にバリにはたっくさんの日本人女性&バリ男性カップルがいて、みなさんそれぞれにいろんな問題を抱えながら結婚したり、離婚したり、互いの事情で結ばれなかったりしている。私もいろんなケースを見てきたけれど、結婚しないで11年間、遠距離でがんばってる彼らのようなケースはかつて知らない。
 私には、彼らがどうするのがベストなのかはわからないけれど、本当に本当に、幸せになってほしいな~~~と思った。人の心配してる場合じゃないんだけど、それでも彼ら二人ともを知ってるだけに、二人にとって最善の道が、ピカーーーーッと彼らの目前に輝いたらいいねぇ~と心から思った。
 翌日、キャサリンはデニーの実家があるタシックへ電車で出発した。互いの将来について、真剣に語り合い、2日後にはまたマレーシアへ戻ると言っていた。がんばれ、キャサリン!
 

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怪しいものコレクターのジョグジャ訪問

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 今日2月6日は中国系インドネシア人の皆さんの新年なので、ジョグジャは休日モード。
ところで、ジョグジャに戻ってきた1月末からこっち、ジョグジャでは連日のスゴイ雨。この前はジャカルタでも豪雨があって着陸予定の便10数本に影響があったばかり。毎朝、洗濯物を乾かすのもかなりの賭け。本当に雨季の雨は降り方が半端じゃない。

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 これは昨日の夕方の襲来。午後4時きっかりに、北のほうから空がどんどん暗くなってくる様子は、まるで昔見たヒーロー漫画で、悪党がやってくるときのあの黒い雲そっくり。そして降り始めからして、雨の粒がでかいから、
ポツ… ポツ…
なんておしとやかなものではなく、一気に
バチバチ! バチ~~~
とでかくなる。そして暴風。窓もドアも閉めているのに、隙間隙間からどんどん雨水が部屋に侵入してくる。とにかくスゴイ。
 降り始めて10分もたってないのに、家の前に泊めた私のスターレットはタイヤ半分まで水に浸かってしまった。

 ところでこんな雨季の真っ最中、日本からのお客様があった。
 少し話を戻すとこんな経緯。今年は日イ国交樹立50周年にあたり、さまざまな交流イベントが予定されている。その一つに、国際交流基金主催の美術イベント『KITA!』展があり、4月には日本のアーティスト(イラストレーターあり、劇団あり、料理人あり、パフォーマーあり、写真家ありの盛りだくさん)が20組40名インドネシアにやってくる。私はこのイベントのジョグジャカルタのコーディネートを手伝うことになったのだ。

 いらしたのは、『KITA!』展で写真作品を出品される都築響一さん。会場の下見と撮影を兼ね、ジャカルタ→ジョグジャ→スラバヤを回られるというので、私はジョグジャでの1日をアテンドすることになったわけだ。
 ジョグジャのメイン会場となるのはジョグジャ・ナショナル・ミュージアム(芸大旧校舎)なので、まずはここへお連れした。私には裏方として、この会場のすべての展示室のサイズを測るという任務があったため、2人のスタッフに手伝ってもらって測量。

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 ジャカルタでハードスケジュールをこなしてこられた都築さんはミュージアムのカフェでお茶して待っててくれた。一汗かいたので私もアイスティを頼んで椅子に座った。次に訪問する写真家集団のアートスペースへ行く前に、ここでお互いの自己紹介が始まった。
 話してみて驚いたことに、都築さんって私は昔から知ってる人だった!いや、人を知ってたというのは正確ではない。エロものやゲテもの好きな私に、昔友人が、
「あんたの好みそのまんまの本が出たんだよ」
と教えてくれたのが、なんと都築さんの作った本だったのだ。
(参考本『ROADSIDE JAPAN-珍日本紀行』ちくま文庫)

 彼のコレクションといったら、鳥羽や伊勢の秘宝館展示物写真(鳥羽に至っては、閉館したときに展示物を買い取ったくらいのマニア!)、今消えつつある昔ながらのラブホの室内写真、各国の田舎にある地獄を現した彫刻物などなど、すべてが私のツボにぴったりで、資料を見せてもらうなり、私一人で大興奮。
「だったら都築さん、私の故郷にある五色園とかも知ってます?」
かなりマイナーな話題を出してみたら、さすが!ちゃんと知ってるどころか、作った職人について彼のレポートが『ART IT』に掲載までされていた!

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 この五色園は愛知県日新町にある宗教レジャーランドで、人間よりちょいデカいサイズのコンクリート彫刻は怖おもしろい。私はこの近くの芸大に行ってたので、昔は肝試しの場所としてもこの場はよく使ったもんだ。この場所すら都築さんは知っていた!もう、これは私の大師匠だ。
 この辺から完璧に都築さんのツボがわかってきた私は、インドネシアの怖おもしろモノ、エロ怖いものなどなどの体験や情報を提供。わずかな時間ではあるけれど、私にとってはかなり充実した時間だった。もっと時間があったなら、一緒にインドネシアのエログロ巡りもできたのに残念…。

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 こちら、メイン会場とは別に予備のスペースとして候補に挙がっているMES56。ジョグジャの写真家集団が運営している場所だ。リーダー格のアンキに、都築さんの秘宝館写真集、ラブホのインテリア写真集など見せたところ、やっぱり彼も大感激。ぜひぜひこのシリーズをインドネシアで展示してほしい!とかなり切なる願い。私も同じく。

 エログロ話をしている中で、都築さんの興味がオカマにあることもわかったので、移動先のスラバヤでオカマツアーができるよう、私の知り合いを紹介した。昨年私が作った日本語情報誌『スパークリング・スラバヤ』、その依頼主であるユサクおじさんなら、スラバヤの高級オカマクラブも知ってるに違いない。楽しいエログロツアーしてきてください~、都築さん。

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